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心療内科 赤沼医師のコラム

常識という鎧 2014.1.14

 長男が小学校5年生から学校に行き渋り出しました。クラスの友達も毎日のように遊びに来てくれましたし、担任はとても教育熱心で、毎日のように電話をくれて、週一回は家庭訪問をしてくれました。私は仕事をパートに切り替え、時間を作って、いろいろなお母さんと友達になり、長男の友達がたくさん来るように努力しました。

 友達がたくさんくればきっと学校が楽しくなると思って、遊びに来たいと言ったお友達はすべて受け入れおやつを作ったり、楽しい遊びを考えたり、お友達に怪我をさせないように外でのサッカーやドッチボールも一緒に参加しました。うちはお友達のたまり場のようになっていました。

 10人ぐらいお友達が来ることもあり、4歳の娘にも手がかかったので、とても大変でしたが、これも当時は長男の為だと考えて頑張りました。けれど今から考えると、これらは母親の私が子どもに学校に行って欲しいという思い(常識という鎧を着たため)からの対応であり、長男の見かけとは異なり、長男の心の奥底を苦しめていたことが今なら分かります。

 このように母親としてがんばっても、朝になると長男は学校に行こうとしないので、付き添い登校は続きました。幾ら打ち消そうとしても「こんなに努力してるのにどうして?」という思いがだんだん強くなりました。それでも周囲のお母さん達はとても良い方ばかりでとても親切にしていただいたり、先生方にも良くして頂きました。

 登校班の子供達はとても可愛くてみんななついてくれて、登校しながらいろんな話をしてくれて、とても救われました。母親の私は長男が登校してくれさえすればほっとできたので、長男がどんなに辛い思いをして学校に行こうとしていたのか気づきませんでした。

 母親として幾ら努力をしても解決をしない不登校を、「付き添い登校のおかげでこんな貴重な体験が出来る」と前向きに考えるようにしました。母親として辛くても努力をするという意味では前向きな発想ですが、今となっては母親のこの思いで長男が死ぬほど苦しみ続けていたのですね。常識という鎧をまとっていた当時の私には分からなかったのです。

 常識という鎧をまとっている母親の中には、苦しさのあまり「学校の帰りに車に轢かれて死んでしまえば良いのに」とか、「あの子さえいなければこんな思いしなくてすむのに。」とか、「産まなければ良かった」「死んでくれないかしら」と思ってしまう母親もいるそうです。子どもから見たら悪魔のような母親ですが、母親が悪魔なのではなくて、常識という鎧が母親を悪魔のように振る舞わせているのが、常識という鎧を脱いだ今の私には分かりす。

 本当は自分の子どもが大好きなのに、子どもを慈しんで育ててきたのに、母親が常識という鎧を着ていると、「ひどい子育てをしたから、子どもが不登校になった」とか、「子どもを条件付きでしか愛せなくなった」とか、思うようになるそうです。そして常識という鎧を着ていることも全く気づかないのです。

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大人の精神疾患 2014.2.21

 大人の精神疾患について、その病態は遺伝子レベルまで調べられるようになっていますが、まだ根本的な原因の解明に至っていません。私が多くの精神疾患と診断されて治療をされている人たち(子どもから大人まで)の観察から、精神疾患の多くはトラウマ(辛さを生じる条件反射)が原因だと確信しました。

 子どもで精神疾患だと診断されている子どもたちを観察していると、子どもたちの潜在意識にトラウマがあるのが分かります。ほとんど全ての子どものトラウマが学校や自己否定に反応するトラウマです。精神症状を出している子どもから学校や自己否定を取り除くとたちまち精神症状がなくなることから、辛さを生じる条件反射、すなわちトラウマがあることが分かります。

 トラウマを持っている子どものトラウマが反応すると、その子どもはそのトラウマが反応する場所から逃げようとします。逃げられないときには、暴れるなどの問題行動をします。暴れるなどの問題行動ができない子ども、他の人の力で暴れるなどの問題行動が押さえつけられて問題行動ができない子どもは、精神疾患の症状を出します。この反応の仕方は、私が観察をする限り大人でも当てはまります。大人でも、子どもでも、精神疾患の症状を出しているのは、トラウマが何かに反応している姿なのです。

 トラウマとは潜在意識(大脳辺縁系)にある、辛さを生じる条件反射です。その内でも辛さを生じる条件刺激が普通の人では辛さを生じない物ですから、トラウマを持っている人が辛くなる理由が、普通の人では理解できない条件反射です。普通の人はトラウマが反応して苦しんでいる人を見て、「どうしてこの人は苦しんでいるのだろう。苦しむ理由がないからこの人の性格が問題だから性格を正さなければならない。この人は病気だから医療に掛けて、治療をしなければならない。」と理解する場合です。つまりトラウマがある人が苦しんでいるのは、それなりに理由があるのですが、普通の人には分からないし、苦しんでいる当人も分からないのです。

 トラウマは辛さを生じる条件反射ですから、記憶の一種です。記憶と同じような神経回路です。記憶の神経回路は使われないと消失します。使われ続けると記憶の神経回路は強化されます。トラウマの神経回路ができても以後反応をしなければ、トラウマの神経回路は消失します。トラウマが反応をし続けると、トラウマの神経回路はどんどん強化されていきます。そればかりでなく、トラウマが反応をするような刺激への反応がだんだん敏感になり、誰も気づかないような刺激でトラウマが反応をしてしまい、絶え間なく精神疾患の症状を出すようになってしまいます。それは運動選手の練習と似ています。練習を休むと運動能力はなくなってしまいます。練習と繰り返すと、自然と体が動くようになって、無意識に目的の運動ができるようになるのと同じ様な仕組みです。

 大人の精神疾患には二種類があります。一つは精神症状を出し始めた日が浅く、その症状を出す頻度が少ない場合です(運動でいうなら、運動を始めて日の浅い人です)。この場合にはトラウマの神経回路はまだ弱くて、消失しやすいです。トラウマを反応させる物を取り除くことで、トラウマ自身が消失して、精神症状がなくなります。職場を換える、職業を換える、生活の場を換えるなどで、解決が可能です。また認知療法も効果的です。ただし薬はこの精神症状が出現するのを防げても、トラウマが反応するのを防げません。薬を飲むことで精神症状を出さなくできても、トラウマは反応をし続けているので、トラウマの神経回路は知らないうちに強化され、症状も薬で隠されていますが強くなります。そのとき服用している薬では段々症状を抑えられなくなります。今まで押さえられていた症状が出てくるので、薬の量が増える、薬の種類が増える、より強く脳を抑制する薬が増えることになります。

 もう一つは精神症状を出し始めて長い年月がたっている場合です(運動で言うなら、熟達した運動選手の場合です)。長年向精神薬を飲み続けている場合も当てはまります。しっかりとトラウマの神経回路ができあがっているために、そのための脳自体の構造や伝達物質に正常とは違う変化を生じています。その変化を生じるための遺伝子変化も起こしています。こうなるとトラウマの神経回路をなくするのは大変に難しいです。この状態が今の精神医学で言う精神疾患の状態です。環境を変えることで、トラウマが反応しないようにできるなら、それが一番良いのでしょうが、現実にはトラウマを理解する人は皆無に近いです。実際には辛い症状を解消するために薬を使わざるを得なくなります。それでも可能な限り薬を少なくして、トラウマが反応しない環境を作らないと、本質的な解決はありません。

 最後に、精神疾患に使われる薬で、精神疾患を根本的に治癒させる薬は一つもありません。精神疾患の症状を軽減する薬です。薬の検定でも、症状を減らす効果しかメーカーは調べていません。ですから薬で精神疾患を治すことはできません。薬で精神疾患が治癒したなら、それは薬が精神疾患を治癒させたのではなくて、精神症状を出すトラウマが反応をしなくなった、トラウマを反応させる物が偶然になくなったという意味です。

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テスト(心が辛い子どもが母親にする) 2014.5.30

 不登校、引き籠もりなどの心が辛い子どもが、周囲の大人(特に母親)に対して行う暴力などの問題行動は、全て母親に信頼して欲しいというテストと理解できます。常識から言うなら、子どもに性格上の問題があって、その性格から母親に暴力などの問題行動をすると理解しますが、その常識は間違っています。例え言葉で母親へ暴言や非難の言葉を浴びせても、それは子どもの本心からでなくて、言葉で母親への問題行動をするというテストなのです。

 なぜテストだと断言できるかという理由は、生物の進化の過程から証明できます。つまりあらゆるほ乳類は、母親から生まれて、母親に守られ、育てられて、大人になって、母親の元を巣立っていきます。全てのほ乳類の子どもは母親から守られないと、母親から育てられないと、それは子どもの死を意味します(例外もあることも事実ですが、それは偶然でしかありません)。子どもはその本能から成長をしようとして、決して死を求めません。子どもはその本能から、必ず母親に守られ、育てられようとします。その子どもなりに大人になって社会へ出て行こうとします。その子どもなりを母親が認められないときも子どもは母親にテストをし続けます。

 母親から見捨てられるような問題行動を、子どもは進化の過程で獲得したその本能からしません。つまり子どもが母親を苦しめるのは、子どもが自分の命の危険性を無視しなければならない危険に遭遇しているという意味です。子どもはその本能から生きたいのであって、無意識に自分を守ってくれという意味になります。現実に母親が子どもが直面している危険から子どもを守れたら、子どもは母親を苦しめるような問題行動をしなくなります。母親に守られ続け、母親と仲良く成長を続けようとします。子どものテストに合格したことになります。母親は子どもを守っているつもりでも、子どもは守られていないと母親をテストし続ける場合があります。

 世の中の多くの大人は原因がないのに子どもが問題行動をすることを指摘します。生まれつきそのような性格を持っていると判断する大人が多いです。その方が大人には納得がいくからです。ところが子どもが問題行動をするのには必ず原因があります。その子どもを苦しめる原因に気づかない大人がこのような表現をします。また子どもを苦しめる原因に気づかない大人が、子どもの問題行動を解決しようとして子どもと関わりますから、子どものテストに合格するはずがありません。子どもはますます問題行動を強めて、すなわちテストを難しくて、母親をますます苦しめるようになります。

 研究者や医者、子どもに対応をしている人を含めて、世の中の多くの大人は、子どもの言葉から子どもの心の問題点を判断して、問題解決をしようとする人が多いです。大人の問題行動に関してはそのような考え方で解決できる場合が多いです。子どもでは言葉は大人の言葉と違って、動物の鳴き声のような信号としての要素が大きいです。子どもが幼ければ幼いほど、この要素は大きくなります。言葉は子どもの危険の存在を表現しているだけで、または子どもの理解を表現しているだけで、大人のように言葉に意味を持たせて理解しようとすると間違いになります。

 ほ乳類の進化の過程から、子どもが母親を苦しめるような行動をする場合は、全て母親をテストしていると理解できます。子どもの問題行動を子どもの性格が異常(心の病を含めて)だからという考え方で理解する限り、子どもの問題行動を解決できません。もしできたと考えられる場合では、その子どもがよい子を演じている姿だと判断して間違いないです。後になってもっと大きな問題を生じることになります。ただしそれでも大人になれますし、その子どもなりの成長の仕方であることも間違いありません。

 子どもの中には、自分の死を意味する危険を母親が嫌がる行動で表現できない子どもがいます。そのような子どもはいわゆる心の病(脳に異常がない発達障害も含める)の症状で訴えます。心の病の症状を出したとき常識的には心の病と判断されますし、医者も心の病と診断しますが、それもほ乳類の進化の過程から、子どもからの母親へのテストだと断定できます。

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ありのままの 2014.7.20

 現在、雪の女王のアニメが世界的にヒット作品になっていて、「ありのままの姿見せるの」と、この主題歌を歌う人が多いと言われています。私たち不登校に対応をしている者の間では、この言葉は当たり前になっているのに、今頃なぜ世界的にこの歌が歌われ、共感を得ているのかを、私の立場から考えてみます。

 この歌に共感を感じていらっしゃる人達は、現在「ありのままの自分でいきられない」から、「ありのままの自分で生きたい」とあこがれる、または過去に「ありのままの自分でいきられなかった」から、これからはこの歌のように「ありのままの自分で生きたい」という意味だと思います。これは男性よりも、制約が多いこの社会で生きていらっしゃる女性が感じていらっしゃる場合が多いと思います。「ありのままの自分で生きたい」と願っていても、今の自分には難しいと感じていらっしゃるから、共感できるのではないかと思います。

 子どもにとって「ありのままの自分で生きる」ことは、子どもの本能としての欲求です。子どもが「ありのままの自分で生きよう」とすると、それは親や社会にとって都合が悪いことが多いです。そこで理由をつけて子どもの「ありのままの自分で生きたい」という欲求を抑えつけて、親や社会が要求することに従わせます。子どもは弱い立場にありますから、それに従わなくてはなりません。大人は子どもが納得して従ったと理解していますが、子どもは仕方が無くしたがっています。

 「ありのままの自分で生きたい」という思いを多くの大人は子ども時代に感じて育ってきています。そして親になって、自分の子どもも「ありのままの自分で生きたい」と願っているのに、自分が育てられたように、子どもの「ありのままを認めない」子育てを、親から自分が受けた子育てを続けています。その理由の一つとして、「ありのままに子どもを育て」たら、どの様な子どもに育つのかを、大人が全く知らないという事実があります。また、親や社会の要求で縛り付けられて育った子どもの成功例しか教えられていないという事実もあります。常識や社会からの要求に沿わない子育てをしたから、子どもが問題行動をしたと教えられているからのようです。

 不登校の子どもを守り育てるのは、まさに「ありのままの子どもをありのままに育てる」子育ての実験です。そして私たちが対応をしている限り、全てその子どもなりに元気な大人になって、社会に出て行っています。不登校の子どもにとって「ありのままの自分を認められる」ことは、子どもに成長をして釈迦に順応をしようとする強い動機を与えます。子どもの問題解決にとても役立ちます。別の表現の仕方をするなら、「ありのままの自分を認める」ことで、子どもは自分で自分の問題を自分で解決して、成長をしようとしますし、解決することができます。

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若年無業者224万人 2014.8.3

 8月3日、NHK朝のニュースで若年無業者が224万人(同世代人口の1/7)と報道されていました。これには心の病として治療を受けている人は入っていないでしょうから、500万人、またはそれ以上の若者が日本の生産活動に関わっていないことになります。ニュースの中でも日本の大きな損失と言っていましたが、若者達自身にとっても大きな損失です。

 その原因として、専門家が子ども達が守られすぎていると言っていましたが、本当でしょうか?確かに子ども達は身体的に守られています。しかし心はどうでしょうか?子ども達の心は苦しみ続けていることに、大人達は気づかないでいます。気づいていても、自分たちは乗り越えてきたのだから、乗り越えて当たり前だと考えています。ただ大きな間違いは、大人たちが乗りこれてきた苦しみ以上に、今の子ども達は苦しんでいることに気づいていないことです。

 子ども達の身体の安全のために、子ども達の心を無視した安全策が今の子ども達に押しつけられています。それは子ども達の自発的な活動を押さえつけてしまい、子ども達は以前以上に苦しんでいます。それは時代とともに段々強まっています。また、子どものためという教育が子どもの間の競争を生じています。この競争に勝ち続けられる子どもは良いのですが、この競争について行けない子ども達は葛藤状態になり苦しんでいることに、大人は全く気づいていません。 

 これらで子ども達が苦しんでいても、子ども達は一生懸命学校に行っています。やっとの思いで学校に行き続けていることに大人は気づこうとしません。子ども達が学校に行っていることだけで、大人達は安心をしています。子ども達が辛くなって学校に行かなくなると、大人達は何とかして学校に行かそうとします。大人達のために、言葉では学校が楽しいと言いながら、楽しそうに演じて、子ども達は無理を重ねて学校に行き続けています。学校を終えたときには、子ども達は精根尽きています。大人達から働けと言われても、働くための意欲を失っています。

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眠られない 2014.8.11

 小学生の子どもが夜眠られないと言って来院しました。常識的には不眠症ですから、眠られるように薬を投与すべきでしょう。薬を飲んでいる内に眠られるようになると考えるのが普通でしょう。

 子どもは必ず眠ります。眠られないのには何か理由があります。その理由が何か大人に分からないから、子どもは理由がなく眠られないと大人は理解します。薬を飲ましてでも眠らせれば良い、眠れば解決すると考えています。

 子どもが夜眠られない原因は、眠られないときにありません。眠って朝起きたときにあります。子どもが目が覚めたときに感じる不安を、夜寝る前にも感じだしたのです。子どもが朝起きたときに不安を感じるとしたら、学校に行かなくてはならないという事実です。学校で辛い経験をしているという事実です。子どももその辛い経験を言葉にて表現しません。子ども自身も原因が分からないのだと思います。

 子どもが眠られないと言って母親の元に来たときには、母親は子どもを眠らせようとしない方が良いです。母親とふれあいながら母親と一緒にゲームをしたり遊ぶのが良いです。遊ぶことで辛さを解消して、子どもは眠ってしまいます。その際に布団で寝なくても、眠ってしまってから布団に運ぶのでも良いです。

 夜更かしをして子どもが朝起きられなくても、朝になって子どもを起こす必要がありません。学校に遅刻しても、学校を休んでも、子どものあり方を尊重してあげてください。そうすれば、子どもは学校での問題点を自分で解消して、学校に元気で行き続けられます。多くの人は原因を解消して子どもを学校に行かそうとしますが、それは強い心の子どもを育てません。中学生になって、高校生になって、大学生になって、大人になって、大きな損をします。

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先回りしない対応(不登校、引き籠もりなどの心が辛い子どもについて) 2015.4.17

先回りをしない対応は常識と全く逆です。常識では何かをできない子どもに、先回りをしていろいろと手配をして、その子どもがそれをしたときに、必ず成功をして、自信を持たせるのが良いと考えられています。それで良い子どものことはここでは省略します。

不登校、引き籠もりなどで心が辛い子どもでは、先回りをしない対応が子どもの心を元気にします。つまり先回りをして対応をしてもらっても、それができない子どもは、とても強い自己否定を生じてしまうからです。また、先回りをした対応をしてもらって、それをできたとしても、子どもは青息吐息でそのことをしていますから、とても自信になりません。「やっとたどり着けた、もう堪忍してくれ」という感じになっています。そして次にそれをしなくてはならなくなったときに、先回りをした対応をしてもらっていないと、それができません。何もできない時よりはより強い自己否定を起こしてしまいます。

ほとんど全ての大人は子どもの心を知りません。どの大人も子ども時代を過ごしてきていますが、大人になったとたん、子どもの心を忘れています。というより心が大人の心に変わっていて、大人の心と違う子どもの心を知りようがないのです。ですから、大人が考えた子とものためになることは、大人の心でそのように考えたと言うだけで、ほとんど全て子どもの心に沿っていません。

もちろん心が元気な多くの子どもについて、このように考える必要が無いのですが、不登校、引きこもりの子どもの対応をする大人は、自分は子どもの心が分かっていないと考えて、子どもの要求にそった対応をする必要があります。それでも不登校、引き籠もりの子どもの多くは、大人の前では「よい子」を演じて、自分の心でなく、大人の心を優先して言葉を発すること、無理をして大人の思いを実現しようとすることが多いです。

自己否定について以前詳しく述べましたから簡単に触れておきます。自己否定は本能的な辛さの一つです。大事件に遭ったと同じような心の反応を起こします。

子どもが荒れたり、問題行動をするとき、又は心の病の症状を出しているとき。このときは先回りをしてでも、子どもの言葉に共感の言葉だけを介してスキンシップをするのが良いです。子どもが言葉で要求してきたことだけをしてください。それ以上のこと、先回りをするとその努力が逆効果になります。
子どもが荒れたり、問題行動や心の病の症状を出さなくなったときには、子どもの要求を100%満たして、子どもを見ない子どもに言わない、母親の笑顔です。

どの場合も共感の言葉以外を言いたいときには、子どもが言った言葉をオウム返しにするのが良いです。それ以上の言葉を返すと先回りをした対応になりますから、子どもとの関係が悪化します。

>共感て相手の言葉のリピートすると良いですか?全部とは言わないですが。
子どもは理由もなく(本当はあるのですが気づかないだけ)心が辛くなって、不登校、引き籠もりになっています。ですから子どもの心(情動。大人の心と違うことに注意)は辛い状態です。表現としては辛い、いらいらするなど、いろいろな言葉が可能でしょうが、簡単に「辛いのね」だけで大丈夫です。それ以外の言葉は子どもの言葉をオウム返しにするのが良いです。

もし本当に子どもの心が分かる大人なら、このようなことを考える必要が無いです。しかしそのような大人は皆無です。

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学級崩壊 17.06.21

<質問>

この前、参観に行った母親が、小学二年の我が子のクラスが学級崩壊していたと言ってました。授業中、三、四人の子がうろついたり、母親の元へ行ったり、挙手してあてられると、〇〇くんを殺していいですか?と言ったり、とにかく騒がしくて勉強できない状態だったと言ってました。

後から親が書くアンケートがあり、学級崩壊していると書いたそうです。その後、そのクラスでは男性の教師が加わって 、担任が授業している時に、うろつく男児達を大声で叱っていたそうです。

叱ったところで、男性教師がいなくなればまたすると思うんですが、こんな対応しか学校はしないものでしょうか?時間をかけて対応できないので、結局は力で押さえつける事しかできないのだと思いますが、私はなぜ子供達がそうしてしまうのかを考えて欲しいと先生方には言ってます。
そして叱らないで欲しいと言ってます


<回答>

まず、考え方です。オペランド条件付けという行動の学習についての動物実験があります。教育の基本になっている理論です。

http://www.counselorweb.jp/article/441254429.html

この中の

強化されたオペラント行動に対して罰を与えたらどうなるのか?

スキナーは、動物の強化されたオペラント行動に対して電撃や殴打の罰を与えて実験をしていますが、結果、オペラント行動の抑止は一時的でした。罰を与え続けても、罰を受けていない群とオペラント行動の頻度にほとんど差がなかったのです。

このことから、強化された行動は強化子がある限り苦痛を伴ってでも実行され、人間に置き換えて考えても行動を抑制するための体罰は、その効果が一時的で、その後効果が無くなると言えます。

つまり、学級崩壊を起こす子どもは、学校で問題行動をし続けるというオペラント行動を学習しているのです。それを大人からの罰で解消しようとしても、それは一時的で、その後もその罰を与える教師が居ても、学級崩壊は収まらないという子どもの本能を学校は知らないのです。学校は学級崩壊を解決しようとしているのですが、その知識不足のために学級崩壊を解決できないのです。学級崩壊に対して対応をしていると言うモーションを、姿勢を示して、責任逃れをして居るだけです。


学校側の対応法として

1)学校生活を辛くしている担任を換える
2)学級崩壊を起こしている子どもに教室内に居場所を与えてあげる(接近系を与える)。副担任を置いて、その子どもを楽しませる対応をしてもらう
3)子どもに取って最大の接近系は母親ですから、母親に子どもの心を理解してもらって教室内で母親の接近系を与える。但しこれは母親が子どもの心を理解できないとできません。
4)同じく母親に理解をしてもらって、家庭で子どもの心の辛さを十分に癒やしてもらう。これも母親の理解が必要

学級崩壊に巻き込まれた子どもの親として、
1)子どもを積極的に学校に行かさない
2)家の中を徹底的に子どもに取って楽しくしてあげて、学校での辛さを解消させてあげる

現在の学校のあり方の大きな間違いは、授業をして居たらそれで学校側の責任はないという学校側、親側の思いです。そこには子どもがどのように学校を感じているのかと言うことが完全に無視されています。学業の結果だけから子どもを判断している現実が、子どもを学級崩壊の方向へ走らせています。


学級崩壊の原因もオペラント条件付けと条件反射から説明されます。
学級内で授業が(先行刺激)辛い子どもが回避行動を取った(行動)とき、教師から罰を受けた(その結果が回避系の強化子、上記のネット上の記事で正の強化負の強化というような言葉は間違っている)とき、子どもの問題行動は抑制されますが、罰の効果が消失するとまた回避行動を続けます。それと同時に、今度は教師に辛さを生じる条件刺激fecosを学習して、その教師を見たら辛さを生じる条件反射=fecorを生じて、ますます強い回避行動、つまり子どもがよい子を演じる、子どもが荒れる問題行動をする、心の病の症状を出す様になります。子どもによっては学級崩壊を起こすほどの問題行動を取るようになります。また辛さ(嫌悪刺激)の相乗効果も起こして、ますます教室内が辛くなります。それも学級崩壊を起こす原因となります。

この心の仕組みから、上記の対応を考えれば良いことになります


オペラント条件付けは遅延条件反射として脳科学的に説明されます。パブロフの条件反射は無関刺激と無条件刺激が同時に存在したとき、無関刺激が条件刺激と成って、以後条件刺激が加わると無条件刺激がもたらす情動を表現するようになる事実です。大脳辺縁系扁桃体での促通の仕組みで説明されます。オペラント条件付けとは無関刺激(先行刺激)を認知した一時記憶と行動の結果もたらされる結果が生じる情動(強化因子)が同時に存在して、無関刺激の一時記憶(それは無関刺激の認知を意味します)が条件刺激になった反応です。その結果行動は無関刺激が条件刺激に変化したための情動行動に変化をします。

学級崩壊を起こす子どもの行動はオペラント行動です。教室が先行刺激(条件刺激)で行動が学級崩壊を起こす行動、回避系の情動行動です。その結果大人から受ける学級崩壊を起こさないようにする大人の力は嫌悪刺激です。この回避系の情動行動を大人の力で押さえつけることは子どもに新たな嫌悪刺激を与えることになります。この新たな嫌悪刺激で子どもはより辛くなりますが、一時的によい子を演じて大人の力を振るう人の前ではよい子を演じますが、その大人がいなくなると、子どもはより一層問題行動、学級崩壊を起こす問題行動を続けます。

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性格を変えたい 17.06.21

<質問>

私は30歳の女性。祖母の元で暮らしています。不登校から引きこもりとなり、今はとても辛い状態です。この引きこもる性格はどうやったら変わりますか?


<回答>

それはあなたの様な心が辛い人にはできません。できないことをしようとするとますます心が辛くなり、辛さを生じる性格が強化されていきます。その結果が今のあなたではないかと私は推測しています。

性格はそのまま認めていくしかありません(ありのままを認めて性格を変えようとしない)。
しかしその性格が機能をしない生活の仕方をする(何かに夢中になる)と獲得したあなたを辛くする性格は自然と消えて行って、新たな楽しいことをするという性格が身についてきます。これは脳の仕組みからです。


性格とはその人の刺激に対する反応の仕方です。その反応の仕方はその人の成長の過程でできあがっていくし、変化をしていきます。
性格とは(子どもでは4)は入りません。心が大人の機能になったときに4)が性格に加わります)
1)生まれたときから持っている本能
2)乳幼児期に母親を真似して身につけた情動。乳幼児期を超えると、情動は基本的に変化をしません。
3)上記の本能と情動から生活をした経験から身に付けた習慣化した反応の仕方
4)大人になると、それまで身につけた知識からの行動や反応の仕方
です。
子どもで性格を変えるられるのは3)だけです。3)は一種の記憶ですから、3)から反応をしない時間が長くなると、その部分の性格は弱くなっていき、最終的に消失します。その性格がなくなります。
又、新たな3)からの性格を学習することで、今までの性格を変化させることができます。

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心が辛い子どもと母親とのスキンシップ 17.07.06

日本文化では親子の間でもスキンシップを余りしません。特に子どもが大きくなったら殆どしません。それは欧米の文化との違いの一つです。日本には日本特有の文化があって、それが欧米と異なっていても、それはそれで良いですし、欧米に日本人の文化を合わせる必要がありません。

心が辛い子どもでは、子どもの情動で回避系の反応が絶えず生じています。心が辛い子どもの心を元気にするには、この心の中で起こっている回避系の反応を止める必要がありますし、早く子どもの心を元気にするには、かえって接近系にする必要があります。

心が辛い子どもでは絶えず情動で回避系の反応が生じているために、子どもから接近系を求めるのが大変に難しいです。それ故に先回りをしてでも子どもの心に接近系を与える必要があります。しかし大人が考えた子どもに取っての接近系が、心が辛い子どもでは回避系になっていることが多いです。大人が子どものためにと考えて与えた接近系は、心が辛い子どもでは回避系であることが多いので、かえって心が辛い子どの心をますます辛くします。決して先回りをして、心が辛い子どもに大人が対応をしてはいけない理由です。

ところが母親と子どもとの間には、100%確実で、それも最強の接近系が有ります。それは母親と子どもとのスキンシップです。母親(母親が居なくても子どもが母親と認識する人)が子どもにするスキンシップはどんなに辛い子どもの心も確実に癒やすことができます。ですから先回りをしてでも心が辛い子どもに母親のスキンシップを与えることができますし、心が辛い子どもの心を癒やす最も優れた対応法の一つです。

ところが子どもの方から母親からのスキンシップを嫌がる子どもがいます。それは子どもが母親のスキンシップそのものを嫌がっているのではなくて、一番嬉しいスキンシップを拒否してでも伝えたい、今の母親の対応が子どもの心に沿っていないというメッセージを表現しているだけです。ですから、そのような母親でも、強引に子どもとスキンシップをすることが可能ですし、した方が良いです。「母親が子どもとスキンシップをしたい」という理由だけで良いです。それ以外の理由を付けない方が良いです。

子どもの方から母親からのスキンシップを嫌がる理由には二つあります。一つは子どもに登校刺激が加わっている場合です。母親がその登校刺激から子どもを守っていない場合です。もう一つは子ども自身の自己否定です。母親からありのままの子どもを認められていないから子どもが自己否定を起こしています。母親が子どもに加わっている登校刺激と自己否定を先回りをしてでも解決してあげると、子どもは素直に母親のスキンシップを受け入れてくれます。それ以後子どもは元気に動き出します。

日本の子どもの場合、心が辛いときには子どもは登校刺激と自己否定で苦しんでいます。それ以外に子どもが苦しんでいる理由を見つけられたとしても、それらは子どもの心が辛くなっている原因の枝葉、派生因子であり、根本的な原因ではありません。例え家庭内の問題で子どもが苦しんでいる可能性があったとしても、日本の子どもの場合その問題は登校刺激や自己否定から生じているのであり、家庭内の問題だけで子どもの心が辛くなっているのではありません。母親がしなくてはならないことは、スキンシップと一緒に、先回りをしてでも登校刺激と自己否定から子どもを守ってあげる必要があります。

念のために述べておきます。母親からのDVで辛くなっている乳幼児がいます。この場合乳幼児は未だ登校刺激が存在しません。自己否定も存在しません。乳幼児は母親のDVに苦しんでいても、その苦しめる母親を大好きです。その苦しめる母親とのスキンシップを求めます。子どもにスキンシップを与えることで、母親の母性が引き出され、母親からのDVが解決できる場合があります。

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何故登校刺激が悪いのか 17.07.23

不登校学会、心の病検討会に教育委員会の方が来られました。その際に何故「登校刺激が良くないのか」という質問がなされました。その質問への回答です。

1)大人の心(脳の機能)と子どもの心と大きく異なるという事実
大人の脳と、子どもの脳と異なります。子どもは言葉を話しますが、言葉で自分の行動を決定することはできません。子どもの行動は全て情動行動と考えると間違いがありません。

子どもの心を大人の心で考えても、子どもの心に沿っていないので、大人の考える不登校対策は子どもの心に沿っていない。子どもの心を考えるときには、子どもの情動(大脳辺縁系)の機能から考える必要があります。動物、特に類人猿から痲バブ必要があります。

2)大脳辺縁系の機能とは、接近系と回避系に大きく分けられます。接近系の学習はパブロフの条件反射です。回避系の学習は辛さを生じる条件反射(Lou Doux)です。不登校とは、辛さを生じる条件反射fecorの機能です。

3)専門家、学校の先生方など大人は辛さ(回避系)に慣れがあるように考えていますが、辛さに慣れがないばかりか、相乗効果があります。繰り返す辛さで、辛さ同士に相乗効果を生じて、教師から見たら些細なつらさでも、当人にはとても強い辛さと感じられて、辛さを生じる条件反射fecorを学習してしまいます。それらの辛い出来事は学校の中で行われますから、辛さを生じる条件刺激fecosは学校が一番強くなります。それ以外の物にも辛さを生じる条件刺激fecosを生じますが、その都度その都度異なりますから、それらの条件刺激はだんだん弱まっていき、共通の学校という辛さを生じる条件刺激fecosだけが残ります。

4)不登校の際の心の仕組みは、学校をfecosとするfecorの反応だと言うことは、不登校の子どもから学校を取り上げることで解決することから、間違っていないことが分かります。

5)学校に関する刺激=登校刺激(その仕組みを考えると学校刺激と言うべき)を与えるとfecorが反応して、子どもは辛さを表現します。その辛さの表現は子どもが持って居る本能と、それまでに子どもが身につけた習慣から異なってきますから一様ではありません。


来られた教育委員会の方は、検討会の参加者の子どもの経験の話から、これほど登校刺激が子どもを苦しめているのかという事実を知らなかったという感想がありました。不登校の子どもを持ったことがない大人では、どうしてもその大人の持っている知識から勝手に判断してしまうことは仕方ないことですが、それでは登校刺激で苦しんでいる子どもがあまりにもかわいそうです。


お医者さんへのお願い。

子どもの心が辛くてその辛さを回避できないときには、その子どもの性格が外向きに症状を表現しやすい子どもでは暴力という形で表現されることが多いです。このような子どもをお医者さんが診断すると「統合失調症」と診断されて薬が投与されてしまうことが多いです。
又辛さを内向きに表現しやすい子どもでは「鬱病」「発達障害」などの病名をつけられて、矢張り薬を投与されてしまうことが多いです。

この子どもの心の辛さを薬で隠すことはできますが、解決はできません。ほぼ間違いなく100%、学校というfecosに反応したfecorが出している症状だと気づいて欲しいです。


登校刺激を止めたら、子どもは好きなことだけをして、学校に行かなくなると考える先生や大人が多いです。それは子どもの心をなくした大人の考え方です。

不登校、引き籠もりの子どもは、登校刺激が無くなると、又家の中で家の中で楽しく過ごしていると、その心は普通の子どもと全く同じになります。子どもの本能が機能をするようになります。心が辛い子どもに関係する本能とは

1)母親に守られている必要
2)与えられた環境に順応するように成長をしようとする
3)自発的な心のエネルギーが大きい
4)子どもの集団を求める、新しいことを求める
の四つを踏まえて考えれば良いです。これらの本能は、ダーウィンの進化論から帰結されます。考えてみてください。

子どもが不登校、引きこもりの問題を解決して学校(子どもの集団)や社会に向かって成長するには、子どもの心が辛くなる場合があります。子どもは母親に守られている必要があります。子どもは母親以外の人にそれを求めないという事実があります。そのためにも母親を守ることで子どもの不登校、引きこもりの問題を解決できるのであり、基本的に母親以外の人では不登校、引きこもりの問題を解決できないのです。もし母親以外の人により子どもの不登校、引きこもりの問題が解決したと考えられる時には、子どもがよい子を演じている、子どもが無理をして大人にあわせていると考えなければなりません。

大人が家で楽しいことをしていたら、一生引きこもりを続けると考えます。それが間違いです。子どもは心が辛くなくなったら、子どもの本能から、積極的に自分の能力を伸ばそうとします。現状維持はしません。その伸ばす方向とは今自分が置かれている環境の中で、母親があって欲しいと希望をする方向です。子どもの周囲の人や物と一番軋轢を起こさない方向です。つまり子どもは周囲から求められる方向に成長をしていきます。子どもは周囲から嫌がられることをしません。もし周囲から嫌がられることをしたときには、子どもが失敗をしたと考える必要があります。その後子ども(心が辛くない)は必ず修正します。この能力は大人にはない能力です。

上記の子どもの成長する方向に向かって、子どもは子どもの能力を総動員して成長をします。その速度は子どもによって異なりますが、子ども自身は自分の持つ能力を最大限発揮します。これも大人にない能力です。

子どもの能力を伸ばすには、子ども自身がどの能力を求めるのかを、子ども自身で無理なく決めて行く必要があります。それは子どもの集団の中で可能になります。子どもは自分以上の能力がある子どもの真似をするだけで良いのですから。そしてその能力を得たときに子どもはとても大きな喜びを感じ、次の新しい能力を子どもは自分から求めます。そのために新しいことを求めようとします。それは学校に中にありますから、子どもは心が学校によって辛くされないなら、自分から学校に行ってしまいます。それは親が登校を禁止しても、子どもの方からそれを押しのけて行ってしまうほどです。

親が子どもに登校を禁止することで、学校で辛くなる子どもを守ることになります。また、子どもの心が元気になると、親が子どもに登校を禁止しても、子どもはそれを押しのけて学校に行ってしまいます。ですから、親だけは子どもが登校することを禁止することができます。


不登校学会検討会に参加なさった教師から、「不登校の子どもに教師として何かできることがありますか?」という質問がありました。

不登校の子どもは学校(fecos)に反応をする辛さを生じる条件反射fecorを持って居ます。それまで学校に行っていた子どもは、先生、勉強、友だちを意識すると、無条件で学校を連想します。つまり先生、勉強、友だちは、不登校の子どもに登校刺激になります。

子どもが不登校である限り、そして先生が子どもに近づく限り、子どもに先生を意識させる限り、子どもは登校刺激を感じて、先生を拒否します。先生に会おうとしません。又会ったとしても、先生が帰った後子どもがひどく荒れます。母親に強い不信感を持って、母親に不登校問題の解決法がなくなってしまいます。

子どもが不登校になって学校に来なくなったら、学校の先生には子どもの不登校問題を解決する方法はありません。母親に任せるしかありません。先生は不登校の子どもに何もしない方が良いです。しかし不登校の子どもの母親の多くはそれを知りません。何もできない学校を非難することがあります。それも先生方にはとても辛いことです。

不登校の子どもを無くするために先生ができることは、子どもの心は既に不登校でも、子どもが学校に来ている内に対応をすることです。子どもが学校生活を楽しめるように対応をすることです。但し先生が子どもに楽しいはずだとしてする対応でなくて、子どもが心から楽しいと感じる必要があります。

ではどうのようにして、心は不登校だけれど、学校に来ている子どもを見つけたら良いかと言う問題があります。そこで子どもの心が辛くなると、子どもはどのような反応を示すかを知っておく必要があります。子どもは心が辛くなると、 「子どもを辛くする物に対して則坐に反応をします」。
1)その辛いことから逃げようとします。
2)逃げられないときにはよい子を演じます。
3)よい子を演じられなくなると暴れたり、問題行動をします。
4)暴れたり、問題行動ができないと心の病の症状を出します。
これらの症状と平行して、子どもは自律神経の反応症状を出します。それは言葉を換えて表現すれば、心が辛いという意味です。

1)子どもがしばしば学校を休む、所謂五月雨登校をする場合、子どもの心が不登校の場合が多いです。常識的にはきちんと学校に来させる様に親に協力してもらう物ですが、子どもの立場から言うなら、安心して五月雨登校をさせてもらえるように教師は対応をすべきでしょう。
保健室登校、別室登校も、教室には入れないから、これらの場所に逃げて居ます。しかしこれらの場所も登校刺激になっていますから、学校を休ませてあげた方が子どもを不登校にしません。

2)子どもがよい子なら、先生方は本当にありがたいです。ところが子どもがよい子を演じて居る場合と子どもが本当によい子の場合と見分けるのは大変に難しいです。見分ける方法は、良い子過ぎる姿をしている子ども、陰で問題行動をしている子ども、母親の前と違う姿をしている子どもなどが参考になります。

3)子どもが暴れたり虐めや物を壊すなどの問題行動をしている場合、子どもの性格に問題があるので、性格を正す必要があると考えるのが常識です。しかし、子どもの立場から言うなら、学校が辛いから無意識にこの様な行動に出ています。この子どもは学校のことで苦しんでいると先生方は理解する必要があります。子どもが暴れたり問題行動をしない場所に子どもを保護して、学校に反応をするトラウマ=fecorが消失するのを待つ必要があります。

4)子どもが心の病の症状を出しているときには、常識的には病院に連れて行って治療を受けさすのですが、子どもには心の病はありません。全て辛さに耐えかねて心の病の症状を出しています。子どもが心の病の症状を出さないところにかくまって、学校に反応をするトラウマ=fecorがなくなるのを待つ必要があります。

不登校の子どもに先生方ができる対応とは、子どもが1)と2)の段階で、対応をしてもらうしかありません。

ところが先生が学校で子どものためによかれとして続けてきている対応で子どもは辛くなって不登校の心(学校に反応をするトラウマ=fecorを持ってきている)になって来ています。つまり先生方には不登校の心を持った子どもの心が分からないという意味です。先生方が知っていらっしゃる子どもの心とは不登校の心を持たない子どもの心だからです。

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心が辛い子どもの居場所 17.09.07

$$1子どもの居場所とは

子どもには衣食住を満たしてくれる場所(居場所)が必要です。子どもはその本能から、居場所を求めています。子どもに取って居場所がないと子どもの生命が危険にさらされますから。子どもが成長して自然淘汰に耐えられるようになるためには、人間の場合人間社会の中で生きていくためには、生きるための能力と心の成長が必要です。そのために子どもの居場所には子どもが信頼できる大人の存在が必要です。

子どもの居場所は子どもに取って危険(情動の回避系)があってはなりません。危険があっても短時間に危険が去る必要があります。このような居場所には母親の存在が好都合です。母親は本能から子どもを危険から守ろうとしますし、子どもは暖かくて、柔らかいその母親の肌に触れることで、安心感(情動の接近系)をその本能から感じることができます。

情動の接近系が機能をし出すと、子どもは成長のための本能が機能をし出します。子どもは何かを求めて動き出します。危険を感じたら居場所に逃げてきます。危険が去ったら、子どもは居場所から出て又何かを求めて動き出します。その何かを求めて動いているときの経験が、その子どもの能力を高めていきます。危険を回避したり乗りこえる能力を子どもに与えます。

人間の場合心が辛い子どもが居ます。人間以外の動物ではこの状態の子どもは淘汰されてしまいますから、存在しません。心が辛い子どもでは、いつも回避系が機能をしています。社会の中で子どもの回避系が絶えず機能をしていますから、回避系のない居場所に子どもは逃げていき、回避系が機能をしなくなる時を待つ必要があります。心が元気な子どもでは、社会の中で子どもの回避系が機能をしても、居場所(母親がいさえすれば)に逃げ帰ると回避系がまもなく消失して、又社会の中に出ていくことができます。

心が辛い子どもは回避系の反応が極めて強い子どもです。居場所にいてもその回避系はとても敏感に反応をします。又居場所の中に子どもの回避系が機能をするような物がある場合もあります。それらの回避系を押さえつけて子どもに接近系を与えられるのは、母親からの信頼とスキンシップ(母性)です。子どもの本能では、母親からの信頼とスキンシップがどのような回避系にも打ち勝つ接近系として機能をします。

母親によっては母性が発揮していない場合があります。その場合には子どもは色々な形で母親の母性を引き出そうとします。その母性を引き出そうとする子どもの行動は、母性が発揮していない母親には辛い行動です。子どものこの母親へ辛い行動を少なくする母親の対応が、母親に母性が機能をしている母親の姿です。

$$2 「家の中」

心が辛い子ども(以後子どもと表現します)は、少しでも心が楽になる場所(接近系が有る場所、又は回避系が弱い場所)に逃げていきます。これは脳の仕組み(情動の回避系)がそうさせます。逃げる場所がないときには、子どもは荒れたり、問題行動をしたり、心の病の症状を出します。別の言い方をすると、子どもが自分の部屋の中で荒れたり、問題行動をする、心の病の症状を出すときには、子どもが逃げていく場所がないと理解して間違い有りません。そして子どもが今いる場所がその子どもに取って他の場所と比較して一番心が楽な場所と子どもが判断している場所です。

子どもが回避系のない場所に逃げられたら、子どもには自発的に生じる接近系=エネルギー)が有ります。それは大人に無い物ですから、大人は子どもについてついつい無視してしまう物です。子どもがそのエネルギー(情動の接近系を生じる物)を貯めて高めていきますと、子どもは逃げた場所の外にある回避系をそのエネルギーで解消をして、逃げた場所の外に出て行くようになります。

子どもに取って回避系のない場所として、それまで過ごしてきた自分の部屋が一番好ましいです。又、あらゆる回避系を解消してくれる母性が働く母親の側(母親から守られている場所)が一番良いです。子どもが自分の部屋で辛そうにしていると言うことは、部屋の中にも未だ回避系が有ると理解できます。子どもが自分の部屋で楽しそうにしているのは、子どもの部屋の中に回避系がなく、エネルギーが貯まり始めたと言う意味になります。

子どもが部屋の外に出てきて、家の中で楽しく過ごしているなら、家の外に未だ回避系が有るという意味になります。家の中には回避系がなくなったか、有っても母親の母性やその他の接近系で打ち消されているという意味になります。家の中に接近系が多くなり、回避系が少なくなったりなくなると、子どもはますますエネルギーを貯めて(回避系が少ないほど早くエネルギーは貯まります)、家の中だけで子どもが求める物が無くなるので、家の外の接近系を求めて、回避系に挑戦するようになります。

子どもが自分の部屋でなく、家の居間で過ごしている姿がエネルギーに富んでいる姿なら、多くの場合自分の部屋で過ごす必要が無くなったという意味で、必要ならいつでも自分の部屋で過ごせます。

子どもによっては居間には回避系がないけれど、自分の部屋には回避系が有るという場合もあります。この場合には自分の部屋に戻ることができません。その場合は今ひとつどこが子どもに元気がありません。エネルギーが不足気味です。

例外もないわけではないですが、一応このように考えて母親に対応をしてもらう必要があります。

$$3 「家の外」

不登校引きこもりの子どもが家から出る場合、
1)家の外の方が家の中より嫌悪刺激が少ない(親が家の外に押し出す)
2)家の中に回避系はないが、家の外に大きな接近系が有り、それを求めて家を出る
3)子どもの心が元気になると、自発的な欲求から目的もなく何かを求めて家から出る
と大きく分けて三つの場合があります。

2)と3)は家の外に居場所を必要としません。家が居場所だからです。子どもに取って自分が育ってきている家は他に掛け替えのない居場所なのですから。

1)は家の外に居場所を求めます。子どもに取って最高の居場所は自分の家です。しかし自分の家に居場所を求められないから、家の外に居場所を求めなくてはなりません。その意味では子どもに取って不本意な居場所です。

子ども自身が見つけられる家の外の居場所は子ども同士がたむろっている集団です。
親が与える居場所はフリースクールや色々な支援サークルです。家の中に居場所を求められない子どもはこれらに属さなければなりません。これらの居場所が子どもの求めている物に合っているとしても、子どもに取って母親の側である家の中が一番好ましい居場所です。子どもはよい子を演じてあたかもこの与えられたい場所を喜んでいるように振る舞います。

親が与えた居場所が子どもに取って辛かったら、子どもはその居場所に行こうとはしません。家の中に逃げ帰って、家の中は安全な居場所でないので、子どもは荒れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出す様になります。

親が与えたい場所が子どもに取って辛くても、よい子を演じられる範囲なら、子どもは他に行き場がないので、これらの居場所に行きたい、これらの居場所は楽しいと言います。一方でこれらの居場所は子ども達にとって楽しい居場所に工夫して作られています。ですから子どもはこの居場所の中でよい子を演じ続けることができます。よい子を演じ続けて居る内に、その子どもなりに何かその子どもらしさを見つけられたら、子どもはその居場所に行き続けます。それでも母親がいる自分の家にはかなわないのですが、多くの親はその事実に気づかないで、親が与えた居場所に期待をし続けてしまいます。

これらの居場所で本当に子どもの心が元気になれるでしょうか?これらの居場所の中にその子どもらしさを見つけられた子どもは確かに元気になれます。元気になって学校や社会に出て行ってくれます。その様な子どももいることは事実です。しかしそれはその居場所を利用する子どものほんの一部です。多くのい場所を利用している子ども達はよい子を演じてやむを得ず通い続けています。なかなか元気な子どもになれません。

これらの居場所に属していて楽しくしている子ども達の本心は、家で、母親の側でその子どもなりに生活し成長をすることを、その子どもの本能で求めています。しかしそれが許されない子ども達です。そこで子どもによってその程度は異なりますが、子どもは葛藤状態になります。心が辛くなります。その辛さを居場所が持つ楽しさで薄めて子どもは生活し成長をしていきます。心の成長にとても非効率です。子どもの心の成長が遅いか、心の成長を来さない子どもが多くいるのではないかと推測されます。

$$4 結論

子どもがその本能から求める居場所は、母親や子どもが母親と認識する人の側です。それは多くはその子どもの家の中です。子どもは居場所で回避系を解消して、接近系を高めて、その接近系から家の外と関わろうとします。家が子どもの居場所となっている限り、家の外に居場所は必要ありません。

子どもが家の外に居場所を求めているときには二つの可能性があります。
1)家にい場所があり、接近系が十分にあって、家では得られない接近系を求めてい場所に来ている場合
2)家に居場所がなくて、家の外の居場所を求めた場合か、親が家から押し出し与えた居場所にやむを得ずいる場合
があります。

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子どもの心は大人の心と異なる 17.09.07

心の問題を扱うとき、多くの場合経験的な事実から答えを出してきます。心の問題を科学的に扱おうとするとき、今は主として統計的な処理から答えを求めています。

心は脳の機能ですから、脳を科学的に考えることで、今まで以上に心を科学的に扱うことができるようになります。心という意味で脳の機能を考えると、大きく分けて言語で表現される心の機能、習慣からの心の機能、情動の機能の3つに分けることができます。

言語で表現される心の機能とは、大人が意識的に行っている機能(頭頂葉から側頭葉にかけてと、前頭前野の機能)です。言葉で考え、判断し、行動をする機能です。言語で表現される心の機能は、どの年齢でも言葉で表現することができますが、行動に表現するには思春期を超えなければなりません。思春期を超えて意識的な行動の練習を重ねることで、可能になります(先頭前夜の機能)。

習慣からの心の機能は、それまで情動行動を繰り返した結果、又は意識行動を行った結果、全く同じ行動が意識に上らない判断で実行されてしまう場合(前頭葉の機能)です。

情動からの心の機能とは、生じた情動で行動をしてしまう場合(大脳辺縁系の機能)です。この行動は具体的にはいろいろありますが、その根底にあるのは接近系の行動と回避系の行動に分けられます。情動(本能も情動に入ります)の特徴として、情動は2,3歳頃までに完成し、それ以後基本的に変化をしません。一生を通して同じように情動反応を生じます。

子どもは生まれると、まず情動からの行動をはじめて、その行動を繰り返すことで習慣の心からの機能から、情動を生じなくても習慣的な行動が可能になります。しかし今までの習慣にない行動をするときには、報償か罰を与えることで、情動行動という形で新しい行動をすることが可能になります。その報償か罰を与えてそのたっらしいこうどうを繰り返すことで、少々や罰がなくても、習慣からの心の機能でその新しい行動を続けることが可能になります(躾け)。

その間、子どもは知識を増やしていきます。その知識に基づいて大人顔負けの言葉を発します。しかしその知識からの行動は不可能に近いですから、大人から報償か罰を与えないと、その行動はできません。報償か罰があるときにはその行動をしますが、報償や罰がないところではいくら知識があったとしてもその行動をしません。

ところが思春期を超えてある時間経つと、子どもはその知識からだけで行動が可能になります。大人の行動になります。大人の行動になるばかりでなく、同時の生じた情動を無意識に調節してしまい、あたかも情動が働かないように見えるようになります。

それをまとめますと

子どもは知識から言葉を発しますが、言葉通りに行動はできません。言葉通りに行動をさせるには、報償か罰が必要です。子どもの行動の主たる部分は情動からの行動です。この情動行動を繰り返すことで、情動を生じなくても、習慣から行動が可能になります。子どもは幼ければ幼いほど情動行動が中心になり、年齢が進むと習慣からの行動が多くなっていきます。

大人は知識から行動をします。理性的な行動です。それと習慣からの行動とで社会生活をします。情動は意識から調節されていて、あたかも働いていないように見えます。この情動が調節できないほど強くなったときに、激情、パニックという状態になります。

思春期からの数年間(心が元気な子どもでは2,3年ですが、心が辛い子どもでは大人年齢までになる)は知識からの行動と情動行動との混在期間になります。今まで知的でおとなしかった子どもが突然荒れ出すのはこの時期になってからです。


このように大人の知識からの反応の仕方を子どもに当てはめても、それだけで間違いです。ですから大人の間で成立する心の反応の仕方は、多くの場合子どもには当てはまりません。しかし子どもの心の反応の仕方は大人にも良く当てはまります。大人の心を研究する場合でも(心理学)子どもの心を研究する場合でも(小児心理学)、子どもの心を知らないと、科学的な、実効性のある心理学はできあがりません。

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自律神経症状と心の病の症状 17.09.08

人間の回避系の本能として、
辛くなると逃げる
逃げられないとよい子を演じる
よい子を演じられないと荒れる問題行動をする
荒れる問題行動ができないと、心の病の症状を出す
と申し上げてきていました。

この心の病とは精神症状であり、医者から見て鬱病とか、統合失調症と診断されるような症状です。

このほかに体の症状として自律神経失調症の症状があります。この自律神経失調症の症状とは自律神経を介して表現されています。自律神経の症状とは何かを考えてみて下さい。辛くなると逃げるとは危険を感じると逃げるという意味です。動物では殆どこの段階までです。それ以上の辛さがあるときには死を意味しますから。

辛さから逃げる、危険から逃げるには、内臓の機能よりも逃げるための筋肉の機能が最優先されます。そのために脳(大脳辺縁系や脳幹は自律神経やホルモンを介して、筋肉が一番良く働くように調節します。つまりホルモンで代謝を高め、心拍や呼吸を高めます。その代わり消化管の機能を低下させます。多くの動物ではこれまでで、これにより生き延びられた動物は自律神経の機能を元に戻します。
生き延びられない動物は、死んでしまいます。自律神経失調症の症状と書きましたが、見かけ上失調の状態であり、人間が辛いことから逃げられない中で、何とかして逃げようとする、ある意味で自然な反応なのです。生理的な反応なのです。

ところが人間は命だけは守られます。よい子を演じる、荒れる問題行動をする、心の病の症状を出す段階でも、自律神経は機能をし続けています。その機能もより機能を高めて、人間が動物時代に獲得したように、逃げるために自律神経の機能をより一層、ひょっとしたら極限まで高めています。その結果、人間は動悸がする、胸が痛い、息苦しい、腹痛がする、吐き気がする、嘔吐する、下痢をする、
免疫異常を起こすなど、あらゆる病気の症状を出します。つまり病気の症状とは全て自律神経を介して表現されています。それ以外に心の病の症状=精神症状という物があります。これは一部大脳新皮質が関与していますから、自律神経の症状とは違います。但し殆どの場合自律神経症状を伴っています。

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子どもの行動学(行動条件反射の提案) 17.10.06

$1 子どもの行動学

子どもは言葉を話しますが、言葉からの行動ができないかとても下手です。それは前頭前野部分の髄鞘化が不十分なことから生じています。
言葉からの行動とは意識行動です。この意識行動は個人差があって意識行動の理解の理解、理論化はとても難しいです。ところが子どもはこの意識行動がありません。子どもに大人のような意識行動があるように見えるときがあっても、それは気づかない情動刺激からの情動行動です。子どもには動物の行動学がそのまま当てはまる場合が多いです。そして大人の行動を知るには、子どもの行動の仕方に大人の持つ意識行動の要素を加えれば、理解が可能になります。

$2 子どもの性格

刺激を受けて、内在的な欲求からの行動の仕方反応の仕方を性格と言います。その子どもの性格は
*子どもの本能
*母親から受け継いだ情動
*成長と共に、子どもの本能と情動から行動をした結果の経験
から成り立ちます。年長の子どもでは、子どもの本能と情動から行動した結果の経験の割合が大きくなります。

$3 条件反射

条件反射とは、無条件刺激と無関刺激が同時に存在すると、その個体は両方を認知(意識するとは限らない)すると同時に、大脳辺縁系の扁桃体で無条件刺激から生じる情動の神経回路に無関刺激の神経回路が結びついて、それ以後無関刺激があると無条件刺激の神経回路で反応をするようになる現象です。その仕組みは省略します。つまり無関刺激が無条件刺激の情動を体中に表現するようになります。条件反射では道具的行動に表現されません。

$4 遅延条件反射

遅延条件反射とは、無関刺激を受けても、その無関刺激の記憶が大脳新皮質の神経回路に残っています。これを短期記憶と言います。その残った大脳新皮質の神経回路の情報は=短期記憶は残っている間も大脳辺縁系扁桃体に送られ続けられています。そこに新たに無条件刺激が加わって、短期記憶の無関刺激と無条件刺激との間に、条件反射と同じことが起こってしまいます。当然、無関刺激と無条件刺激との間の時間的なずれが少なければ少ないほど、条件反射が強く学習されます。

$5 条件反射と遅延条件反射との違い

つまり条件反射と遅延条件反射の違いは、無関刺激と無条件刺激が同時に存在するか、時間的にずれてしょうじるかの違いです。この無関刺激と無条件刺激との時間のずれは、何で生じても良いです。オペラント条件付けではその間に行動がある場合です。

$6 遅延条件反射とオペラント条件付け

オペラント条件付けでは無関刺激が存在している環境下で、たまたま又は他からの関わり(prompt)である行動が生じて、その行動の結果無条件刺激が生じたとき、その後の行動がどうなるかを示しています。その際に無条件刺激がそのある行動に影響を及ぼす及ぼし方についての考え方です。

Skinner's box(ネズミのケージの中にボタンとえさ箱があり、ボタンを押すと餌が出てくる)でのネズミの観察は遅延条件反射の一面の観察だけです。また、ネズミの行動は新しい環境下での探索行動(新奇刺激は動物が持つ本能で不安を生じます。その不安を解消するために新しい環境を知ろうとする行動)です。人間でも新しい環境下での探索行動に当てはまりますが、人間の場合には探索行動以外の情動行動や意志からの行動があり、オペラント条件付けが当てはまらない場合が多いです。
探索行動の結果ネズミがボタンに触れたとき、餌が与えられたことから、ネズミは積極的に繰り返しボタンに触れて出てきた餌を食べ続けます。

この実験を続けていますと、やがてネズミはボタンを押して餌が出ても餌を食べに行かなくなりますし、ボタンを押さなくなります。オペランド条件付けとは異なってきます。オペラント条件付けは空腹のネズミに成立する遅延条件反射なのです。オペラント条件付けは、実際のネズミ、実際の人間ではある条件下(探索行動)で成立しますが、それ以外の要素を踏まえて考える必要が出てきます。そこまで踏み込んで考えるのが遅延条件反射および脳科学です。脳科学心理学です。

オペラント条件付けでは、行動の結果が行動にどのように影響を及ぼすかを考えるのに便利です。行動を強化する物(強化因子)を促進因子、行動を抑制する物を抑制因子と表現します。その影響の仕方は情動ですから、無条件刺激は、接近系と回避系に相当します。行動の習慣化の問題を考えるときには、行動の結果として生じる強化因子が条件刺激が接近系か回避系かを考えた方がより正確に行動を理解できます。オペラント条件付けの促進因子には情動の接近系も回避系も有りますし、抑制因子には情動の接近系も回避系も有ります。

オペラント条件付けは数回条件付けを行うことで成立します。オペラント条件付けが成立した時点で、オペラント条件付けされた動物にとって、先行刺激は無関刺激から情動刺激に変化をします。強化因子が接近系ですと、先行刺激が接近系の情動刺激に、強化因子が回避系ですと、先行刺激は回避系の情動刺激になります。オペラント行動は先行する情動刺激によって引き起こされた情動行動、情動を実現するための行動=道具的行動になります。

学習した情動刺激は一種の記憶です。その記憶を長期間使用しないと忘れてしまいます。オペラント条件付けが解消されてしまいます。先行刺激が提示されてもオペラント行動を生じなくなります。しかし、それでも強化因子が提示されると、急速にオペラント条件付けが回復します。

オペラント条件付けが成立した条件下では、先行刺激が提示されますと、オペラント行動(道具的行動とも言う)が生じます。オペラント行動が生じて、その後に強化因子があると、その後も先行刺激が提示される度にオペラント行動を生じます。それ故に習慣化と表現されますが、オペラント行動が習慣化しても強化因子が必要だという事実を忘れないでください。

強化因子が接近系ですと、接近系には慣れがあります。接近系の効果が減少します。その結果、長時間オペラント条件付けをして居ますと、オペラント行動は習慣化しますが、同時にオペラント行動は段々弱くなっていき、場合によってはオペラント行動が消失してしまいます。

もし接近系の強化因子が突然無くなると、オペラント行動をした後に動物は葛藤状態になります。先行刺激が提示されてもオペラント行動をしないで、その場にそぐわない問題行動をするようになります。行動の習慣化が壊れてしまいます。それ故にオペラント行動の習慣化を維持するためには強化因子を与え続ける必要があります。

強化因子が回避系ですと、オペラント行動は大変に複雑に変化していきます。まず先行刺激が回避系の条件刺激として学習されます。その結果先行刺激が提示されると、回避系のオペラント行動を取りますが、繰り返されることで、回避系の刺激の相乗効果、汎化を生じて、複雑な回避行動取るようになります。示された先行刺激でのオペラント行動は無くなり、絶えず回避行動だけをするようになってしまいます。

$7 Skinner's boxで説明

ケイジの中のボタンが先行刺激です。そのボタンを押すのがオペラント行動です。ボタンを押すと出てくる餌が接近系の強化因子です。

習慣化1)ネズミが何かの拍子にボタンを押したら餌が出たので、ネズミは直ぐにボタンを押して餌を得るようになります。そこでボタンを押す習慣化が生じました。

習慣化2)これを続けていますと、ネズミは満腹になって来ます。ボタンを押すのが習慣化していますから、ボタンを押しますが、餌を積極的に食べようとしなくなります。満腹により強化因子が弱まってきたからです。その内にボタンを押すことすらしなくなります。

習慣化3)ボタンを押して餌を得る行動が習慣化したネズミの、その習慣化したネズミのボタンを押そうとする行動を何かで止めることを考えます。接近系の強化因子例えば餌を与えたとき、ネズミはボタンを押さなくなります。ボタンを押さないで餌を得ようとします。これが習慣化した行動をさせないためのオペラント条件付けになります。このとき与えられた餌は接近系の抑制因子です。

習慣化4)ボタンを押して餌を得る行動が習慣化したネズミの、その習慣化したネズミのボタンを押そうとする行動を何かで止めることを考えます。回避系の強化因子例えば電気刺激で痛みを与えたとき、ネズミはボタンを押さないで逃げ出します。これが習慣化した行動をさせないためのオペラント条件付けになります。このとき与えられた痛みは回避系の抑制因子です。これを数回繰り返すと、ボタンは接近系の条件刺激から回避系の条件刺激になってしまいます。ネズミはボタンに近づこうとしなくなります。痛みは回避系の抑制因子になります。

習慣化5)ボタンを押して餌を得る行動が習慣化したネズミの、その習慣化したネズミのボタンを押した後、餌を与えないで電気刺激で痛みを与えたとき、ネズミは葛藤状態になります。混乱状態になります。それを何回か繰り返すとネズミはボタンを押さなくなります。ボタンが回避系の条件刺激になります。ボタンに近づこうとしなくなります。痛みは回避系の抑制因子になります。

習慣化6)ボタンを押して餌を得る行動が習慣化したネズミがボタンを押した(オペラント行動)後、餌を与えないとき、ネズミは葛藤状態になります。混乱状態になります。それを何回か繰り返すとネズミはボタンを押さなくなります。ボタンが回避系の条件刺激になります。ボタンに近づこうとしなくなります。接近系の強化因子がなくなることは、回避系の抑制因子になります。

習慣化7)ボタンを見て、そのボタンを押さないでいても餌(習慣化した行動の接近系の抑制因子)を得られるようになっていてネズミが、その餌を得られなくなると、つまり習慣化した行動の抑制因子がなくなると、今までの習慣化したオペラント行動が現れてきて、ネズミはボタンを押して餌を得るようになります。習慣化したオペラント行動が記憶されていたからです。習慣化したオペラン行動の神経回路は脳内に長く存在します。そのオペラント行動が表面化しないのは、そのオペラント行動の神経回路が何かの理由(この場合は習慣化した行動の接近系の抑制因子)で抑制されて、表面に行動が表れないだけです。

習慣化8)ボタンを押して餌を得る行動が習慣化したネズミがボタンを見て、オペラント行動を起こして、餌を与えられないばかりか、電気刺激などで痛みを受けたら、ネズミは葛藤状態に成って、混乱状態に成って、それ以後ネズミはボタンを見てもオペラント行動を取らなくなります。このときの痛みは回避系の抑制因子になります。ボタンも回避系の条件刺激となります。
このとき、ボタンを押した後餌と電気刺激による痛みとを同時に与えられたら、その反応はとても複雑です。ネズミの空腹の程度と電気刺激による痛みの強さによって異なります。ネズミの空腹の程度が強くて電気刺激による痛みが弱いと、ネズミは痛みを与えられてもボタンを押して餌を得ようとします。ネズミの空腹の程度が弱くて、痛みが強いと、ネズミはボタンを押さなく成ります。
痛みは回避系の抑制因子になります。接近系の抑制因子より効果的にオペラント条件付けで成立した習慣行動や他の習慣行動を効果的に抑制できます。この際に見た目には習慣行動の抑制と観察されますが、先行刺激が回避系になっていて、先行刺激がある限り情動に不安を生じていることを忘れないでください。この痛みを取り除き餌を与えると、ある時間をおいてネズミは元の習慣行動が出てきます。

$8 先行刺激が回避系の場合

以上は先行刺激が無関刺激か接近系の刺激の場合でした。以下は先行刺激が回避系の場合です。ケージの中のボタンにネズミが回避系の情動を学習している場合です。ネズミは自分からボタンを押すことはありません。ボタンの存在でネズミは回避行動を取ります。ボタンはpromptとも理解されます。

習慣化行動9)ボタンが既に回避系の先行刺激となっている場合で、何かの理由で(prompt)でネズミがボタンを押した場合です。ネズミは餌を得ることができます。この際のボタンが持つ回避系の強さと、えさが持つ接近系の強さでその後のオペラント行動が異なってきます。餌が持つ接近系が強いとネズミはボタンを押して餌を得ます。繰り返すことでこの餌によりボタンの回避系は段々弱まって、最終的にボタンが接近系になってしまいます。

習慣化行動10)餌が持つ接近系の強さがボタンの持つ回避系と同じぐらいかそれ以下の時、ネズミは一時的に回避行動を弱めますが、その後又回避行動を続けます。つまり先行刺激の回避系と抑制因子の接近系の力関係でその後のネズミの行動が異なってきます。

習慣化行動11)何かの理由で(prompt)でネズミがボタンを押したとき、ネズミに電気刺激などで痛みを与えたとき、ネズミはまずその傷みに反応して暴れるという回避行動を取ります。その後傷みがなくなっても、ボタンがある限り、暴れるなどの問題行動をします。痛みが回避系の強化因子になります。ボタンの持つ回避系の条件刺激がより強くなります。それだけでなく、ケージなどのボタンの周囲にある物に回避系の条件刺激を学習してしまい、その回避系の条件刺激から、ボタンがなくてもネズミは荒れ続けることになります。ネズミによって回避系の条件刺激は異なりますが、ボタンがなくても回避系の条件反射を起こしてしまいます。トラウマ=fecorを受けた状態になります。

$9 オペラント行動と道具的行動

オペラント条件付けとは、先行刺激があって、その時ある行動があって、その行動の結果がそのある行動を強化したり、抑制すると理解する考え方です。その結果がどのようにその行動を強めたのか、その行動を弱めたのか、その仕組みは配慮していません。

しかし現実は、先行刺激があって、行動があって、その後その先行刺激があるとその行動が強まったか弱まったかという事実です。行動の結果が直に行動を強化したとか抑制したとかの説明はできませんし、証拠もありません。

遅延条件反射の考え方(実際の脳の中の神経生理)では、先行刺激があり、たまたまなされたその行動の結果で、先行刺激が接近系の条件刺激になったのか、回避系の条件刺激になったのか、そしてその条件刺激が強化されたのかどうかの問題です。それを神経生理学的に解明する必要があります。そして行動とは、最初は先行刺激に対してたまたま生じた行動の結果、先行刺激が条件刺激になり、その条件刺激に対しての道具的行動となって生じているのであり、条件刺激が強ければ強いほど道具的行動は強まることになります。

しかし実生活では何が条件刺激になっているのか分からないことが多いです。条件刺激が分からない状態で、行動と結果との関係を考えなくてはなりません。そこで結果が行動を強化したとか抑制したとか考えざるを得ません。人間(動物では擬人化することで)では、その行動の結果を観察者自身の判断に置きかえて、その判断からそれ以後のその行動を強化したか、抑制したかを持ち出して理解しています。又その様に考えることで、完全ではありませんが、かなりのことが説明できます。完全な考え方をするには遅延条件反射の考え方を当てはめる必要(行動や強化因子が接近系か回避系かの区別)があります。

$10 行動とは

動物も人もある環境の中にいる。その環境から何か刺激を受けて、その刺激を認知して、脳内に存在する情報から反応をする。この反応が体の動きに洗われたとき、これを行動という。表情は体の動きとは言えないが、その神経支配の形態から言って一種の行動とする。

行動を生じる要因からの分類
行動1)本能からの行動
行動2)主として母親を真似して身につけた行動
行動3)他からから強要された行動
行動4)意志(知識)からの行動

$11 習慣行動とは

(元来意識に上らないけれど意識に上ることもできる、繰り返される行動)

習慣行動は
習慣行動1)本能からの行動が習慣化
習慣行動2)主として母親を真似して身につけた行動が習慣化
習慣行動3)本能と真似からの行動を繰り返して行動が習慣化
習慣行動4)オペラント行動(強化因子が必要)を繰り返す習慣化
習慣行動5)人間の大人では意識行動を繰り返すことで習慣化

習慣行動2)~5)は文化の影響を強く受ける

躾とは行動2)と行動3)の内で社会にとって好ましくない行動を無くし、好ましい行動を身につけさせること。その際にオペラント条件付けを無意識に使っている。

$12 子どもでの理解

人間ではSkinner's boxの中の状況と同じようにはできません。。つまり人間がおかれている環境は複雑で、色々な無関刺激や無条件刺激が存在していて、人間の行動も探索刺激の情動行動は少なく、それ以外の情動行動や意識行動、習慣行動が中心となっているから、Skinner'sboxの条件が当てはまるのかどうかを良く検討して考える必要があります。しかし子どもを躾けるという意味では、条件反射、遅延条件反射からの理解が有効です。オペラント条件付けも条件を誤らなければ、理解がしやすい考え方です。

子どもがおかれている状態が先行刺激です。その環境下で何かをするのがオペラント行動です。その結果からご褒美をもらう(接近系)、又は叱られる(回避系)などが強化又は抑制因子です。子どもが何かの拍子に何かの行動をすると親や周囲の大人からほめられ、また同じ状況下で同じ行動をするようになる。それを繰り返すことで、その行動が習慣化するその行動がオペランド行動です。ただしオペランド行動を習慣化するには、親から褒められる必要があります。親以外の人から褒められることは強化因子になりますが、繰り返されることがないか少ないかで、習慣化にはそれほど効果が無いようです。

人間の場合強化因子には物質的な物や心理的な物など色々な物があります。そのものによって強化する程度が異なります。物質的な物の場合慣れがありますから、効果が段々落ちてきます。特に母親から褒められる強化因子は最大で、慣れがないのか特徴です。ですから母親が褒めることで条件付けるのが習慣化には一番効果的です。

人間の場合、回避系の強化因子は動物のようにその行動をしなくなる、つまり回避系の刺激から逃げる、逆にその行動を強める、つまり回避系の刺激から荒れる問題行動をする場合があります。それ以外にも回避系の強化因子により、他の動物には見られないよい子を演じる場合や心の病の症状を出す場合もあります。それらを踏まえて、オペラント条件付けを考える必要があります。

子どもの習慣化1)子どもが朝家の前の掃除をたまたましたとします。それを見て母親がそれを褒めました。すると子どもは朝家の前の掃除をするようになってきます。その子どもの掃除を母親が褒め続けることで、朝家の前の掃除をすることが子どもの習慣になって行きます。この場合先行刺激は朝の家の前、オペラント行動は掃除をする、接近系の強化因子は母親が褒めることです。
子どもに朝家の前のお掃除をしておいてねと母親が頼んだ(prompt)ので、子どもが朝家の前のお掃除をした場合も同じです。母親が喜んでくれたと言うことが接近系の強化因子になっています。
母親が喜ぶ代わりにお菓子やおもちゃをくれた場合です。これも同じ結果が出ますが、お菓子やおもちゃには接近系としての慣れがあります。繰り返すたびに接近系が弱くなっていき、お菓子やおもちゃを他のお菓子やおもちゃに変えるなど接近系の強化因子であり続ける必要があります。母親が喜んだ場合には、お菓子やおもちゃ以上に習慣化されます。母親はお菓子やおもちゃ以上に接近系で、かつ慣れがないので、子どもは母親が喜ぶだろうという思いからだけでも強力な強化因子になります。
母親以外の大人に褒められても、子どもの行動は習慣化します。しかしこの場合大人に褒められたことが母親に伝わることで強力な強化因子になります。学校では先生が子どもを褒めることでそれが子どもの習慣化の強化因子だと考えます。しかしそれは先生が褒めたことが母親に伝わることで、先生が褒めたことがより強力な強化因子になります。母親に伝わらなければ、ただの大人が褒めたという以上の効果はありません。

子どもの習慣化2)子どもが朝家の前の掃除をたまたましたとします。それを見て母親がそれを叱りました。すると子どもは朝家の前の掃除を止めてしまいます。朝家の前の掃除をしないことが子どもの習慣になって行きます。この場合先行刺激は朝の家の前、オペラント行動は掃除をする、回避系の抑制因子は母親が叱ることです。
ところが人間は動物と違って意志や欲求があります。子どもが朝家の前の掃除をしたのは、その子どもなりに意味があります。その点がSkinner's boxでの説明と異なります。子どもなりに理由があるから朝家の前の掃除をしました。それを母親が叱ったと言うことは、子どもの意思を否定したことになります。子どもはただ単に朝家の前の掃除をするのを止めるだけでなく、子どもの意思を否定されたことにより、泣いたり、母親に対して荒れたりします。
そればかりでなく、これを繰り返すことで、今まで接近系だった母親が回避系の要素を持つようになります。子どもがあることをして、それを母親が褒めても、母親が褒めたという強化因子が弱い物になってしまいます。

子どもの習慣化3)子どもが毎朝家の前の掃除をするという習慣(オペラント行動の習慣化でも同じです。この場合には必ずオペラント行動をする強化因子がどこかにあります)があったとします。ある朝たまたま子どもが家の前の掃除をしなかったとき、実際には無いと思いますが、母親がそれを褒めました。そうすると子どもは家の前の掃除をしなくなります。それを繰り返すことで子どもが毎朝家の前の掃除をするという習慣を無くすることができます。母親が存在する限りこの子どもが毎朝家の前の掃除をしないと言う習慣ができて続きます。母親が褒めることが、接近系の抑制因子になります。
そして母親がいなくなると、過去の習慣である家の前の掃除をするという習慣が段々と再び出てきます。子どもの脳の中には毎朝家の前の掃除をするという神経回路ができあがっていましたが、その神経回路が機能をするのを母親の接近系で押さえつけられていたからです。母親がいなくなることでこの神経回路を押さえつけていた物が無くなるために、この神経回路がこの機能をしだしたのです。決して神経回路がなくなっていたのではありません。

子どもの習慣化4)子どもが毎朝家の前の掃除をするという習慣があったとします。ある朝たまたま子どもが家の前の掃除をしなかったとき、母親がそれを叱りました。そうすると子どもは家の前の掃除を直ぐに始めます。母親が叱ることが回避系の強化因子に成ります。
それを繰り返すことで子どもが毎朝家の前の掃除をするという習慣を続けますが、家の前の掃除をすることは、脳科学的には母親から叱られることの回避行動になっています。母親が回避性の条件刺激になっています。そのために母親が存在する限り、回避性の強化因子が存在しますから、この子どもが毎朝家の前の掃除をしますが、それは見かけ上の習慣であり、母親がいないときには、家の前の掃除をしなくなります。

子どもの習慣化5)子どもが物を壊して父親に叱られて、子どもが泣き騒ぎました。子どもが泣き騒ぐのを止めた時、母親が褒めることで、子どもは父親に叱られても、母親がいると泣き騒ぐのを直ぐに止めるようになります。この場合先行刺激が父親であり、promptが叱ることであり、オペラント行動が泣き騒ぐことです。接近系の抑制因子が母親が褒めることです。これを繰り返すことで、子どもは母親がいる限り父親に叱られても泣き騒がなくなります。
これが母親が褒めるという強化因子でなく、お菓子などですと接近系の抑制が弱くなります。ここで注意をしなくてはならないことは、子どもは父親に回避系の条件刺激を学習してしまうことです。何もなくても父親を回避する、つまり父親に近づかなくなります。
そればかりでなく、父親が怒る頻度が多くなると、又父親の怒り方がひどくなると、子どもは父親ばかりでなく父親の周囲にあった物も回避系の条件刺激を学習してしまい、親や当人が気づかなくても回避系の条件反射を絶えず起こしていて、性格の変化を生じてしまいます。

子どもの習慣化6)子どもが物を壊して父親に叱られて、子どもが泣き騒いでいます。子どもが泣き騒ぐのを止めた時、母親も叱ることで、一時的に子どもは泣き騒ぐのを止めます(嫌悪刺激についての回避行動)が、その後子どもはよりひどく泣き騒ぐようになります。この場合先行刺激が父親であり、promptが叱ることであり、オペラント行動が泣き騒ぐことです。回避系の強化因子が母親が叱ることです。これを繰り返すことで、子どもは母親がいても父親に叱られていつまでも泣き騒ぐことになります。辛さに敏感になり、父親ばかりでなく父親の周囲にあった物も、母親ばかりでなく母親の周囲にあった物についても回避系の条件刺激を学習してしまい、親や当人が気づかなくても回避系の条件反射を絶えず起こしていて、性格の変化を生じてしまいます。

子どもの習慣化7)子どもが物を壊して父親に叱られて、子どもが泣き騒ぎました。子どもが泣き騒ぐのを止めた時、母親が褒めることで、子どもは父親に叱られても、母親がいると泣き騒ぐのを直ぐに止めるようになります。この場合先行刺激が父親であり、promptが叱ることであり、オペラント行動が泣き騒ぐことです。接近系の抑制因子が母親が褒めることです。これを繰り返すことで、子どもは母親がいる限り父親に叱られても泣き騒がなくなります。
これが母親が褒めるという強化因子でなく、お菓子などですと接近系の抑制が弱くなります。ここで注意をしなくてはならないことは、子どもは父親に回避系の条件刺激を学習してしまうことです。何もなくても父親を回避する、つまり父親に近づかなくなります。
そればかりでなく、父親が怒る頻度が多くなると、又父親の怒り方がひどくなると、子どもは父親ばかりでなく父親の周囲にあった物も回避系の条件刺激を学習してしまい、親や当人が気づかなくても回避系の条件反射を絶えず起こしていて、性格の変化を生じてしまいます。

子どもの習慣化8)子どもが物を壊して父親に叱られて、子どもが泣き騒いでいます。子どもが泣き騒ぐのを止めた時、母親も叱ることで、一時的に子どもは泣き騒ぐのを止めます(嫌悪刺激についての回避行動、よい子を演じた)が、その後子どもはよりひどく泣き騒ぐようになります。この場合先行刺激が父親であり、promptが叱ることであり、オペラント行動が泣き騒ぐことです。回避系の強化因子が母親が叱ることです。これを繰り返すことで、子どもは母親がいても父親に叱られていつまでも泣き騒ぐことになります。辛さに敏感になり、父親ばかりでなく父親の周囲にあった物も、母親ばかりでなく母親の周囲にあった物についても回避系の条件刺激を学習してしまい、親や当人が気づかなくても回避系の条件反射を絶えず起こしていて、性格の変化を生じてしまいます。

$13 行動条件反射

情動を生じることがない行動(無関行動)と無条件刺激が提示されたとき、無関行動が無条件刺激が持つ情動と同じ情動を持つ情動行動になります。行動自体が情動を誘発する条件刺激になります。

脳科学的に表現するなら、

1)条件反射は大脳辺縁系扁桃体にある無関刺激(弱い情動刺激でも生じる)の概念に相当する神経細胞と無条件刺激の概念の概念に相当する神経細胞の間に促通を生じて繋がっています。それ以後扁桃体内の無関刺激(条件刺激=情動刺激となっている)の概念の興奮が無条件刺激の概念の神経細胞を興奮させて、無条件反射の情動を表現する場合です。
(則坐核での研究はなされていますが、扁桃体で話されていません。接近系の条件反射、回避系の条件反射に共通な脳神経核は扁桃体です)

2)遅延条件反射は、無関刺激(弱い情動刺激でも生じる)の短期記憶(5秒以内)が前頭前野に存在していて、その情報がトップダウンに扁桃体にある無関刺激の概念に相当する神経細胞を興奮させているところに、無条件刺激の概念に相当する神経細胞が興奮して、無関刺激の概念に相当する神経細胞と無条件刺激の概念の概念に相当する神経細胞の間に促通を生じて情報が繋がってしまいます。それ以後無関刺激(条件刺激=情動刺激となっている)の概念の神経細胞の興奮が無条件刺激の概念の神経細胞を興奮させて、無条件反射の情動を表現する場合です。

3)オペラント条件付けは、前頭前野にある先行刺激の概念=無関刺激(弱い情動刺激でも生じる)の概念がある状態で、有る行動をすることで、前頭前野にある行動の概念ができたり選択されます。その選択されたそのある行動で強い情動を生じたとき、先行刺激の概念がたまたま行ったそのある行動と促通を生じ結びつきます。それと同時に大脳辺縁系扁桃体にある、又はその時できたある行動の概念と、その時生じた強い情動の概念とが促通を生じて、先行刺激の概念が無条件刺激の情動刺激に変化をします。その有る行動が情動行動に変化をします。

4)行動条件反射とは、ある行動(無関行動、弱い情動行動)をすることで前頭前野にその行動をさせる概念に相当する神経細胞ができます。その情報がトップダウンに扁桃体にあるその行動の概念に相当する神経細胞を興奮させているところに、無条件刺激の概念に相当する神経細胞が興奮して、その行動の概念に相当する神経細胞と無条件刺激の概念の概念に相当する神経細胞の間に促通を生じて、情報が繋がってしまいます。それ以後その行動の概念の神経細胞の興奮が無条件刺激の概念の神経細胞を興奮させて、無条件反射の情動を表現する場合です。行動自体が条件刺激になっている場合を行動条件反射と言います。行動を誘発するのに先行刺激が必要ですが、行動と情動との関係を考えるときには先行刺激を考える必要が無くなります。

5) Skinner's boxで説明するなら、ネズミがボタンを押す行動と餌という接近系の刺激が同時に提示されることで、ボタンを押す行動が接近系の条件刺激となりました。それ以後、ネズミがボタンを押す行動をネズミから求めてするようになり、その都度与えられる餌が接近系の条件刺激の効力を強めていきます。ボタン自体も接近系の条件刺激になっていますので、どちらがネズミにとってより強い条件刺激なのかという問題になります。推測ですが、ボタンが持つ条件刺激よりボタンを押す行動自体が持つ条件刺激の方が強いのではないかと思います。
例えばネズミが餌を食べようとしたときに、そのネズミの舌に電気刺激で痛みを与えると、ネズミはどんなに空腹でも餌を食べようとしなくなり、餓死してしまうという反応があります。これは餌を食べるという行動が強力な痛みという回避系の無条件刺激で、回避系の条件刺激になってしまったと考えられます。

6) 行動条件反射の考え方の特徴は、
1)行動のきっかけを考える必要が無い
2)行動自体が情動の条件刺激になる
3)無関行動の結果が生じる情動が、行動の条件刺激になる
4)情動行動の結果が生じる情動で、行動の条件刺激が変化をしていく
です。

Skinner's boxで説明で再度説明するなら、
1)ネズミの未だ習慣化していないボタンを押す行動について、ネズミがボタンを押す行動をしたとき、その結果が接近系なら、ネズミのボタンを押す行動が接近系の条件刺激となり、ボタンを押す行動が繰り返されます。
その結果が回避系なら、ネズミのボタンを押す行動が回避系の条件刺激となり、ネズミはボタンを押す行動をしなくなります。大本のボタンを押すことを経験していない状態と一見同じになります。しかしネズミはボタンを回避しようとするのが違いです。
どちらも同じ結果が繰り返し生じることが条件で、その行動が習慣化していきます。習慣化を維持するために、同じ結果が繰り返される必要があります。その行動が習慣化していても、その行動の結果に習慣化が依存をしていると表現できます。それ故にその結果が繰り返さなくなれば、有る時間が経過すると、その結果がなかったと同じになります。ネズミがボタンを押さなくなります。

2)ネズミのボタンを押す行動が習慣化していて、ネズミが何かの理由でボタンを押さないとき、ボタンを押さない行動の結果が接近系だと、ボタンを押さない行動が接近系の条件刺激になり、ボタンを押さなくなります。結果が繰り返されることでネズミがボタンを押さない行動が習慣化します。
その結果が回避系だと、ネズミがボタンを押さない行動が回避系になり、ネズミはボタンを押す行動を続けます。ボタンを押す行動は元々の習慣化されていた行動と同じになります。ボタンを押さない行動は同じでも、ボタンを押さない行動は回避行動になりますから、ネズミはその前より、よりボタンを避けるようになります。

3)ネズミのボタンを押す行動が習慣化していて、そのネズミがボタンを押した結果が接近系のままだと、ネズミはボタンを押し続けます。
ネズミがホタンを押す行動の結果が回避系になったなら、ネズミはボタンを押す行動をしなくなります。
ボタンを押す行動をしなくなってある時間が経つと、ネズミはボタンを押す行動を少しずつ再開するようになります。その際にボタンを押す行動の結果が回避系でなければ、ボタンを押す習慣が再開されます。

4)ネズミが既に何らかの回避行動を続けている状態で、ネズミのたまたまボタンを押す行動の結果が接近系なら、ネズミがボタンを押す行動が接近系となり、ボタンを押すようになります。ボタンがある限りネズミはボタンを押すようになります。
ネズミが既に何らかの回避行動を続けている状態で、ネズミのたまたまボタンを押す行動の結果が回避系なら、ネズミのボタンを押す行動も回避系になり、ネズミはボタンを避けて回避系の行動を続けます。

5)ネズミが既に何らかの回避行動を続けている状態で、ネズミにとって接近系を与えますと、ネズミは続けている回避行動を止めてしまいます。しかしある時間が経つと又その回避系の行動を続けるようになります。
ネズミが既に何らかの回避行動を続けている状態で、ネズミに取って回避系を与えますと、ネズミはその与えられた回避系への回避行動と今まで行っていた回避行動と、両方を行うようになります。回避行動がより強くなります。

$14 人間の子どもの場合

ネズミなどの動物の条件付けは少ない回数の条件付けで条件付けができあがり、それが条件反射やオペランド条件付けの結果です。それ以上の観察がなされないのが普通です。もし条件付けができあがった後も同じ条件を続けたなら、その結果は変化をしてきます。条件付けに使われた無条件刺激が接近系なら接近系の刺激の慣れの問題、すなわち行動の結果が接近系でも、接近系の効果が弱くなり、最終的には接近系の効果が無くなり、行動の結果が無関刺激になります。その代わりに習慣化という要素が大きくなってきます。
回避系なら回避系の刺激の相乗効果の問題があるからです。回避系の効果が強まっていき、回避系の要素が強まると、その人の周囲にある物にも回避系の条件刺激を学習してしまい、絶えず不安状態になってしまいます。
それ以外にも人間では回避行動としてよい子を演じるという行動があります。見かけが接近系の行動ですが、実際は回避行動なのです。人間の子どもでは頻回に見られますから、子どもの行動を動物の行動と同じ様に判断することができません。

まず短期的な行動条件付けを人の子どもの場合で考えてみます。子どもがよい子を演じないで、素直に反応をしている場合です。
1)子どもの未だ習慣化していないある行動(例えばお手伝い)について、子どもがある行動をしたとき、その結果が接近系なら、子どものその行動が接近系の条件刺激となり、その行動が繰り返されます。
その結果が回避系なら、子どものその行動が回避系の条件刺激となり、子どもはその行動をしなくなります。その行動をすることを経験していない状態と一見同じになります。しかし子どもがその行動をすることが回避行動になりますから、間違ってその行動をすることは少なくなります。
どちらも同じ結果が繰り返し生じることが条件で、その行動が習慣化していきます。習慣化を維持するために、同じ結果が繰り返される必要があります。その行動が習慣化していても、その行動の結果に習慣化が依存をしていると表現できます。それ故にその結果が繰り返さなくなれば、ある時間が経過すると、その結果がなかったと同じになります。子どもはそのある行動をしなくなります。

2)子どものある行動が習慣化していて、子どもが何かの理由でそのある行動をしなかったとき、その行動をしないことの結果が接近系だと、そのある行動をしないことが接近系の条件刺激になり、そのある行動をしなくなります。結果が繰り返されることで子どもはその行動をしないことが習慣化します。
その結果が回避系だと、子どもがそのある行動をしないことが回避系になり、子どもはそのある行動をし続けます。そのある行動をしないことを止めた行動は、元々の習慣化されていた行動と同じになります。元々の行動と同じことをしますが、間違ってそのある行動をしないことは少なくなります。

3)子どもがするある行動が習慣化していて、その子どもがするある行動の結果が接近系のままだと、そのある行動をし続けます。
子どもがする習慣化したある行動の結果が回避系になったなら、子どもはそのある行動をしなくなります。
そのある行動をしなくなって、ある時間が経つと、子どもは習慣化していたそのある行動を少しずつ再開するようになります。その際に再開した行動の結果が回避系でなければ、ボタンを押す習慣が再開されます。

4)子どもが既に何らかの回避行動を続けている状態で、子どもがたまたまその回避行動以外の何かの行動をした結果が接近系なら、その何かの行動が接近系となり、その何らかの回避行動をしないで、その何かの行動をするようになります。その何かの行動を生じる原因が存在する限り、その何かの行動をし続けます。その何かの行動を生じる原因が存在しないときには、元々の回避行動を続けます。
子どもが既に何らかの回避行動を続けている状態で、子どものたまたまその回避行動以外の何らかの行動をした結果が回避系なら、子どもがたまたましたその行動も回避系になり、そのたまたました行動の原因がある限り、その行動を続けますし、そのたまたました行動の原因がなくなると、子どもは元の回避行動を続けます。

$15 具体例で説明をします。

1a)子どもがたまたま母親のお手伝いをしました。それを母親が褒めたとき、子どもがお手伝いをする行動が接近系の条件刺激になります。子どもは好んで母親のお手伝いをするようになります。母親が褒める限り子どもは好んで母親のお手伝いをするようになりますし、習慣化していきます。
この際に子どもの周囲にある物に接近系の条件刺激を学習しますが、現実に学習した条件刺激は弱くて無視できますし、時間と共に消失します。
子どもがたまたま母親のお手伝いをしたときに、母親がお菓子などの物を与えた場合、子どもはお手伝いをするようになりますが、繰り返しても子どもは段々お手伝いをしなくなります。お菓子は接近系の強化因子ですが、繰り返すことで接近系は弱くなり、ご褒美の意味合いが薄らいでいくからです。そのためにご褒美のお菓子を別のお菓子や別の物にする必要があります。
1b)子どもが壁に絵を描きました。母親が壁に絵を描いたことを叱ると、壁に絵を描くことが回避系の条件刺激になり、子どもは壁に絵を描かなくなります。この際に子どもの周囲にある物を回避系の条件刺激として学習しますが、現実に学習した条件刺激は弱くて無視できますし、時間と共に消失します。但し、この叱られる間隔が短いと、また叱られ方が強いと、周囲にある物が回避系の条件刺激として残ったまま、新たに回避系の条件刺激として学習することで、回避系の相乗効果で、回避系の条件刺激の効果が強くなり、その効果が消失するのに時間がかかるようになります。
子どもがお手伝いをすると母親が褒めることが繰り返し生じることで子どものお手伝いが習慣化していきます。習慣化しても母親が褒めるのを止めると、子どもは段々お手伝いをしなくなります。最終的にお手伝いをしなくなります。
壁に絵を描くことで叱られた子ども、壁に絵を描くことで繰り返し叱られることで、壁に絵を描かなくなり、習慣化します。ただ、叱られることが繰り返されたことで、壁や子どもの周囲にある物に回避系の条件刺激をかなり強く学習しています。壁に絵を描かなくなっても、心が不安定になっていて、何かの折にその回避系の条件刺激に反応をして、思わぬ回避行動をするようになります。所謂性格が曲がった子どもとして理解されるようになります。
2a)学校で子どもが虐められました。子どもは反撃をしないで虐めをかわしました。母親が反撃をしなくていじめをかわしたことを褒めました。この場合虐めに反撃をしないで虐めをかわしたことが接近系になります。子どもはこれ以後虐めを反撃しないでかわすようになります。
2b)学校で子どもが虐められました。子どもは反撃をしないで虐めをかわしました。母親が反撃をしなかったことをだらしがないと叱りました。この場合虐めに反撃をしないことが回避系になります。子どもはこれ以後虐めを反撃するようになるか、反撃できないときには心がとても辛くなります。
3a)子どもの夜更が習慣化していて、子どもが何かの理由で夜更かしをしなかったとき、夜更かしをしなかったことを母親が褒めたなら、子どもは夜更かしをしなくなります。その後母親が夜更かしをしなかったことを褒めることを止めたなら、子どもは習慣化していた夜更かしをするようになり、夜更かしを続けます。母親が夜更かしをしなかったことを褒めることが続いていたら、子どもは習慣として夜更かしをしなくなります。
3b)子どもが毎日自分の部屋を整理整頓していました。ある日その整理整頓をしないでいると母親に叱られたとき、子どもの整理整頓をしない行動が回避系になります。子どもは整理整頓を続けます。習慣化していた整理整頓を忘れるときが少なくなります。
子どもが母親に叱られる頻度が高くなると、子どもは子どもの周囲にある物を回避系の条件刺激として学習してしまいます。多くの場合、それは時間と共に消失してしまいますが、中にはその回避系の条件刺激が残ってしまう場合があります。その場合には何かの折にその条件刺激に反応をして、思わぬ回避行動をするようになります。所謂性格が曲がった子どもとして理解されます。
4a)子どもが毎日自分の部屋を整理整頓をしています。その整理整頓を母親が褒めたなら、整理整頓が接近系になります。子どもはより一層整理整頓を続け、母親が褒め続けると習慣化していきます。
4b)子どもが食事をした後、そのまま食卓を離れて居ました。あるとき母親が食べた食器を片付けるように叱ったとき、食べた後の食器を片付けることが回避系になります。子どもは食事を食べたままにしないで、食器を流しまで運ぶようになります。それ以後母親が食事をした後に食器を流しまで運ばないことを叱らなかったら、子どもは段々食器を流しまで運ばなくなります。

$16 既に回避系の条件刺激に晒されている(例えば不登校で辛い思いをしている)子どもについて

接近系と回避系は相殺されますから、1a)、2a)、3a)、4a)の結果の接近系の効果が弱く成ります。その結果学ぶ行動条件反射は弱くなります。
回避系同士は相乗作用がありますから、1b)、2b)、3b)、4b)の結果の回避系の効果がより強く作用をします。その結果学ぶ行動条件反射が強くなります。それと同時に、回避系同士の相乗効果がとても強くなったとき、学んだ行動条件反射ばかりでなく、回避系が持つその子ども独特の回避行動を示す場合もあります。

1a)子どもがたまたま母親のお手伝いをしました。それを母親が褒めたとき、子どもがお手伝いをする行動が接近系の条件刺激になりますがその強さは弱いです。子どもは母親のお手伝いをするようになりますが、それほど一生懸命お手伝いをしません。母親が褒める限り子どもは好んで母親のお手伝いをするようになていきますが、習慣化は難しいです。
この際に子どもの周囲にある物に接近系の条件刺激を殆ど学習しせん。
1b)子どもが壁に絵を描きました。母親が壁に絵を描いたことを叱ると、壁に絵を描くことが回避系の条件刺激になり、子どもは壁に絵を描かなくなります。この際に子どもの周囲にある物を回避系の条件刺激として学習します。この叱られる間隔が短いと、また叱られ方が強いと、回避系の相乗効果を生じて、周囲にあるいろいろな物が回避系の条件刺激と学習してしまいます。子どもはそれらの学習した回避系の条件刺激に反応をするようになって、思わぬ回避行動をするようになります。所謂性格が曲がった子ども(問題児、発達障害など)として理解されるようになります。
2a)学校で子どもが虐められました。子どもは反撃をしないで虐めをかわしました。母親が反撃をしなくていじめをかわしたことを褒めました。この場合虐めに反撃をしないで虐めをかわした行動が接近系になります。但しこの接近系は弱いです。次回虐めを受けたとき、子どもは必ずしも虐めを反撃しないでかわすようにできるとは限りません。
2b)学校で子どもが虐められました。子どもは反撃をしないで虐めをかわしました。母親が反撃をしなかったことをだらしがないと叱りました。この場合回避系の相乗効果を生じ、虐めに反撃をしないことが強い回避系になります。子どもはこれ以後虐めをまともに受けてしまい、心にトラウマを受けてしまう場合があります。
3a)子どもの夜更が習慣化していて、子どもが何かの理由で夜更かしをしなかったとき、夜更かしをしなかったことを母親が褒めたなら、子どもは夜更かしをしなくなります。しかしその効果は弱く、またすぐに夜更かしをするようになります。習慣化は期待できません。
3b)子どもが毎日自分の部屋を整理整頓していました。ある日その整理整頓をしないでいると母親に叱られたとき、子どもの整理整頓をしない行動が回避系になります。子どもは整理整頓を続けます。それと同時に回避系の相乗効果を生じます。その結果母親に叱られたことへの回避行動を生じて、荒れたり母親への暴力を生じて、整理整頓の行動に至らなくなります。
4a)子どもが毎日自分の部屋を整理整頓をしています。その整理整頓を母親が褒めたなら、整理整頓が接近系になります。しかしその接近系はそれほど強くは有りません。整理整頓がそれほど一生懸命なされません。習慣化は期待できません。
4b)子どもが食事をした後、そのまま食卓を離れて居ました。あるとき母親が食べた食器を片付けるように叱ったとき、食べた後の食器を片付けることが回避系になります。子どもは食事を食べたままにしないで、食器を流しまで運ぶようになります。しかしそれと同時に、回避系の相乗効果を生じます。その結果母親に叱られたことへの回避行動を生じ手、荒れたり母親への暴力を生じて、食器の片付けは行われません。

$17 不登校の子どもへの考え方

1)子どもが不登校状態です。その子どもがある居場所に行ってその居場所が楽しければ、子どもはその居場所に行くようになります。その居場所が休みの時は、子どもは学校に行かないで家に居ます。
2)子どもが既に不登校で、親が子どもを無理に学校に連れて行ったとき、子どもは荒れてしまいます。それ以後親が学校に連れて行こうとすると荒れ続け親が学校に連れて行かないときには、子どもは不登校のままです。
3)子ども既に不登校で自分を責めて苦しんでいます。子どもがゲームなどの楽しいことを始めたなら、子どもは不登校であることを忘れて、ゲームにのめり込みます。ゲームができないと、子どもは不登校から自分を責めて苦しみます。
子どもが既に不登校で苦しんでいます。その不登校を親が責めたら、子どもは親を拒否するようになります。不登校の苦しみと親から受けた責めとで、子どもはとても辛い状態です。

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心が辛い子ども達への母性 17.11.21

母性はありますが、母性というはっきりとした物があるわけではないと私は思います。そこで今一度母性を、動物を参考に考えてみてはいかがでしょうか?動物は母性だけから子育てをして居ますから。特に類人猿の母性は人間の母性に共通していると推測されます。

ここで注意しなければならないのは、人間に育てられて、母親から育ててもらっていない母親は、子育てを放棄しやすいと言う事実があります。それはきっとその動物にその動物なりのストレスが人間から与えられていたためだと思われます。

にんげんに育てられて、母親から育ってもらっていない母親でも、子育てができるという事実があります。これは母親が子どもを育てようとする本能と、子どもが育ててもらおうとする本能とが、機能し合ったためだと思います。

この事実から言うなら、「母性というのは子どもの要求を持たし続ける物のようです。危険から子どもを守り、子どもの成長に必要な物を与え続ける、必要としない物を与えない」、ただこれだけのようです。ここにはマニュアルはありません。

不登校、引き籠もりのように、心が辛い子どもは、危険な状態です。しかし多くの母親はこれが子どもが危険な状態だとは気づかないのです。人間以外の動物と違って、人間の母親には子育てというマニュアル(=常識)があります。そのマニュアルが優先して、子どもが危険な状態にあることに気づかないのです。子どもが危険な状態にあることに気づけば、多くの母親は母性が働いて、子どもを守ろうとするのですが。子どもが危険な状態にあることに気づかない母親には、子どもが危険な状態だと教えてあげることもできますが、子育てのマニュアルを強く持っていて、アドバイスを受け入れられない母親も多いと思います。

不登校、引き籠もりのように、心が辛い子どもの内でも、その辛さが強すぎて、母親を信頼できない、母親を拒否をして居る子どもが居ます。今の日本の多くの不登校、引き籠もりの子ども達と気づく状態の子ども達です。動物では存在しない心の状態です。人間の子どもから学ぶしかありません。不登校、引き籠もりの子どもの心は、経験者しかわかりにくいと言うことを意味しています。

この状態でも母親にマニュアルが強くて、子どもが危険な状態だと気づかない母親と、やっと子どもが危険な状態だと気づく(これは母性です)母親が居ます。後者の母親でも、どのような対応が子どもを危険な状態から守られるのか、子どもを守ろうとする母親を子どもが受け入れるのか、分かりません。ただ、子どもを守ろうとする母親の対応を積み重ねることにより、何が子どもを苦しめ、何が子どもを元気にするのかが、見えてきました。それは子どもの本能に沿った対応をすることです。この本能に沿った対応は別の意味でのマニュアルになります。

不登校、引き籠もりの子どものように、心が辛い子ども達にとって、まず子どもが辛いことを動物と共通の母性で感じ取って、子どもの本能に沿ったマニュアルで対応をして、子どもの心が元気になったら、子どもが求める物を母性で感じ取って、子どもに与え続ける、子どもがその子どもなりに育つのを待つのが、人間の場合の母性だと思われます。

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不登校の子どもへの対応法 18.01.08

母親から相談を受ける人(カウンセラー)のためのマニュアル(学校恐怖への対応法)

$0 はじめに

多くの子どもは心が元気です。ここで述べる対応法を用いる必要がありません。子どもの中で不登校の子どものように、心が辛い子どもがいます。心が辛い子どもへの対応法を心が辛い子どもの論理又は弱者の論理と言います。それに対して普通私達が子どもに行っている対応法を心が元気な子どもの論理=強者の論理と言います。

心が元気な子どもに、心が辛い子どもの論理を当てはめても問題ありません。かえって思わぬ子育てができるはずです。それに対して心が辛い子ども達は私達が普段行う対応法で苦しんでいますから、心が元気な子どもの論理を当てはめると、ますます心が辛い子どもになってしまいます。

$1 対応法総論(心が辛い子どもに必ず当てはまる原理です)

1) 心が辛い子どもへの基本

基本1)心が辛い子どもは、その解決を母親だけに求めます。それ故に基本的に母親の対応を変えることで心が辛い子どもの問題を解決しなければなりません。
相談者を受ける人(カウンセラー)は子どもが求めない限り、子どもの前に現れたり、その存在を感じさせてはいけません。

基本2)心が辛い子どもの問題は、母親又は子どもが母親と認識する人に守られて行われる必要があります。

基本3)心が辛い子どもは母親に信頼されている必要があります。母親に信頼されていなければ、子どもの心がとても不安定になります。子どもは進んで母親を信頼しようとします。
相談を受ける人(カウンセラー)は、心が辛い子どもと母親を徹底的に信じる必要があります。子どもが荒れたり問題行動をしていても、心の病の症状を出していても、絶対に子どもに責任を、原因を求めてはいけません。子どもは被害者であって、責任はありませんし、病気でもありません。

基本4)子どもを信頼していると表現する方法
信頼1)子どもの姿を、子どもなりに意味がある姿だと理解する
信頼2)子どもの話を無条件で、相づちだけで聞き続ける。言葉のオーム返しは可能
信頼3)子どもが荒れたり問題行動をしている、心の病の症状を出しているときには、母親の共感の言葉とスキンシップを先回りをしてでもする
信頼4)子どもの要求を無条件で笑顔で100%叶える
信頼5)子どもの姿を母親の方から見ない
信頼6)母親から子どもに言わない。質問には質問の範囲で答える
信頼7)母親の笑顔
信頼8)子どものすることに母親は後追いをするだけ
子どもの要求について、100%以上を叶えると依存になります。100%以下だと欲求不満を生じます。

基本5)心が辛い子どもは母親からの信頼があるかどうかを無意識にテストをします。母親がそのテストに合格しますと、子どもは母親を信頼します。カウンセラーは子どもの荒れや問題行動も母親へのテストだと理解する必要があります。

基本6)母親と子どもとの間に信頼関係ができると、子どもは自分で自分の問題解決をしようとします。自分で解決できないところだけを、母親に解決を求めます。

基本7)母親が子どもを信頼していると言うことは、どんな姿でも(例え荒れたり、問題行動をしても、心の病の症状を出していても)、これらを子どもからのテストだと考えると同時に、子どもが生きて成長をするのに必要な姿と考え、子どもをそれで良いと考える必要があります。これをあるがままの子どもを認めると表現しておきます。つまり、子どもの姿をそのまま認めながら、母親に子どものつらさから守る対応に変わってもらう努力をしてもらいます。

基本8)大人に分からなくても、子どもの行動を含めて、全ての子どもの姿にその子どもなりの意味があります。その意味を大人の理解で理解しないことが必要です。

基本9)心が辛い子どもは基本的に父親を拒否します。それ故に父親は心が辛い子どもへの対応を全て母親に任せて、子どもに分からないところにいて、母親を支える必要があります。父親が子どもと直接関わる必要が出てくるときとは、子どもの心が元気になってからです。

基本10)子どもは成長とともに変化をしますが、外から与えられる変化を嫌います。引っ越しや転校を嫌います。

基本11)心が辛い子どもは、辛ければ辛いほど、自分がしていることや置かれている状況に固執します。変化を嫌がります。こだわりがあると表現します。

基本12)子どもは子どもの訴えを無条件で母親に聞いて欲しがります。母親は相づちだけで聞き続けて、それ以外の言葉はオーム返しが良いです。子どもは解決を母親に求めていません。

基本13)母親が母親から子どもに与えられる解決法は、子どもが荒れたり問題行動をしているとき、心の病の症状を出しているときは、傾聴、共感、スキンシップだけです。子どもが落ち着いてその子どもなりの生活をしているときには、母親は子どもを見ない子どもに言わない、母親の笑顔です。

基本14)母親は子どもの要求を100%だけ叶える必要があります。100%以上だと依存、甘えになります。100%以下だと葛藤状態、母親への不信感になります。

基本15)大人が考える解決法は大人に当てはまりますが、子どもに当てはまりません。心が元気な子どもでは大人の思いに子どもが合わせてくれます。心が辛い子どもでは大人の思いに子どもが合わせることができません。それ故に大人からの発想は心が辛い子どもをかえって苦しめることになります。大人からの発想=先回りは、心が辛い子どもにしていけません。

2) 子どもの心について

 子どもと大人と脳の構造が同じでも、その機能が異なっています。
大人は言葉になる意識の脳(前頭前野)で反応し行動をします。子どもは意識の脳で言葉を話しますが、行動は潜在意識にある情動です。大人にも子どもにも習慣があります。これは基本的に潜在意識ですが、顕在意識にすることもできます。この脳の機能を考えると、子どもの心は顕在意識、習慣、情動の三層構造になっていて、各々独立に働きます。絶えずこの三つの脳の機能を考えながら子どもの心を考えていく必要があります。子どもの本心とは情動です。情動は子どもの行動や成長、命に直結しています。

3) 子どもの本能について

 子どもの行動や成長は情動で行われます。情動の中でも特に本能が大切です。子どもには大人にない本能があります。心を考えるときには以下の三つが大切です。
本能1)子どもは母親に信頼されて成長をしようとする
本能2)環境に順応して成長をしようとする
本能3)自然にわき出すエネルギー(意欲、情動の接近系)が大きい
これらの子どもの本能に無条件で答えられるのが、母親が持つ本能、母性です。
本能4)子どもが母親と認識する人の側が子どもの心の成長に適しています。

4) 子どもの性格と情動

 子どもの性格は本能と情動と習慣から成り立っています。
乳幼児期までに子どもの本能と情動から行動した結果の経験が加味した物が子どもの性格になります。
性格1)本能は大脳辺縁系の中にあります。情動の一種です。
性格2)情動は大脳辺縁系の機能です。大人の感情に相当しますが、感情そのものではありません。
性格3)習慣は原因は何であっても、同じ行動を繰り返すことで、反射的にその行動をすることが可能になった行動です。

 情動は大脳辺縁系の機能の総称です。

 子どもの心から大人の心になったときに、それまで学習した知識からの行動が可能になります。大脳新皮質の機能です。それまでは知識は言葉として表現できますが、行動は情動からの行動になります。但し、子どもの行動は情動行動と習慣行動から成り立っています。

 刺激を受けると、同じ刺激に同じ情動を生じることは殆どありません。刺激を受けたときに既に生じている情動、刺激の強さ、刺激の時間的間隔の影響を大きく受けます。このことをまとめてみます。

情動1)接近系の刺激と回避系の刺激が同時に加わったとき、お互いに消し合って、より強い方の刺激に対して、そのより強い分だけ反応をします。
情動2)繰り返す接近系の刺激には慣れを生じます。同じ刺激でもその効果が弱まってきます。
情動3)繰り返す回避系の刺激には相乗効果を生じます。弱い回避系の刺激を繰り返すことで、その回避系の効果がとても強くなっていきます。
情動4)先行する回避系の刺激の後の接近系の刺激の効果は減少をします。後続する接近系の刺激が先行する回避系の刺激の効果より大きい場合には、その効果の大きい分だけ接近系刺激の効果が出ます。接近系の刺激がその時存在する回避系の刺激の効果より小さい場合には、その回避系の効果の大きい分だけ回避系刺激の効果が出ます。それは最初の回避系の効果より弱まっています。
 後続する接近系の刺激があるまでは、回避系の刺激として機能をしますから、回避行動を取ることになります。その回避行動の影響が残ります。
情動5)先行する接近系の刺激の後の回避系の刺激は、先行する接近系の効果が減少をします。回避系の刺激がその時存在する接近系の刺激の効果より大きい場合には、その効果の大きい分だけ回避系刺激の効果が出ます。
 後続する回避系の刺激があるまでは、接近系の刺激として機能をしますから、接近行動を取ることになります。その接近行動の影響が残ります。

刺激を受けると大人ではその刺激に対して最初に習慣行動を生じ、遅れて意識行動を行います。情動行動は意識で押さえつけられていて、表面に出てきませんが、情動反応は生じています。その際の情動反応を感じ取ってその人の知識から感情として言葉で表現します。

子どもでは刺激を受けると習慣行動も起こしますが、その程度は弱いです。意識行動はないと考えて間違いないです。子どもでは情動行動が中心になっています。一見意識行動のように見えても、現実は報償を求めたり、恐怖を回避する情動行動です。

大人では克服が難しい何かあっても、その人なりに知識を働かして、その難しい何かを乗りこえることができます。しかし子どもではそれができません。知識から行動ができないからです。子どもでは克服できない難しいことに出会うと、それは回避系の刺激として作用をします。

心が元気な子どもでは、自分の楽しいことで、母親からの信頼関係で、トライアンドエラーを繰り返すことで、克服できる場合もあります。つまり出会った回避系より大きな接近系を得て当座の回避系を解消して、新たに挑戦ができるようになります。しかしその回避系を打ち消すほどの接近系が得られないと、回避系の相乗効果を生じて、子どもは段々心の元気を失っていきます。

情動6)心が辛い子どもでは現存する回避系に新たに出会った回避系との相乗効果を生じ、大人から見たら何でも無いようなことに、とても強い回避行動を取るようになります。

情動7)心が元気だった子どもが繰り返す回避系に出会い、その回避系を接近系で解消できないとき、初めのうち子どもはよい子を演じて、繰り返す回避系に特別な反応を示さないばかりか、あたかもその回避系を克服しているような行動を示しながら、情動では回避系の相乗効果を繰り返し生じています。そしてよい子を演じられなくなったとき、子どもは突然荒れたり問題行動を起こしたり、心の病の症状を出す様になります。子どもを表面的に見ている大人にはとても理解できないことになります。

情動8)大人と違って子どもには回避系の刺激を原則として与えない方が良いです。
子どもに回避系の刺激を与えたときには、それを打ち消すほどの接近系を与える必要があります。
普段から接近系の刺激を与えておくと、回避系の刺激があっても回避系の刺激の効果が無くなります。
接近系の刺激には慣れがありますから、接近系の刺激を与え続けていても接近系として機能をしないか、機能が弱い場合があります。唯一接近系として慣れがないのは、母親とのスキンシップと信頼関係(共感)です。
本能としての回避系は、痛み、強すぎる五感、空腹、口渇、存在の否定です。

情動9)新奇刺激は回避系の刺激です。それ故に、不登校などの心が辛い子どもは変化を嫌います。転校や引っ越しは、一般に心が辛い子どもをもっと辛くします。

情動10)子どもは親兄弟にとても優しいです。親兄弟に子どもが優しくない場合には、子どもがその親兄弟から嫌悪刺激(不登校の子どもなら登校刺激)を受けていると考えて間違いありません。心が元気なら、他人にも優しいです。もし子どもが他人にも優しくないなら、その子どもはその他人から嫌悪刺激を受けていると考えて間違いありません。

5) 子どもの評価
子どもの心に接近系が働いているとき、子どもの心が元気な状態です。多くの子どもはこの状態です。
子どもの心に回避系が働いているとき、子どもの心が辛い状態です。子どもの心に嫌悪刺激が加わったときの子どもです。
心が辛い子どもとは、毎日のように嫌悪刺激が加わっているけれど、子どもはその嫌悪刺激から逃げられない状態の子どもです。

子どもの姿や言葉、学業成績から子どもは評価されますが、心の評価は子どもの心が持つエネルギー(情動の接近系の強さ)から判断されます。心のエネルギーがあれば、子どもが不足と感じたときに、その不足を急激に取り戻すことができます。

エネルギーには物理的なエネルギーと心のエネルギーとがあります。物理的なエネルギーとは体を動かすことによって示すエネルギーです。心のエネルギーとは情動の接近系の大きさで、同じではありません。

接近系の評価 よい子を演じて居ないと言うことを前提に
「生き生きした言葉+生き生きとした表情+生き生きとした無意識の行動」から総合的に判断されます。

回避系の評価
「逃げる<よい子を演じる<荒れる、問題行動をする<心の病の症状を出す」の、右に行くほど、子どもの心は辛い状態にあります。

6) 子どもの辛い刺激(嫌悪刺激)への反応の仕方(Four Fs)
嫌悪1)逃げる(Flee)
嫌悪2)逃げられないときにはよい子を演じる(Fair)
嫌悪3)よい子を演じきれないときには荒れたり、問題行動をする(fight)
嫌悪4)荒れたり、問題行動ができないときには、心の病の症状を出す。(freeze)

よい子を演じるとは、相手の希望をする行動をすることで、それ以上の辛さが加えられるのを避けることです。子どもは基本的によい子ですが、辛い状態に追いやられると、無意識に、いつも以上によい子を演じて、その辛さから逃げようとします。

素直に反応するとは、よい子を演じるの逆の反応の仕方です。心が辛い子どもがよい子を演じないと、荒れたり問題行動をするようになります。子どもが荒れたり問題行動をする方が、子どもに何か起こっていることに親が気づきやすいです。子どもを守ろうとする親は子どもを守ろうと機能をし出しますが、親によっては子どもへの対応を放棄する場合もあります。

子どもが荒れるとき、子どもが問題行動をするとき、子どもに問題があると考えるのが常識ですが、それは子どもを知らない大人の判断です。子どもは加えられた辛さを回避するために荒れたり、問題行動をします。

子どもが心の病の症状を出すと、医療では精神疾患として投薬治療をされます。これは医療の間違いです。子どもは回避できない辛さから、心の病の症状を出しています。

子どもは刺激に素直に反応をします。子どもが反応をしている物が、刺激の根源です。大人のような原因を分析した結果に基づいた、意識的な行動はありません。

7) 子どもの行動
行動1)習慣行動
行動2)情動行動

習慣行動とは、生まれ落ちてからその時までに行ってきた行動の積み重ね。無意識で行動をしますが、情動を伴いません。
情動行動とは生じた情動からの行動です。接近系が働いているときには接近行動、回避系が働いているときには回避行動になります。
その例としてオペランド条件付けがあります。これは遅延条件反射とも言われますが、行動に情動が伴うようになります。それ故に行動条件反射と理解した方がわかりやすいです。

子どもではこの習慣行動と情動行動だけを考えておけば良いですが、大人の心になると、意識行動が機能をし出します。知識や言葉からの行動が可能になります。

子どもでも言葉通りに行動する子どもが居ますが、それも意識行動ではなくて、情動行動です。主として母親からの報償を求めた行動になっています。

8) 子どもへの躾け(行動を習慣化する)
躾け1)喜びの躾け(接近系の情動行動反射)
躾け2)叱ることでの躾け(回避系の情動行動反射)

喜びの躾とは、接近系の行動条件反射を学ばせることです。接近系の情動行動反射は繰り返されることで、行動に伴う接近系の情動は消失していき、単なる習慣行動に変わっていきます。
叱ることでの躾は、回避系の行動条件反射を学ばせることで有り、6)の嫌悪刺激への反応の仕方を利用した物です。子どもはよい子を演じてしまうので、その場限りの躾になります。繰り返すことで辛さを生じる条件反射を学習してしまいます。

9) 感情とは
 大人が感じる感情とは体に表現された情動を感じ取って、過去の経験から感情として言葉に表現しています。脳が単独で感情を作り出すのではありません。
子どもでも体に表現された情動を感じ取ることはできますが、過去の経験が少ないために、言葉で表現することがとても下手です。

10) 意識とは
 意識は少なくとも知識や言葉にすることができます。少なくとも知識や言葉に基づいた前頭前野の機能です。皮質反射(習慣)との違いは、知識や言葉により行動が可能になりますし、情動を調節することができます。あたらな知識を作ることができます。子どもはこの機能がないか、極めて下手です。それが大人の心になったときに、急激に意識行動が可能になります。

11) 心が辛い子どもの論理
 心が辛い人や子どもは、情動が強く働いています。情動が強く働いているために、意識的な、理性的な、知識からの行動ができません。人間から意識的な行動がなくなると、動物の心と同じになります。それまで身につけた習慣と情動行動だけになります。
 情動行動しかできない人に意識的な行動を求めてもできませんから、それはその人の否定として機能をして、その人に葛藤状態を生じ、ますますその人を苦しくします。常識の多くは理性からの行動です。心が辛い人は常識からの行動ができません。常識を要求されると葛藤状態になり、回避行動をとるようになります。

$2 不登校総論(不登校に当てはまる原理です)

12) 不登校の心の仕組み
不登校1)子どもの性格からの不登校
不登校2)学校に反応をするトラウマ=fecorからの不登校(学校恐怖)

性格からの不登校の例は少数です。入学時から登校ができません。その子どもを無理をして学校に行かせ続けると、学校に反応をするトラウマ=fecorを学習してしまいます。
 殆ど全ての不登校の子どもは学校に反応をするトラウマ=fecorを持っています。このトラウマ=fecorを反応をさせる物を登校刺激と呼びます。登校刺激は学校、先生、勉強、友だちが殆ど全てです。この四つから不登校の子どもを守れ(子どもがこれらを思い出すことも含めて)ば、子どもは普通の子どもとして成長が可能です。

13) トラウマ=fecorへの対応法
 トラウマ=fecorは情動記憶です。反応をすればするほど強化されましし、反応をしないでおくと弱まっていき、消失します。不登校問題の解決はトラウマ=fecorを反応をさせない(登校刺激をなくする)ようにして、時間の経過を待ちます。
 トラウマ=fecorは情動の回避系の反応です。情動の接近系が働いているときには、トラウマ=fecorは働きにくくなります。それ故に不登校の子どもは何でも良いですから楽しいことに没頭できたら、解決が早くなります。不登校の子どもが享楽的な楽しみに没頭するのに、このような意味があります。子どもの心が元気になってきたら、子どもは子どもが持つ本能から、からな図この享楽的な楽しみを止めて次の段階に進みます。

14) 登校刺激
 不登校の子どもの心には学校に反応をするトラウマ=fecorがあります。その子どもが学校を意識すると、fecorが反応をして、体中に辛い症状を出します。動けなくなります。
 不登校の子どもに学校を意識させる物を登校刺激と言います。それは学校、先生、勉強、友だち、それとそれらに関連する物です。

14) トラウマ=fecorの概念
 パブロフの条件反射は情動の接近系の条件反射です。情動の回避系の条件反射を辛さを生じる条件反射(fecor)と呼ぶことにします。fecorを学習する際に学習した条件刺激を辛さを生じる条件刺激(fecos)と呼ぶことにします。fecosをたびたび経験するとfecorが反応を繰り返すことで、fecosの汎化を起こします。身の回りの物がfecosになり、fecorが反応をする様になります。このようになると、原因がないのに荒れたり、問題行動を起こしたり、心の病の症状を出すと、一般の人は判断するようになります。不登校の場合にはfecosは学校や学校を連想させる物です。
 このように一般の人では何でも無い物に、又は楽しい物に、その人のfecorが反応をして辛くなる子とをトラウマと言うことにします。ただ、一般の人の言うトラウマと違いますので、トラウマ=fecorと表現することにします。

15) 心が辛い子ども
 心が辛い子どもとはトラウマ=fecorを持っている子どもです。日常の何かがfecosになっているので、その日常の何かでfecorが反応をして辛くなっています。原因がないのに辛くなっていると一般の人は考えますから、心が辛い子どもと表現します。不登校の場合には登校刺激を受けている子どもです。又不登校の結果生じた自己否定から、心が辛くなっています。
 不登校で心が辛い子どもへの解決法は、fecosから子どもを守ってあげると、子どもは心が辛くなりません。その本能から普通の子どもとして成長をしていきます。自己否定のある子どもには、母親による自己肯定感を与える必要があります。
 心が辛くない子どもは心が元気な子です。fecosがないか、理解可能なfecosを持っているだけです。大人が持つ常識が当てはまります(心が元気な子どもの論理)。例え子どもの見かけが元気でなくても、心としては元気な子どもに入ります。
 心が辛い子どもへの対応法(心が辛い子どもの論理)は、多くの場合大人の常識と異なっています。大人の常識と逆な場合があります。心が元気な子どもの論理でも、子どもに大人の対応が必ずしも当てはまっているのではありません。子どもの方でよい子を演じて大人に合わせてくれているだけです。よい子を演じる辛さが子どものする楽しみで解消ができているだけなのです。

16) 葛藤
 大人が子どもに~をしなければならないという知識を与えたとき、子どもは特に不登校の子どもはその知識に基づいた行動ができません。その結果、子どもは葛藤状態になって、とても辛い状態になってしまいます。不登校の子どもに登校刺激を与えていなくても、この葛藤からとても辛い状態になって、不登校の問題を解決できなくなります。次の自己否定の原因になってしまいます。
 対応法は~をしなければならないという思いを取り除いてあげることです。ありのままの子どもをそれで良いと認めてあげることです。不登校の子どもが学校に行きたいと言っても実際には行けないとき、親は子どもに学校に行かなくて良いと言ってあげると、子どもが学校に行かなくてはならないと言う思いが弱まって、葛藤状態が弱くなります。

17) 学校に行きたくなかったら行かなくて良い
 一般に心が辛い子どもに、条件を付けて何かをしなくて良いというとき、子どもは条件に基づいた行動ができません。その結果条件を付けることはその何かをしなさいという意味になります。ところが条件を付けて何かをしなさいという場合、その何かをしなさいという意味になります。つまり子どもは条件を付けて何かを言われたら、例えそれがしなくても良いと言う意味であっても、その何かをしなさいという意味で反応をします。
特に学校に関しては、子どもは学校に行かないと言う選択肢を持っていませんから、はっきりと学校に行くなと言わない限り、学校に行きなさいと言う意味になります。はっきりと学校に行くなと言う必要があります。

18) 自己否定
 不登校の原因ではありませんが、不登校の結果子どもが自己否定を生じて、不登校問題の解決を難しくする場合があります。学校に行けない子どもを学校に行かす対応をすることで生じる葛藤から、自己否定に移行します。自己否定はとても強い本能からの回避系です。解決が難しくて、子どもの荒れや問題行動、心の病の症状を出す原因となります。
 対応法は母親による共感とスキンシップ。母親による子どものありのままを認める対応です。
19) 母親の対応法
母親の対応法1)母親は子どもの訴えを無条件で聞き続ける必要があります。母親が発する言葉は相づちと共感の言葉だけです。説明や理由を言ってはいけません。子どもが納得するまで聞き続けてください。

母親の対応法2)子どもが荒れたり、問題行動をしたり、心の病の症状を出しているときには、母親は積極的に子どもの辛さに共感してスキンシップをするだけで良いです。子どもの要求だけに応えて、「どのようなあなたでも、あなたが大好きよ」という言葉以外のことを言ったりしない方が良いです。
母親の対応法3)子どもが落ち着いて自分の楽しみに耽っているときには、母親は子どもの要求を100%だけ叶える、子どもを見ない子どもに言わない、母親の笑顔です。

20) 母親の前では
 母親が登校刺激を与えない限り、子どもは母親の前では素直に行動をします。よい子を演じることはありません。母親の前の子どもの姿が子ども本来の姿です。母親はその姿を素直に判断すべきです。但し、子どもが学校に行きたいとか勉強をしたいと言ったときには、よい子を演じている可能性を考える必要があります。
 子どもが元気にしている時には、子どもは登校刺激を受けないでいる姿です。学校に反応をするトラウマ=fecorが機能をしていませんから、不登校問題の解決に向かっている姿です。学校に行っていませんが、それ以外は普通の子どもと同じです。
 子どもが荒れたり問題行動をしたり、心の病の症状を出しているとき、子どもに登校刺激が加わって居ます。又不登校が長い子どもや年長の子どもでは、自己否定の状態になっています。つまり、子どもの荒れや問題行動、心の病の症状を解決しようとするなら、直接その荒れや問題行動、心の病の症状をなくするための対応をするのではなくて、子どもに加わっている登校刺激か子どもの自己否定を解決すれば良いです。

21) 母親だけが持つ特別な能力
 子どもは母親にだけ解決を求めます。それは子どもが母親の母性を求めています。母親は自分の子どもに対して、子どもを守り育てようとする能力を持っています。それが共感とスキンシップです。この二つの能力は子どもに取って最強の接近系です。この二つだけで子どもの心の問題が解決できると言って過言ではありません。
子どもは母親からの信頼を求めます。母親から信頼されると、子どもは母親を信頼して、その子どもなりの将来を求めて動きます。子どもとの信頼関係を作る物は、子どもの要求を100%叶える、子どもを見ない子どもに言わない、母親の笑顔です。

22) 先回りをした対応
 大人の心では子どもの心に沿った対応は大変に難しいです。大人が考えた子どもへの対応は、子どもの心に沿っていないことが多いです。それでも心が元気な子どもはよい子を演じてくれますが、心が辛い子どもでは大人の先回りをされた行動に回避行動を取ってしまいます。子どもをますます辛くしてしまいます。
 不登校の子どもには、母親が子どもの辛さから守る対応以外の先回りをした対応はしてはいけません。但し母親だけは、子どもを辛さから守る対応を先回りをしてでも行う必要があります。先回りをして守って良い物は、学校、先生、勉強、友だちです。これらは学校に反応をするトラウマ=fecorを反応させるからです。
 子どもの心を元気にする(接近系)には、素直な子どもでいさせてあげる必要があります。素直な子どもとは、子どもの接近系=子どもの内から湧いてくる物だけで生活をしている子どもです。

23) 薬の使用
 薬は脳の機能を抑えることで症状の出現を軽減します。しかし薬は症状を抑えるだけでなく、脳の学習も押さえてしまいます。つまり心の成長を抑えてしまいます。大人ではすでに心が完成していますから、それ以上の成長を求めなくても社会生活は可能です。子どもは心の成長が必要です。薬はその心の成長を抑えてしまいますから、原則として子どもに投薬してはいけません。
 一時的に薬を投与するとの考え方も可能ですが、薬を投与することで症状が改善すると、その状態を維持するために辛さの原因を解決しようとしないで薬に依存をするようになります。薬をやめられなくなります。

24) 医療について
 心が辛い子どもには、医療は基本的に子どもの否定になっています。子どもはその本能から今の自分を認めたいし親にも認めてもらうことを希望しています。子どもを医療に掛けるなら、子どもは今の自分を認められていないと反応をします。

25) 不登校の原因と対応法
 元来接近系の学校が回避系になる原因として二つあげられます。
不登校原因1)子どもの脳の神経回路で、学校が接近系になるように未だ十分に成長をしていない状態で学校に行かされている。このような子どもは数が少ないと思います。このような原因だと考えられても、保育園時代、幼稚園時代に、保育園、幼稚園に拒否反応を学習していた可能性の方が高いと、考えられます。またこのような子どもは入学当初から学校を回避しようとし始めます。対応法の基本は、学校に行かさないで、子どもの心の成長を待つだけで解決します。
不登校原因2)殆ど全ての不登校と表現される子どもは、学校生活をすることで学校に反応をするトラウマ=fecorを学習して、学校が回避系になっています。今の精神医学で言うPTSDに相当する経験をすればわかりやすいのですが、それが無くても不登校状態になった子どもはPTSDと似た経験をし続けていたはずです。
つまり学校で子どもが繰り返し回避系の刺激を受け続けたために、回避系の刺激の相乗効果を起こして、他の人から見たら些細な回避系の刺激でその子どもは死ぬような思いをするようになっていることです。
 大人では回避系の刺激があっても、知識でそれを解決できます。子どもはそれができません。できないとき周囲の大人は子どもにその回避系の刺激を子ども自身で解決することを求めます。その大人の要求自体が子どもに取って回避系になりますから、子どもはその大人によい子を演じて、あたかもその回避系を自分で解決できたかのように振る舞います。しかし情動では回避系の刺激の相乗効果を生じて、子どもはその見かけと異なってとても辛い状態になっています。
 基本的に子どもに回避系の刺激を与えるべきではありません。しかし回避系の刺激が加わるのを回避できないときには、回避系の刺激の後にそれを打ち消すだけの接近系を与える必要があります。現在の学校のように頻回に回避系の刺激が加わる所にいる子どもには予め大きな接近系の刺激を与えておくのが良いです。その意味で今の子ども達には母親の存在がとても大きいです。
 しかし現在の一番大きな原因は、子ども達の見た目と異なって、子ども達が学校内での嫌悪刺激の連続に苦しんでいて、その辛さを学校外での接近系で解消できない状況にあることです。
 対応法としては、fecorが反応をする学校を忘れさせて時間の経過を待つことで、fecorは消失していきます。又、情動の接近系が強いと、回避系のfecorは反応をしなくなり、fecorの消失を促進させます。

26) 不登校の子どもの過ごし方
 不登校の子どもは学校を忘れて生活をする必要があります。学校を忘れて生活をしていると、fecorが消失して、又学校に行かれるようになります。子どもが楽しいことに夢中になっていると、より早くfecorは消えます。但しfecorが消失したあと子どもが必ず学校に戻るかどうかの問題は子ども次第です。

27) 不登校の子どもについて、その心の概念的な段階
不登校段階0)多くの時間を自分の部屋の中で、家の中で、荒れている。心の病の症状を出している
不登校段階0)多くの時間を自分の部屋で、家の中で、荒れている
不登校段階1)多くの時間を自分の部屋の中で一人で荒れないで過ごしている
不登校段階2)多くの時間を家の中で荒れないで過ごしている
不登校段階3)多くの時間を家の中で生活しているが時々家の外と関わる
不登校段階4)家の外での生活の時間が長い。
不登校段階5)子ども社会、大人社会に属する時間が出てくる
不登校段階6)社会常識的な社会との関わりができている
荒れているには、暴力的に荒れたり、問題行動をしたり、心の病の症状を出していることを含みます。
家の外で問題行動をしているのは不登校段階0に属します。
不登校段階3)の中に自分の部屋に登校刺激があるから部屋から出ている場合があります。
不登校段階5)と6)には、よい子を演じて社会と関わっている子どもがいます。これらは本来なら不登校段階4)に属します。

28) 子どもが不登校を止めて学校に行くという場合
 不登校の子どもが学校に行くという場合、子どもの心のエネルギーから本当に行けるかどうかの判断ができます。
再登校1)心のエネルギーが低いとき、子どもがよい子を演じて無理をしていると考えられます。
再登校2)心のエネルギーが高まると、子どもの持っている本能から、学校に行こうとしています。
この二つの区別ができないときには、子どもを学校に行かさない対応を取ると良いです。心のエネルギーが低いと、学校に行こうとしなくなりますし、心のエネルギーが高いと、この対応を押し切って、子どもは学校に行ってしまいます。

$3 不登校の子ども(各論)

1) 学校への行き渋り
 子どもの本能からいうと学校は接近系です。子どもがfecorを学習することで、学校への回避系が接近系と同等となったとき、子どもの様子で子どもは学校に行ったりいかなかったりします。
学校へ行く力=子どもの本能と習慣+子どもが親が学校に押すーFecor
この学校へ行く力がほぼ拮抗しているとき、子どもが学校に押す力の変化で、子どもは学校に行ったりいかなかったりします。五月雨登校になります。
すでにFecorを学習していても、
子どもの本能と習慣+子どもが親が学校に押す>Fecor
なら、特に子どもがよい子を演じて子ども自身で自分を学校に押している場合、親は子どもの不登校に気づかない状態です。よい子を演じきれなくなったとき、学校への行き渋りを生じます。

2) 学校へ行けない、朝起きてこない、学校に生かそうとすると荒れる
 学校への回避系が接近系より大きくなった場合、大人が子どもを学校に押しても、子どもは学校に行かなくなります。学校へ行く力の式で
子どもの本能と習慣+子どもが親が学校に押す<<Fecor
 朝起きてこないのは、目覚めと同時にfecorが強く働いているためです。
 学校に生かそうとすると荒れるのは、fecorが働いて強い回避行動が出ているためです。

3) ゲームに没頭、ゲーム依存症
 子どもがゲームなどの享楽的な楽しみに没頭する理由です。
ゲーム没頭1)没頭することで登校刺激を忘れる
ゲーム没頭2)ゲームの接近系でfecorを弱める
ゲーム没頭3)ゲームの中で子どもは学習を始めています。
ゲーム没頭4)ゲームに納得すれば、他の楽しみに移行します
 ゲーム依存症は大人のゲーム依存についての話です。子どもにはゲーム依存症はありません。一見ゲーム依存のように見える子どもは、自分の心の辛さを軽減するためにゲームに没頭しています。

4) 引きこもり
 不登校からの引きこもりは、不登校の解決にとても大切です。登校刺激を回避するために子どもが引きこもるのは、不登校問題の解決を早めます。子どもの心が元気になったときには、子どもは必ず自分から引きこもりを止めて、社会活動を開始します。引きこもりを止めさせるのではなくて、引きこもりをしなくて良い環境を作る必要があります。
 引きこもりの原因には登校刺激と自己否定があります。年少の子どもでは主として登校刺激から、大人年齢の子どもでは自己否定から、その中間の子どもでは登校刺激と自己否定から引きこもります。
 引きこもりの段階について、不登校の段階を参照してください。登校刺激と自己否定に置き換えることで同じように表現できます。大人の引きこもりと同じように考えることはできません。

5) 不眠
 不登校の子どもには登校刺激が加わって居ることが多いです。その結果交感神経が緊張状態になっていて寝付けません。夜起きて明け方に眠くなり寝るという形になります。
 大人と違って、子どもの不眠に基本的に睡眠薬を使わないでください。眠られるまで夜起きていて良いことを子どもに伝え続けてください。

6) 昼夜逆転
 心が辛い子どもが元気になるために、必ず経なければならない姿なようです。例外もないわけではありませんが、ほぼ間違いなく昼夜逆転を経てから子どもは元気に動き出します。昼夜逆転を積極的に評価する必要があります。

7) よい子を演じる
心が元気な子どもがよい子を演じる場合には、それは子どもが大人から報償を得ようとする場合です。
心が辛い子どもがよい子を演じるのは、それは辛さを回避する行動です。見た目は心が元気なよい子を演じますが、その心はとても辛い状態になっていて、どこかでその辛さを解消する必要があります。

8) 家の中で暴れる
母親の対応が悪いと言う意味です。家族の対応が悪いと言う意味です。子どもの怒りをぶつける物や人がその子どもを苦しめています。

9) 盗み、万引き、自転車泥棒
心が辛い子どもがよい子を演じて居るとき、その子どもが陰で行う行動です。繰り返すと習慣化しますから、何が何でも避ける必要があります。

10) 起立性調節障害
 不登校の子どもに登校刺激が加わって居ると、自律神経が緊張状態になります。この自律新家の症状として起立性調節障害の症状があります。病的ですが病気ではありません。

11) 発達障害
 心が辛い子どもがその辛さからその年齢並みのことができなくなっている状態です。
発達障害1)心が辛くて年齢相応の行動がとれない場合
発達障害2)心の発達が他の同年齢の子どもに比べて遅れている場合
発達障害3)心が辛くて今までできていたことができなくなった場合
このような子どもには遅れている分だけ何か突出したものがある場合が多いように思えます。

12) 心の病の症状(鬱病、統合失調症)
 心が辛くてその辛さからの回避行動を取ろうとしても十分に取れないとき、心の病の症状を出します。精神症状を出して、病的ですが病気ではありません。

13) 自傷行為(リストカット、頭を壁にぶつける)自殺の道具を用意する
 心が辛くてその辛さからの回避行動を取ろうとしても十分に取れないとき、自己否定を生じたり、その自己否定をこれらの行動で示します。自殺をすると言う意味ではありません。生きたいけれど生きて居ると感じられないので、痛みを感じることで生きて居ることを確認する姿です。但し事故から死に至る場合もあります。
 子どもが言う「死にたい」という言葉は、本当に死にたいと言っているのではありません。辛さにも色々な段階がありますが、その内で一番辛いと言う意味です。

14) 過食、寡食
 回避できない嫌悪刺激(ストレス刺激)でとても辛く(ストレス状態に)なっているとき、これらの行動に出る子どもがいます。逆に過食、寡食がある子どもは回避できない強い嫌悪刺激に晒されていると考えられます。


16)部屋を真っ暗にする。一年中薄着で過ごす、着替えない、ぼろぼろの服で過ごす


16) 虐め、虐められ
よい子を演じている子どもがその辛さを解消するために人で遊ぶ行動が虐めです。虐められる子どもも心に辛さを抱えていて、虐めから逃げるためのエネルギーを持っていない状態の子どもです。

16) 学級崩壊
 学校内で辛くなった子どもは、授業中に問題行動をします。それを教師が止めようとすると、ますます問題行動を強めます。学級崩壊の原因になっている子どもは、学校で辛くなり、逃げ場がない子どもです。学校で辛くなった子どもで家に逃げられる子どもは不登校になります。家に逃げられない子どもは学級崩壊を起こしたり、学校外で問題行動をします。

17) 居場所
子どもが長い時間を過ごす場所のことを言います。不登校の子どもでは学校以外の場所で子どもが居続ける場所を言います。不登校の子どもに登校刺激があってはならない場所ですが、大人も子どもも気づかない登校刺激がある場合もあります。
 心が辛い子どもに取って、最も安全な場所(登校刺激がない)は母親の周囲ですが、その母親が登校刺激を子共に与える場合、子どもは母親を攻撃したり母親の側から逃げ出したりします。その逆も成り立ちます。
 フリースクールと言っても内容はいろいろです。そこに学校の要素があったら不登校の子どもには居場所になりません。既にfecorが消えていてこれから学校に戻ろうとする子どもには、その手始めとしてのフリースクールを選択するのは問題ありません。

18)兄弟姉妹間の問題
 兄弟姉妹間の問題の解決は、基本的に子どもたちの間に任せてあげると良いです。親にはそのトラブルの後でおのおのの子どもに個別に共感とスキンシップだけで対応をしてもらうのが良いです。兄弟姉妹間の問題を親の常識で解決しようとすると、後で大きな問題を生じます。

19)友だちを欲しがる
学校の友だちは楽しさと同時に登校刺激を持っています。可能な限り避けた方が良いです。大人やずっと幼い子どもと遊ぶのは子どもを元気にします。母親が母親を止めて子どもの友だちとなると、それは子どもをもっと元気にします。

19)辛さの上下
 子どもが辛さを表現しているときには、常識からでは子どもに何か変化が起こったと考えて、子どもの変化に対する対処法を考えます。不登校の子どもの辛さの変化は主として登校刺激が加わっているからです。年長の子どもでは自己否定を生じる刺激が加わっているからです。子どもへの対応を考えると、それは子どもの自己否定につながります。子どもに加わっている登校刺激をなくする、子どもに加わっている自己否定を起こすものを取り除いて、自己肯定感を高める(ありのままの子どもを認める)対応が必要です。
 心が辛い子どもに「大丈夫よ」とか「心配いらないよ」とかの言葉は、かえって自己否定を高めます。「頑張れ」は最悪の言葉になります。

20)学校との関わり
学校1)友達が来る。学校からの連絡。教師が来る
これらは登校刺激になります。必ず避けなければなりません。
ただし、友達は遊びという楽しさを持ってきます。楽しさが登校刺激以上だと子どもはども立ちと遊ぶことができます。それでも登校刺激を持っていますから、楽しさの意味外が大きく損なわれています。一人で遊んだ方が効率的です。

学校2)生存確認
学校が登校刺激をするためではないが、子どもが家で虐待を受けていないかどうか、子どもの安全を確認する必要があると言って、子どもに面会を求めることがあります。面会を許可しないと児童相談所に訴えるという場合があります。

学校3)児童相談所
児童相談所は訴えられたら法的根拠で子どもの安全を確認する義務があり、親の拒否を認めてくれません。対抗策は医者の診断書しかないようです。

学校4)学校が不登校を解決できない
 子どもが学校に登校しているなら、学校は学校が子どもの心に沿って変化しさえすれば(現実に一人の子どものために教育の方針を変えることは不可能だと思います)、学校も不登校の子どもを守ることができます。しかし子どもが一端不登校になったとき、子どもを学校と関わらせようとすることだけで、子どもは学校への拒否反応を強めていきます。学校がどんなに子どもの心に沿って変わったとしても(実際に不可能ですが)、子どもの学校への拒否反応が優先してしまいます。

21)病院との関わり
 子どもが出すいろいろな病的症状から病気ではないかと、親が心配してしまうことは仕方がないです。 体の病気で出す症状と心が辛くて出す症状と、医者でもその区別をつけられない場合があります。医者の指示に従わざるを得ないでしょう。その治療経過の中で、体の病気にしてはおかしいと感じられるようでしたら、治療をやめてみるのも一つの方法です。子どもには心の病はないからです。自律神経に関する症状もほとんど全てが心の症状の一部です。

22)病気に逃げる
 不登校の子どもはなぜ自分が辛くなるのか理解できません。子どもが病気なら周りから学校に行かないことを責められませんし、自分が辛いのもわかります。そこで子どもは無意識に病気に逃げる場合があります。時には目が見えない、耳が聞こえないなどの症状を訴えることがあります。

23) 薬を減らすには
 子どもの心の状態は薬で維持をされています。現状を維持しながら薬を減らすには、回避系を減らす必要がありますが、接近系を増やす必要もあります。

24)サンドバッグ
 不登校などの心が辛い子どもは、母親の対応が悪いと母親を言葉や暴力で責めます。母親は子どもからの責めを受けないと、子どもはもっと母親を責めます。子どもからの攻めをなくするには子どもからの攻めを受けながら、母親の子どもへの対応の悪さを、子どもの心に沿った対応に変えていく必要があります。母親が子どもの心に沿って変わったと子どもが判断するまで、この子どもからの攻めは続きます。母親はその子どもからの責めを、ボクシングのサンドバッグのように受け続ける必要があります。しかしその責めが母親の存在に危険をもたらすと判断した場合には、一時的にその責めから逃げてもよいです。

25)奴隷
 不登校などの心が辛い子どもは、母親の対応が悪いと母親を奴隷のように扱います。その扱いに母親が拒否をすると、子どもはますますあれたり、問題行動を強めます。子どもが母親を奴隷のように扱っても、それを受け入れて、子どもの心に沿った対応をするならば、子どもは母親を奴隷のように扱うのをやめます。

26)子どもからの無理難題=テスト
 不登校などの心が辛い子どもは母親が変化をしてきて、子どもの心に沿った対応をし始めたとき、本当に信頼できるかどうかのテストを無意識にすることが多いです。母親に無理難題を投げかけます。その無理難題に母親が無理だと反応をしたら、母親は子どもからのテストに合格しません。子どもはまだ母親が子どもを信頼していないと反応をします。その無理難題に不可能でも取り組む母親を子どもが認識したなら、子どもはその無理難題を取り下げて、母親を無条件で信頼し始めす。
 子どもが母親をサンドバッグのように、また奴隷のように扱うのもテストだと考えるとわかりやすいと思います。

27)子どもの言葉の死にたい
 これは子どもが自殺をするという意味ではありません。つらさにもいろいろな程度がありますが、そのつらさの程度のうちで一番辛いという意味です。
 この言葉を精神科医の前で言うと、自殺の恐れがあるとして強制入院になることが多いようです。

28)子どもの自殺
 言葉で自殺を言う子どもは自殺をしない傾向があります。子どもの自殺は子どもが安心していられる居場所がない子どもに多いです。このような子どもは自殺を言葉にすることは少ないです。自殺をするともいわないで発作的に自殺をしています。
遺書も見つかりやすいところにおいている子どもは自殺をしない傾向があります。見つからないところに置いておく子どもは自殺をする可能性があります。

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大人の考え方 18.05.10

私達大人は大人の考え方をします。決して子どもの考え方ではないです。大人の考えとは大人が言葉を使って表現する限り、観察(刺激)を大人の知識で理解して、言葉にしています。言葉にする限り大人の考え方です。子どもへの対応を考えるとき問題になるのは、大人の考え方が子どもの心に沿っているかどうかです。大人の考え方が子どもの心に沿っていないと、子どもが大変に苦しくなる場合があるからです。

子どもを観察して、子どもの心に沿う方法論として、子どもの言葉にそう方法と、子どもの情動にそう方法があります。

子どもの言葉に沿う方法は多くの大人が自然としている方法です。大人の心に沿う方法と同じです。

子どもの情動にそう方法は、子どもの情動は行動や表情、とっさの行動に表れます。それらに基づいて子どもの心を理解する方法です。子どもの行動は情動から生じていますから、子どもの行動(反応を含めて)を理解するには、子どもの情動にそって理解しないと、理解ができません。

たとえば子どもが学校に行かなければ、子どもの情動にそった考え方では、学校を回避している、学校が辛いと理解します。
これを言葉にそう方法で理解すれば、子どもが怠けている、学校に行きたがっているのに学校に行けないのはかわいそうと理解します。

このように子どもの心に沿った理解は子どもの言葉に沿った理解と全く逆なことになることが多くあります。

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心の辛さの解消法 18.05.10

あるところでアレクサンダー・テクニークというのが話題になりました。それはアレクサンダーという俳優が声が出なくなり、それをどのように克服したかという話しでした。そのときの話しが、子どもの心を理解するのに役立つと思いますので、転載しておきます。このことを理解できなくても、母親なら大丈夫です。父親には是非理解してもらってください。

アレクサンダー・テクニークという名前は知りませんが、特に心が辛い子どもの心の世界ではこの現象が非常に頻繁に起こっています。殆ど全てと言って良いと思います。しかし子どもの世界では、子どもに問題があると考えられて、子どもを治療することに主眼が置かれていて、子どもの心の中でこのアレクサンダーに起こったことが起こっていると考える人がいないのです。それを説明しておきます。

人間の心には言葉になる顕在意識と言葉にならない潜在意識とがあります。

潜在意識には習慣(大脳新皮質)と情動(大脳辺縁系)があります。

情動には接近系と回避系があります。これらは主として本能と、母親から受け継いだ情動(具体的に何が接近系になり、何が回避系になるかと言う点です)とがあります。

接近系の本能には、生きようとする本能、子孫を残そうとする本能の他に、子どもでは成長しようとする本能があります。これらは全てホルモン、自律神経の反応を伴います。

回避系では、逃げる、逃げられないときにはよい子を演じる、よい子を演じられなくなると荒れる問題行動をする、荒れる問題行動を取れないと心の病の症状を出します。これらは全てホルモン、自律神経の反応を伴います。

回避系の荒れる問題行動を取ると心の病の症状を出すとは、個人の反応の傾向(性格)に関与しているようですが、心の病の症状を出す方が回復が難しいように感じています。荒れる問題行動には家庭内暴力、虐め、万引き、傷害事件、発達障害の症状などがあります。病的症状には声が出ない、手足が動かない、過敏性腸炎、鬱病、統合失調症などがあります。この事実を多くの人は知らないのです。

人がストレス状態にある(回避できない嫌悪刺激に晒されている)ことを、人間は知ることができません。ただ知ることができるのは体に表れた症状から知ることができるだけです。アレクサンダーの例では、自分自身がストレス状態にあることに気づいていません。ただ気づいたのは声が出づらくなったという事実です。多くの人は単に声が出づらい問題が生じたと考えますが、人間の心から言うなら、回避系の刺激を受けて、その刺激から逃げられないので、その回避行動として、アレクサンダーでは声が出づらいという症状を出しただけです。きっとアレクサンダー・テクニークというのは声を出すための又は緊張を軽減するための方法でしょうが、心という立場から言うなら、回避できない嫌悪刺激がある、その回避できない嫌悪刺激を、どのようにして知識から回避するかという問題なのです。

子どもでは、この回避できない嫌悪刺激を母親の母性で解消します。ですから、母親がいない子ども、母性が機能をしていない母親の子どもでは、その解決が大変に難しくなる傾向があります。

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心の辛さの解消法 子どもの場合 18.05.10

熊本地震について、心の傷の使い方を見てみます。

大人の場合「思い出すと辛くなる記憶」として使われているようです。その人として辛い経験をした記憶が辛い情動を引き起こしているという意味で、その人の辛い形記憶を他の人も理解可能な記憶を指しています。つまり嫌悪刺激なのですが、その人にとって思い出す頻度が大きいという意味を指しているようです。

子どもの場合
>怖い目にあった体験を言葉で周囲にうまく伝えることができません
とあるように、大人と同じように思い出すと辛くなる記憶と考えられています。つまり陳述記憶、意識に上る記憶です。元来子どもは経験を言葉にすることは大人のようにできません。また、辛かった経験を言葉で聞いても、必ずしも辛くなりません。子どもの辛さは情動から生じます。情動記憶から子どもは辛くなります。

大人では陳述記憶と情動記憶とはほぼ一致していますが、子どもでは別物と考えた方が間違いがないです。情動記憶は言葉になりません。子どもが言葉で辛さを訴えることが必ずしも子どもをとても辛くしている物とは限りません。もちろん言葉で訴える辛さを信じてあげる必要がありますが、言葉にならない部分にもっと大きな辛さの原因があるという意味です。

重要なことは子どもでは自分の辛さを言葉で表現できないと言って良いと思います。表現できないから大人からの言葉を利用して表現します。辛くて苦しんでいる子どもがそのときまでに投げかけられてきた言葉、そのとき投げかけられた言葉をそのまま利用して表現します。ですから、大人がその言葉から感じる辛さと子どもが感じている辛さと異なっていることが多いです。

熊本でも、東日本大震災でも、子どもの心のケアとしていろいろと設問を示してそれを選択させる方法が採られます。その結果は子どもに与えた設問で異なってきます。又自由記述欄があったとしても、そのときに言われ続けたことを子どもは記載してしまうのであり、子どもの本当の辛さとは限りません。結果は大人から誘導されたと理解するのが一番でしょう。

PTSD・心的外傷後ストレス障害に繋がる恐れを専門家は心配していますが、もしこの震災でそれを子どもが持ったとしたなら、脳の仕組みから言って、それはもう既に表れているはずです。慢性PTSD・心的外傷後ストレス障害というなら、この震災で辛くなった子ども達の辛い心を理解しないでストレスを大人が与え続けることで生じます。心の傷を間違って理解して、子どもを苦しめるような対応を続けていることから生じます。この際に大人ではよかれとして行っている大人の対応が、子どもを苦しめていることに気づく人が殆ど居ないことを指摘しておきます。

症状について、「一人で家にいるのが怖い」、「突然物音に敏感になったり、イライラしたりする」、「災害のことを思い出して突然おびえたり混乱したりする」といった症状があげられています。災害時のことを思い出してとありますが、これは言葉通りなら陳述記憶です。子どもの場合陳述記憶から情動を生じることは限られた条件の下で生じるだけです。子どもの場合情動を生じる記憶とは情動記憶です。これらの症状は情動反応であり、情動記憶は子どもの意識には上りません。

情動記憶なら、子どもは何かの刺激を受けて、これらの症状を出しています。決して脳の中でてんかんのように生じているのではないです。どんな刺激を受けてこれらの症状を出しているのか、それは子どもによって同じではありません。また見つけることも大変に難しいです。ですから原因を回避しようとしても不可能に近いです。

情動記憶といえども記憶です。記憶は呼び起こされないとだんだん弱まって、忘れ去られていきます。記憶は呼び起こされるとだんだん強化されて消えなくなります。それ故に情動記憶を呼び起こさない環境が子どもには必要です。記憶を呼び起こさない居場所が必要です。心が安全な場所です。その場所には地震に関係した物があってはいけないです。あればその内の何かで子どもの情動記憶が喚起されて子どもは辛くなるし、子どもの辛い情動記憶は消失しないばかりか強化されていきます。

子どもの場合カウンセリングは悪影響はあっても良い効果はありません。カウンセラーによって辛い情動記憶が呼び起こされたときには逆効果です。子どもの場合辛い情動記憶に触れないで時間の経過を待っていることで、情動記憶は消失していきます。

子どもが地震の際に学習したfecorを考えてみます。急に揺れて家の中がめちゃくちゃになったことでどれだけ子どもが恐怖を感じるかでしょう。激しい揺れはそれだけで恐怖を生じます。物が落ちる音など、今まで経験したことがない出来事も恐怖を生じます。それらで大人が恐怖状態にあることに共感して、子どもは恐怖状態になります。それらは単に恐怖反応です。

今まで学校内の辛さや家庭内の問題などで心が辛い経験が多い子どもは、恐怖に敏感になっています。その子どもは、地震の際に見た物、聞いた音、臭いなどの何かにfecosを学習して、それに反応するfecorを学習した可能性があります。今の医学で言う急性のPTSDです。以後この子どもはこの地震の際に経験した何かに反応をして辛くなります。その何かは複数の可能性も高いですが、その何かを経験しない限り、その何かを思い出さない限り、fecorは反応をしませんから、辛い症状を出しません。

「一人で家にいるのが怖い」、「突然物音に敏感になったり、イライラしたりする」、「災害のことを思い出して突然おびえたり混乱したりする」などは、fecorの症状の可能性が高いと思われます。大人が、そして当人もfecosと気づいていない物に晒されて、fecorが反応をしてこれらの症状を出しています。これらの症状は嫌悪刺激への回避症状だからです。つまりfecosが子どもの身の回りにあり、それが子どものこれらの症状の原因だと気づかないために、これらの原因から逃げだそうと子どもはしないし、親も逃げ出させようとしないからです。

あくまでも推測ですが、熊本地震後の子どもの心のケアとして関係者が気づいた物の多くは、大人の対応に子どもが誘導されて答えた物が多いと思います。一部に本当に辛い子どもが居るはずですが、その子どもが言葉で訴えている辛さと子どもがその情動で感じている辛さと異なっている可能性も高いと思います。大人の心の傷の考え方を子どもに当てはめているので、子どもの辛さが誤解をされていると思います。その対応法やその経過も大人が作った仮定とその想像的な経過観察からなされていて、子どもの心に沿っていない対応が堂々となされています。それでも子どもの居場所を作ろうとしていることは間違っていません。子どもが楽しく過ごせる場所に子どもを保護することでfecorが消失することが期待できるからです。

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逃がしてあげる(ある母親から) 18.05.10

親の役割は子どもが苦しんでいたら、その子どもを助けようとしないで、子どもを苦しまない場所に逃がしてあげれば良い、子どもが苦しまない生き方をさせれば良いという意味になのですね。

子供が自分で辛さを回避できているうちはよいのでしょうが、辛いと訴えてきたときは、その状況から親がのがれさせてあげるだけでいいと言うことですね。

昨日、わたしの妹の家に行ったとき、ちょうど一年生の姪が帰宅していて、父親に下校途中の様子を詳しく話すように言われていました。
どうも、泣きながら自宅に帰ってきたようで、友達となにかあったみたいでした。
父親は下校の様子から特にトラブルになる出来事はなかったと感じていたようですが、友達を追い越して追い越されて、、を繰り返す我が子の行動が相手をイライラさせてしまったと思ったようで、
そんなことをするから友達が嫌な思いをしたのだよ、、と父親は言っていました。
その後も父親はしつこく娘に話を聞いていましたが、かわいそうで私は帰りました。

やはり親は解決策を教えて、今後同じようなことが起きたら対処できるようにするのでしょう。
子供のためになる方法は、解決策よりもその辛いことから離してあげるなんて考えもしないと思います。
もちろん子供がどうしたらいいかと聞けば提案はできますが、大人の押し付けの対処法は子供を苦しめることになりかねないですね。

子供が自殺したニュースを聞くと、死にたいくらい学校が嫌なら我が子なら行かせない、、という親が多いですが、実際子供間のトラブルで嫌な思いをしているわが子を見ても行かさない対応をする親はほとんどいませんよね。
解決策を考えて行かせますよね。
そうやって子供を助けた気になっているだけで、子供の立場からしたら解決していないのですよね。

子供は接近系を求めて遊んでばかりいるように見えますが、楽しい遊びを満喫したらさらに楽しいことを求めて進んでいき、興味のあることが社会に出ていくきっかけになるのだろうと思います。
生き生きとした大人になるには子供時代の成長の仕方が大きな影響を与えますね。
親の押しつけではなくて、子供の成長しようとする自然な動きにあわせる育児と言いますか、、幼くても一人の人間としての意志を認めて成長を邪魔しないというか、、
うまく言えませんが、助けが必要な時は子供から求めてくれば教えてあげることができますので、親子関係をようくして信頼関係を築いていれば、親は心配せずに子供を見守ることができると思いました。

私も息子はとても信頼できる子供だと思いますので、黙って見守りたいと思います。

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毒消し 18.05.10

>不登校引きこもりの10歳の娘です。起きているときはいつも辛そうですが、テレビを観て笑っている日もあります。親の私から見たら、どうしても娘の心が理解できません。

不登校、引き籠もりの子どもは、登校刺激を感じてとても辛くなっています。子どもの周囲に子どもに登校刺激を与える物があるからです。御母様自身もお嬢さんが学校に行って欲しいと思っていらっしゃいますから、それがお嬢さんに伝わってお嬢さんは辛くなっています。このようにお嬢さんはいつも辛いと言うのがお嬢さんの心です。

このお嬢さんの心は、御母様から見たら理由もなくただ辛そうだ、お嬢さんはおかしい、ひょっとしたら病気かも知れない、と思われるかも知れませんが、お嬢さんはその見かけと異なって、体の奥底から湧いてくる、表現ができない、とても辛い辛さがわき上がってきて、死ぬ思いをしています。この辛さだけで自殺をしてしまう子どもも居ます。

子どもはその本能から生きようとします。しかし辛さから生きていけなくなっています。そこでこの辛さを消すために刹那的な世転びを求めようとします。それがテレビであったり、ゲームであったり、漫画などです。

多くの大人は子どもがこのような刹那的な喜びにふけっていると子どもの心をだめにしてしまうと考えますが、当人はだめになりそうな心を守るためにこれらの刹那的な喜びにふけっています。

御母様はお嬢さんがこの刹那的な喜びに耽っていることの理由がおわかりでないようですが、今のお嬢さんには命を維持するために必要なのです。
 
お嬢さんは刹那的な喜びを得られても、お嬢さんは辛いと言う思いが消えただけであり、それほど楽しくもないのです。一種の毒消しを利用しているだけです。不登校引きこもりで辛い思いをしている子どもには、この毒消しが必要なのです。この毒消しがないと子どもは死んでしまうのです。

当然子どもの心が元気になると、この毒消しは必要なくなります。心が元気になった子どもはこの毒消しを使わなくなります。

すると不登校引きこもりでない子どもがゲームに耽る姿を知っている人は、そのような子どもにはゲームなどの子どもの刹那的な喜びは必要ないのでは無いかというと思います。それは次回、毒消しでない毒消しとしてアップロードします。

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不登校の子どもを持つ母親から 18.05.10

学会でも話が出ていますが、常識とか親の気持ちが優先して、不登校対応が難しい母親はたくさんいると思います。

私も息子が不登校になって、20人くらいの母親や祖母の方の相談にのったり、どんな対応をしているかなど聞かれたりしましたが、学校へ行かない対応はなかなかできないものなんだと実感します。

考えたら、私も行かさないのは勇気がいりました。来週から学校へは行かさないと担任に話したときのことはいまでも覚えてますからね。でもとにかく行かせたら子供がダメになると思ってましたので、子供を守るために、とりあえず行かさないでいたいという気持ちでした。まずは行かさないでおくことが必要で、そのあとのことはその時に考えて行こうと思ってました。

あまり先のことは考えられなかったですね、、だって、行かさない対応なんて初めてチャレンジするのですから、どうなって行くのかわからないことだらけですしね。だけど、きっと大丈夫、だって息子が毎日行きたくないって言うし、行かなくていいと言ったときの喜んだ顔は、心底嬉しかったようですから、これでやっていこうと腹をくくった時でしたね。

母親は辛くて当たり前、常識があるから迷ったり苦しむのも当たり前ですね。そうしていきながらも行かさない対応をやってみよう、とりあえずしてみようって思うものだと思います。

みじかなケースで最悪かもしれないと思ったには、子供に病名がついて、入院しないとならないところまで来たご家庭です。親子間の信頼なんてなくて、子どもは母親を拒否し、部屋から一歩も出てこない、食事も部屋の前に置いて一緒に食事はしない、子供は夜中にお風呂に入るので顔を合わせることがない、子供がいつ寝ていつ起きてるかも知らない、そう言う母親がいます。

こうなってしまって、今頃、その母親は学校へ行けと言ったことや、子供の気持ちを無視したこと、いろんなことを後悔されてます。母親も引きこもりになってます。お子さんは小学生で不登校、ケアされないまま、責められ続けて、今統合失調症と診断。入院しかない状態だそうです。だれとも会いたがらない、部屋に閉じこもり、引きこもり生活がずっと続いている20歳のお子さんです。

こんな風になってしまった家庭の事を聞くと、正直、母親が母親として機能してないと思ってしまいます。その母親は常識の塊です。学校は何もしれくれないと愚痴ばっかりだったそうです。今ようやく、いろんなことがわかって来て、自分の対応のマズさを痛感されています。20歳のお子さんにこれからどう接して行かれるのか、どうしたらいいのか、きっと母親は何が何だかわからなくて、入院しかないのかもしれないと思っているでしょう。

こう言う話を聞くと、私の中では、辛い子供を救うのには、母親も辛くなって当然、それが当たり前!辛いのを理由に、辛い子供の対応ができなくなるのは育児放棄と一緒だと思ってしまいます。辛い!きつい、たいへん!と言いながら、愚痴をいいながいいので、お子さんに愛情をいっぱい注いでほしいです

子供は親の思うようにはなかなかいきません。心が辛いこどもなら、なおのこと必死になって子供に寄り添わないとわからないことだらけです。親を主張したら子どものことが何も見えなくなります。ですからたくさん辛い思いをし、苦しみ悩み、そうやって対応して行くしかないと思います。失敗したらやり直したり、ちょっとやり方を変えてみたりしながら気づいていけばいいです。

でも一番怖いのは、いつまでたっても子供に寄り添えない親です。親を主張ばかりしている親です。それが一番怖く悲しいことです。そして子供が死んでしまったり、心の病として病院に繋がれたり、親を殺してしまったり、事件になって誰かを巻き込んでしまったりしてしまうケースが、本当に残念で悲しいことだと私は感じます。

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逆行動の法則(改訂版)

子供が親にとって都合が悪い行動、問題行動(子供が暴力行為や違法行為)をする場合、以下の二つの場合があります。
1)子どもが嫌悪刺激(子供自身が辛いと感じている)に晒されていて、その嫌悪刺激を回避できなくて、問題行動をしている(回避行動)場合
2)子供の自然態として何かに興味を持って行った行動(接近行動)が結果として親から見た問題行動だった場合
があります。

1)の嫌悪刺激に対して回避行動の問題行動をしている場合には、子供に加わっている嫌悪刺激を取り除くことで解決できます。けれど多くの場合、子供に加わっている嫌悪刺激が何か分からないか、子供に嫌悪刺激が加わっていることすら分からない場合が多いです。それ故に親や大人は子供の問題行動をなくそうとして、子供に関わります。常識から叱る、説得するなどのその子供にとっての嫌悪刺激を与えます。すると子供はよい子を演じてその場で問題行動を止めますが、親や大人がいなくなった後、嫌悪刺激の相乗効果より、一層問題行動を強めてしまいます。これを逆行動の法則と言います。
この子供の逆行動を解決する方法です。

a)問題行動をする子供は心が辛い状態です。子どもの心を辛くする原因が分からなくても、何かの方法で子どもの心を楽にしてあげる、楽しくしてあげれば良いです。子供を楽しくしてあげることで、子供に加わっている嫌悪刺激の効果が弱まって、回避行動が弱くなったり、無くなったりします。その楽しくしてあげる方法は子供によって異なりますが、例えば子供が欲しがっている物を与えるなどの方法があります。子供の本能から母親だけは子供にとって特別な存在です。母親からの共感の言葉、母親から現状を認める対応、母親からのスキンシップは、何にも増して子供が求めている物(本能からの接近系)だからです。子供の問題行動を弱めたり、無くしたりしてくれます。

b)子供の問題行動を大人の力で止めることもできますが難しさがあります。あまり勧められません。この場合辛さの相乗効果を生じて、子供はとても辛くなります。その結果、子供がよい子を演じていてもいなくても、この相乗効果を生じた子供の辛さを母親の共感とスキンシップで解消する必要があります。場合によっては子供が欲しがる物を与えることでこの辛さを解消する方法もありますがその場限りです。

その際に母親からの共感やスキンシップを拒否する子供がいます。母親と子供との間に信頼関係が無い場合です。母親が本当に子供を信頼しているかどうかのテストをしていると考えても間違いになりません。拒否をされても母親は子供にスキンシップをしようとする必要がありますし、普段から母と子供との間の信頼関係を取り戻そうとする努力が母親に必要です。


2)の子供が自然態で行った問題行動です。子供の接近系からの行動が親や大人にとって問題行動だったから、親や大人からその行動を止めさせられる対応=嫌悪刺激を受けます。子供は一時的によい子を演じてその行動を止めますが、その親や大人からの嫌悪刺激が無くなると、子供が持っていた接近系がより強く機能をし出して、より強くその行動をしてしまいます。親や大人から見たらより強く問題行動をしてしまいます。逆行動の法則が成り立ちます。
この子供の逆行動を解決する方法です。問題行動をする子供は子供自身の欲求からの行動が結果的に親や大人にとっての問題行動になっています。
解決法として

a)子供の問題行動がどれだけ親や大人を困らせたか、特に母親を困らせたか、経験させる必要があります。子供は母親に優しいですから、母親が困ることをしなくなります。子供が問題行動を弱めたり止めたりしたとき、母親が必要以上に喜んであげる必要があります。

b)子供の問題行動を大人の力で止めることもできます。この場合子供はとても辛くなります。子供がよい子を演じていてもいなくても、その辛さを母親の共感とスキンシップで解消する必要があります。場合によっては子供が欲しがる物を与えることでこの辛さを解消する方法もあります。


3)逆行動の法則は基本的に大人にも子供にも成立します。しかし大人では知識があります。意識的にこの逆行動をしないで(逆行動を意識的に抑制して)、社会に順応をしようとします。しかし心が辛い大人では、この意識的な行動ができません。この逆行動道の法則から、とても大きな問題行動をしてしまいます。

心が元気な子供でも、基本的にこの逆行動の法則は成立します。心が元気な子供では母親という大きな喜びがありますから、その母親からの喜びを得られる限り、この逆行動の法則が表面化することはありません。心が元気な子供でも、その母親からの喜びを得られない状況下の子供では、この逆行動の法則が成立します。

逆行動の法則という限り、証明される必要があります。証明するための原理
ダーウィンの進化論
脳の前頭前野の年齢的な特質
情動の接近系、回避系の存在とその相互作用
情動の回避系の表現(逃げる、よい子を演じる、問題行動、病気の症状)
情動の回避系の条件反射
を用いています。

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不登校の分類

$ 不登校の子供をその心から分類すると

1.”性格” 持って生まれた性格から学校という子ども社会、集団生活に拒否反応を生じる子ども(このような子どもも子どもの集団が好きですし、新しいことを学ぶ事も好きです。但し日本の学校のあり方に合わなくて、拒否反応を起こしています。このような子どもは意外と外国の学校に行ける場合が多いようです)

2.“恐怖” 学校内に具体的な恐怖刺激が有り、それに反応をして、学校に行けなくなる子ども(恐ろしい先生、学校内に虐めがある、嫌いな科目や給食があるなどです。fecorのある子どもと異なって、学校そのもの、学校の概念に反応することは無いので、特別教室やフリースクールなどに通うことは出来る)

3.”反射” 学校に反応をして子どもを辛くするfecorがある子ども(学校を見聞きしただけで、学校に類似する物に反応をして辛くなります。親や周囲の大人から見たら、なぜ子どもが学校に行けないのか分からない子どもです)

$ 不登校の分類1.“性格”の子供について

”性格”の子どもは小学校入学当時から叉は入学して短い時間で学校に行けなくなります。このような子どもでも入学当初はよい子を演じて一生懸命学校に行こうとしますが、耐えきれなくなって学校に行けなくなります。それを無理をして学校に行かせようとすると、fecorを学習して、”反射”の形の不登校に移行をします。
持って生まれた性格から学校という子ども社会、集団生活に拒否反応を生じる子どもです。
このような子供は幼稚園入園児から、小学校入学時から学校に行けません。それでも行かそうとすると、子どもの立場は弱いですし、親を大好きですから、子どもはまず大人の期待する姿(=よい子を演じます)をとります。可能な限りよい子を演じていても、その内によい子を演じられなくなって荒れたり問題行動をしたり体や心の症状を出すようになります。それでも幼稚園や学校に行かせようとすると、学校に反応をするトラウマ=fecorを学習してしまい、学校に行けなくなり、対応が大変に難しくなります。

$ 不登校の分類2.”恐怖”の子供について

”恐怖”の子どもの不登校と”反射”の形の不登校と普通の人では区別できません。この形の子どもは学校内に具体的な恐怖刺激が無いと、無くなると(例えば怖い先生が居なくなる、虐める友達がいなくなる)、学校に行かれるようになります。学校自体に反応をするfecorがありませんから、登校刺激をしても大丈夫です。登校刺激をして、未だ学校内に子どもが辛い思いをする恐怖刺激が残っているなら、子どもは学校に行こうとしません。それでも無理をして子どもを学校に行かせようとすると、3.の形の不登校になります。解決が難しくなります。
学校内に恐怖刺激が無くなるのを待つ、子どもに大きな接近系(喜び刺激、例えば母親の対応)与えることで、嫌悪刺激の回避系を相殺して、子どもを学校に行かせることが出来ます。学校内に嫌悪刺激が無くなると学校に行くことが可能になります。多くの人が考える不登校の子供とはこの”恐怖”の子どもです。

$ 不登校の分類3.”反射”の子供について

”反射”の子どもの不登校は、登校刺激をするとますます状態が悪くなる子どもです。fecorを理解していない人では、対応が出来ませんし、fecorを消すにはとても長い時間が必要です。登校刺激を与えると、fecorが強化されますから、絶対に与えてはなりません。また登校刺激を与え続けることで、子どもが家の中では家具などをも和すなどの荒れを生じ、荒れない子どもは家の外で犯罪行為などの問題行動をする事があります。それがもっと進行すると所謂精神病の症状を出すようになります。ですから常識的な人ではfecorを消す対応を理解できません。fecorを消すにはとても長い時間が必要ですから、多くの人は焦りを感じてしまいます。子どもの将来に不安を感じるようになります。この質問者もこのような人です。

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100%子どもの要求に応える

子どもの要求が我が儘だ、甘えだと考えられるときの対応について、このことを考えるにはまず最初に子どもの心を知らなければなりません。子どもの心から考える必要があります。大人がこれで100%だと決めても意味がないです。そして子どもの心から考えるなら、「子どもの立場に立つ、子どもの心の沿うとは」から考えることになります。

つまり子どもの要求が親や大人にとって我が儘だ、甘えだと理解されても、それよりも先に、子どもの心はどのようにして要求をしているのか、子どもの心から次のようになります。

子どもの行動は反応の心からの反応か、情動の心からの反応であるから、大人から見て甘えだ、我が儘だと感じられる場合でも、子どもの要求という反応は何かの刺激に素直に反応して生じています。大人と違って、子どもの心からは甘えだ我が儘だという反応の仕方はないです。子どもは与えられた環境に順応して成長をしようとしていますから、大人から甘えだ我が儘だと判断される子どもの要求も、子どもの心から言うなら、与えられた環境に順応して成長するために必要な要求であるという事実があります。

このような子ども特有の心の反応を考えるなら、子どもの要求に添ってそれを満たしてあげる限り(受容)、決して甘えでも我が儘でもありません。子どもの要求を十分に満たさなければ、子どもは葛藤状態になります。子どもの要求以上の事をすると、それは子どもに依存を生じて、それ以後甘えや我が儘の原因になります。

親や大人が子どもの要求が甘えだ我が儘だと感じられるときには、
(1)子どもを信頼していないこと=子どもの心から子どもを見られないこと
(2)既に子どもが親や大人に依存状態になっていること
(3)子どもが親を信頼できるかどうかテストしている(ここでは述べません)
のどれかになっています。

例えば子どもが何々を買ってと強く主張する(親や大人から見たらだだをこねる姿)場合について、子どもにそれが必要だが、親や大人にそれが理解できない場合、子どもが親や大人に依存関係になっていて親や大人の先回りの対応がないことに不平を言っている場合、親が信頼できるかどうかを子どもがテストしている場合があります。

この三つの内のどれに相当するかで親や大人の対応が異なってきますが、幼い子どもでは多くは親や大人が子どもの心の立場に立っていなくて、親や大人の立場から、自分たちに都合の悪いことを甘えだ、我が儘だと理解している場合が多いです。大きい子どもでは依存関係の場合が見られます。程度は何とも言えません。

辛い状態の子どもでは、その辛さを解消する親の心をテストしている場合が多いです。

子どもの要求の多くは、子どもが必要から親や大人に要求している場合が大半ですから、親が理解できなくても、子どもの要求を100%叶える必要が(受容)あります。学童年齢以下の子どもは親をテストしている場合も多いです。子どもが親を信頼できるようになったら、子どもはテストを止めて、親に我が儘だ、甘えだと言われるような要求をしなくなるでしょう。

それでも親以外の子どもの心が分からない大人には、子どもが甘えから、我が儘から要求をしているから、その子どもの要求を満たそうとしている親を、子どもを甘えさせすぎると判断します。別の言い方をすれば、学童以下の年齢の子どもの要求を100%認めることを、甘えだ我が儘だと理解する大人は、子どもの心が分からない大人だといって間違いないです。

年長の子どもの要求が甘えだ我が儘だと親が感じられる場合、それが依存による物か、それとも子どもの素直な要求か、親をテストしているのか、その判断は大変に難しいです。子どもの心の立場から長年経験して判断するしかないです。ただし辛い状態の子どもからの要求なら、例え親が甘えだ我が儘だと判断しても、それは親をテストしていることが大半です。

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発達障害・自閉症・自閉症スペクトラム・トゥーレット症候群・ADHDという概念について

 発達障害と理解される子どもの状態はあります。けれどそれを親や大人が病気として理解すると、問題だとして対応されると、子どもはとても辛くなります。その子どもなりの成長を阻害します。親や周囲の大人としては、発達障害と理解される子どもを普通の子どもにしたいと考えるのは、その大人なりの優しさなのでしょうが、発達障害と理解されてしまう子どもにはとても迷惑な話なのです。

 発達障害と理解される状態はあっても、発達障害と客観的に示すことが出来る脳内の変化は見つかっていません。それは現在の脳科学が証明するのに十分なほどには未発達なのか、それとも脳内にそのような変化が全くないのか、それは分かりません。現時点では脳内に発達障害に相当する変化がないから、発達障害という症候群として考えられています。

 ここで大切なことは、発達障害と理解された子どもが、現在の精神医学による発達障害の対応を受けて(発達障害として対応を受けたための変化がある場合があるが、それに対しても薬が効果を示すという客観的な証拠もない。いわゆる専門家が発達障害という物があると、薬が効くと信じているだけ)大変に辛い状態になり、辛い子ども時代を過ごしているという事実です。その結果も、(私の知る限り)大人になって依然として社会に順応できなくて、辛い一生を送り続けている点です。(私の経験する限り)発達障害と理解されても(私の経験の中には、精神科医からあまりにも酷い発達障害だと見放された子どももいる)、それはその子どもの性格の特徴として、その子どもなりの成長を認めた対応を続けていけば、その子どもなりに社会に順応し、職業を得て、その子どもなりに結婚もして、子どももも育てて、極普通の大人になっていることです。

 現在社会に都合の悪い子どもを、その子どものためといって、その子どもを社会に都合の良いように変えるといって、その子どもを苦しめて、その子どもの一生を辛い物にしている現在の医学が公然と存在しています。その子どものためというなら、現在社会に不都合でも、時間がかかっても、その子どもの心と成長に添って、その子どもらしさを育てることが、その結果として社会に順応できる大人になってもらうことが、現在社会に都合の悪い子どもを育てる方法だと、私は主張します。

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子どものありのままを認める

 子どもは自分の持っているエネルギーを精一杯用いて活動をして、自分の能力を高めようとして、心身共に成長しています。それは大人にない、子ども特有の本能です。子どもが元気で生き生きと成長しているときには、子どもは自分の持っているエネルギーから、色々な物に挑戦して、その子どもなりの経験と知識を身につけて、とても力強い大人になっていきます。多くの大人はこのような元気な子どもの姿を、全ての子どもに共通だと考えて、全ての子どもに要求してきます。

 心が辛い状態の子どもは家に引きこもりがちになり、ゲームやテレビ、漫画など、大人から見たら快楽的な物に耽ります。心が辛い状態の子どもでは、このような子どもの姿で精一杯なのです。これ以上を望まれても、子どもはそれ以上の自分からの自発的な活動ができないのです。

 では例えば、不登校の子どもに学校に行けと言ったとき、子どもが学校に行けるから、精一杯ではないと大人は考えますが、子どもは回避行動として学校に行ったのであり、自分のエネルギーから学校に行ったのではありません。子どもは無理をして学校に行きました。無理をしようとしても親の言うことに従えないとき、子どもは荒れたり、病気の症状を出して、ますます。心がより辛くなっています。子どもの心の問題の解決が遅くなります。

 心が辛い状態の子どもについて、そのときの子どもの姿がその子どもにとって精一杯の姿であることを、大人は気づく必要があります。子どもには精一杯でも、その子どもなりに精一杯の活動をして、少しずつエネルギーを蓄えて、もう少し元気な子どもの姿に変わっていきます。その変化の度合いが非常にゆっくりです。場合によっては大人が気づくようになるのに何年かかかるので、多くの大人は子どもがちっとも変わらないと判断しがちです。

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子どもの立場からの義務教育

 義務教育とは、子どもが学校に行く義務ではなくて、子どもが教育を受けられるような環境を整える大人の義務です。子どもが教育を受けられる環境として、学校が用意されています。現在の学校は管理と学力をつけることに主眼が置かれていて、ありのままの子ども達のあり方に配慮がされていません。

 現在の学校に合わない子ども達が増えています。それらの子ども達は学校に行かないで、家庭でその子どもなりの学習を求めています。しかし現在の学校は基本的に家庭でのその子どもなりの家庭学習を認めていません。学校に来られないなら、学校に代わる場所に行くことを求めています。学校に行こうとしない子どもを学校に行かせようとするのが義務教育ではありません。

 子どもの学習の場所は学校だけではありません。学校で教える知識が子どもの学習の全てでもありません。子どもは学校で学習しても良いし、家庭でその子どもなりに学習して良いはずです。学校に行こうとしない子ども、学校で学習を希望しない子どもについての義務教育とは、子どもが家庭でその子どもなりに学習できる環境を整えるのが、子どもの立場からの義務教育です。

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号令で動く子ども達

 混んでいる電車の中で、高校生ぐらいの子ども達のグループが椅子に座って、わいわいがやがややっていました。引率の大人が「みんな立って、席を譲りましょう。」と言ったところ、子ども達が椅子から立って、通路に立っていた大人達に席を譲りました。私も、他に空いた椅子に掛ける大人がいなかったので、「有り難う」と言って掛けさせてもらいました。

 私の側に掛けたご婦人が「素晴らしい子ども達ですね。このような若者達が居ると思うと、日本の将来が明るいですね」と言いました。私も「そうですね。」と短く答えて、それ以上のことを言いませんでした。その車中にいた大人達は腰掛けられて、子ども達に感謝をしていたでしょう。しかし素晴らしい子どもという評価にどことなく違和感を感じました。

 確かに席を譲らないよりは譲る子どもの方が、私たち大人から見たら好ましい子どもでしょう。しかし自分たちの前に年配の人がいるのに、号令を受けるまで席を譲ろうとしない子ども達を、私は必ずしも誉めるわけにはいかないと感じていたからです。本当に素晴らしい子どもなら、本当に心が優しい子どもなら、号令を掛けられなくても席を譲るはずだと思ったからです。

 運動会などで、号令に従って機敏に動く子ども達を見るのは、頼もしいです。良くここまで練習に耐えて、上手に動けるようになったと感心します。しかし日常生活は別です。指示を受けたらその通りにできることも大切ですが、指示を受けなければ動けない大人がいます。自己中心的で、その人らしい意志がない大人、指示を受けなくては動き出そうとしない大人が世の中に多いように感じます。心が元気な子ども達についてですが、他人に何かを言われる前に、自発的に自分の意志から動くような子供が増えてくれることを願うのは私だけでしょうか?

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