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ホーム代表者と顧問医師のコラム

子どもと向精神薬(妄想を作る) 2013.1.2

 向精神薬の多くは脳内のシナプスに作用をしてその効果を出していると考えられています。その作用の仕方はシナプスにおいて伝達物質に作用をしています。向精神薬の内でSSRIという、シナプスでセロトニンという伝達物質に作用をする薬を例に挙げて考えてみます。

 SSRIは軸索側からシナプス内に放出されたセロトニンが軸索側に再吸収されるのを妨げて、シナプス内のセロトニン濃度を高めて、信号の伝達を良くして、症状の出現を妨げようとする薬です。

 シナプス内のセロトニンが不足しているシナプスではSSRIの効果が期待できます。ところがSSRIは脳内の全てのセロトニンが伝達物質として関与しているシナプスに作用をします。セロトニンが不足していないシナプスでは、セロトニンの過剰を生じてしまいます。送ってはいけない信号まで送ってしまいます。それがSSRIの副作用の一つになります。

 大人ではSSRIの投与を止めることで投与前の状態に戻りますから、SSRIの効果もなくなりますが、副作用も分からなくなります。大人ではSSRIを投与することで辛い症状が改善され、社会復帰ができますから、SSRIに副作用があっても使う意味があります。

 子どもではセロトニンが不足しているシナプスではSSRIの効果が期待できますが、セロトニンが不足していないシナプスでは送ってはいけない信号まで送って、副作用を出すだけではありません。送ってはいけない信号を送ることで、子どもは経験していないのに何かを経験したように間違った学習をします。子どもでは経験が子どもの性格を作りますから、子どもの性格を歪めてしまいます。その歪められた性格で、子どもは一生辛い思いをすることになります。

注釈
 子どもは成長の過程で学校の勉強をはじめとしていろいろな経験をします。その経験は脳内ではシナプスを介して脳神経細胞から脳神経細胞に伝えられて、その経験に相当する記憶ができます。子どもを含めて大人もその記憶から行動をしますから、経験をして江いない記憶(一種の妄想)は社会生活に悪い影響を与えます。

子どもと向精神薬(間違った性格を作る) 2013.1.7

 子どもの脳神経細胞の数は生後1年ぐらいが一番多いです。それ以後の脳の体積重量は増加するが、脳神経細胞の数は減少していきます。その脳神経細胞が作るシナプスの数は3歳ぐらいで最高にになり、その後減少をしていきます。脳は経験(学習)をするに従って必要な脳神経細胞とシナプスの結合を強化をして、不要になた脳神経細胞とシナプスを取り除いてしまいます。必要な脳神経細胞とシナプスは、経験で使われた物が残され、それ以後必要に応じてその残された脳神経細胞とシナプスが機能をして、子どもの性格を形成します。子どもが属する社会に順応できるようになります。

 向精神薬はシナプスに作用をします。症状に関係するシナプスに作用をして症状を軽減しますが、向精神薬は症状に関与しない脳内のシナプスにも作用をします。本来なら伝えなくても良い信号を伝えたり、伝えるべき信号を伝えなくします。つまり向精神薬は子どもの脳に、現実の経験とは違った(間違った)情報をしっかりと刻み込んで、記憶させてしまいます。この間違った情報からの記憶で子どもの性格を形成してしまいます。子どもはそれ以後間違った情報で作られた性格で行動しますから、子どもが置かれた社会に順応できなくなります。

 大人では既にできあがった性格が存在しています。向精神薬で間違った情報を記憶してしまっても、既にある性格がありますから、社会生活にはそれほど問題を生じません。しかし子どもは向精神薬で何もないところから間違った情報で性格を形成してしまいますから、大人が向精神薬を飲むのと大きな違いがあります。

 子どもが辛い症状で苦しみ、その子どもを守る親も苦しんでいるとき、向精神薬を使わないでする対応法があるかどうかの疑問です。医者は原因がなくて辛い症状を出しているから病気であると考えます。ですから薬を投与することしか考えられないのです。ところが子どもが辛い症状で苦しんでいるのには必ず原因があります。その原因を取り除くと、子どもは辛い症状を出さなくなります。ただ、その原因は医者や大人の常識では考えられないところにあるから見つからないのです。常識を捨てて、子どもの心に沿って探すと簡単に見つかるのですが、医者や大人は非常識の領域に子どもが苦しむ原因を見つけ出そうとしません。

 子どもに向精神薬を使用することに反対している人の中で、子どもの命を救うために緊急やむを得ないときには薬を使うのは仕方がないという人がいます。その緊急やむを得ないときとは、子どもが酷く荒れたり、酷い病気の症状を出していて、親や大人が対応に困るときです。しかし子どもはその時こそ、強く親に理解を求めているときなのです。

 子どもへの対応に苦慮しているという理由で、やむを得ず薬を使うというのは親や大人の勝手です。子どもは親が身を挺して子どもを守ろう、子どもを救おうとする親の姿を求めているときなのですから、親が子どもの希望を無視して薬で子どもの訴えを押さえつけようとすることになります。子どもに子どもの辛さを訴えてはいけないというメッセージになり、子どもの本心の否定になります。子どもは親を信頼しなくなります。子どもの問題の解決ができなくなります。

QOLと向精神薬 2013.1.9

 現在までの向精神薬は、精神疾患の症状を軽減する薬ですが、精神疾患を治癒させる薬ではありません。それ故に現在の精神医学では精神疾患の患者のQOL(Quality of Life 生活の質)を改善するために投薬すると考えるようになっています。

 大人の場合、精神疾患の症状で社会生活ができなくなることの問題点は大きいです。治療で精神疾患が治癒しなくて精神症状が続いていても、薬の効果不足、薬の副作用があっても、社会生活が続けられる(経済的な)メリットが大きければ投薬を続ける意味があります。

 子どもの場合、大人で言うQOLという考え方が当てはまりません。強いて当てはめるとしたら、子どもを管理している親や大人のQOLになります。もっと正確に言うと親が子どもについて推測する生活の質(ほぼ必ず間違っている)になります。子どもは大人で言う生活の質の判断基準を持っていません。持っているとしたら楽しいという言葉で表現できる状態か、辛い、怖い、嫌だというような言葉で判断される状態が、子どもの生活の質の判断基準になります。

 子どもの生活の質を考えるとき、子どもは大人に保護されて成長過程にいますから、年齢によって、子どもの能力によって、親や大人との関係、子どもが属する集団との関係などによって、大きく異なります。

 同じような状態に置かれている子どもでも、子どもとして喜びの状態の場合もあれば、子どもとして辛い状態の場合もあります。また大人が子どもを見たときに、子どもは心が辛い状態なのに、とても楽しいように振る舞う、良い子を演じてしまう場合も多いですから、親や大人が子どもみて、子どもが生活している生活の質を決めることができません。

 例えば今まで辛い心の病の症状を出していた子どもに投薬で症状が軽減したからQOLが改善したと考えられるかもしれませんが、子どもとしての意欲が減退したり、薬の副作用が出ていたら、副作用が見かけ上出ていなくても、出ている可能性があるなら、QOLは改善したとは言えません。

 一番大切なことは子どもは成長をするため、今は良くても将来に害を生じる要素があったら、それは将来への危険という意味でQOLが改善したことにはなりません。向精神薬の投与は子どもの将来に害を生じる要素が理論的に確実にありますから、向精神薬を投与されている子どもである限り、その子どもの生活の質は最悪なのです。

引きこもりの分類と対応法 2013.1.15

$1 引きこもりとは

 引きこもりとは人(子どもや大人)が主として自分の家の中で生活をして、家から出てその人なりの社会活動をしないか殆どしない人の姿、状態です。引きこもる人は何かに反応して辛くなり、荒れたり問題行動をしたり、辛い心の病の症状を出したりしていますから、その辛くする何かを避けるために引きこもります。引きこもってもその辛くする何かを避けきれないときには、荒れたり問題行動をしたり、辛い心の病の症状を出し続けます。それ故に、投薬治療を受けている人は心の辛さが薬で修飾されているために、ここでの分類や対応法が当てはまりません。

 子どもとは未成年者と考えて下さい。大人とは20歳以上の人を考えて下さい。但し20歳以上の人でも心が辛い状態の人(情動で回避系の反応が主として働いている人)へは、その心は子どもの心を当てはめた方が良い場合が多いです。

 現在、ニート、フリーターと引きこもりを混同して使っている人が多いです。ここでは、子どもの心のエネルギー状態から定義をしておきます。ニートとは引きこもらないでその子どもなりの社会活動をしているけれど、経済的な収益を上げていない人です。その子どもなりの社会活動をしているけれど、経済的な収益を得る意欲がない人と、意欲はあるがその収益を上げる場が無い人とがいます。フリーターとは経済的な収益を得ているが、経済的に自立するのには不十分で、その不十分な部分を自分から補おうとしない人、補う場所がない人です。

$2 引きこもりの種類

 子どもの引きこもりには、子どもの心の辛さが強い順に以下のようになります。但し薬を服用している子どもでは、この分類は当てはまりませんし、対応法も当てはまりません。

1)自分の家の中の物(家具などや親兄弟)に反応して、主として自分の部屋の中で生活をしている子どもの引きこもりがあります。

2)自分の家の外の物(近所や人)に反応して、主として家の中で生活をしている子どもとの引きこもりがあります。それをさらに、心の辛さが強い順に細分すると
2−1)全ての家の外の物や、全ての人に反応して外に出られない
2−2)近所の物や、近所の人に反応して外に出られない。近所で無ければ、身内や近所の人など知り合いで無ければ外に出られる。夜中などでは近所の店に行かれる
2−3)見かけ上は引きこもっているけれど、自由に外に出られるし、人に会っても平気

$3 引きこもりへの対応

 引きこもりの子どもへの対応の基本は、全てに優先して子どもの心を楽しくして、子どもの心が元気になるのを待ってあげることです。子どもの心が辛くなくなると、子どもは現状に満足しなくなり、何かその子どもなりに新しい物を求めて、動き出す本能があります。その本能が働き出すと、子どもは引きこもりを止めて、自分の周囲の社会へ、子どもによっては学校へと出て行きます。

 子どもの心を辛くする物の多くは、学校、教師、友達、勉強、生活を正すこと、年長の子どもでは仕事に就くことを意識することです。これらを親が与えないばかりか、これらから親が守ってあげる必要があります。

 子どもを引きこもりから引き出す対応は、基本的に引きこもる子どもの否定になります。辛さを生じる子どもの周囲の物を見たり意識させることになります。子どもの辛さを強めて、より引きこもろうとするようになります。解決を遅らせます。

 子どもによっては、子どもを引きこもりから引き出すと、子どもは引きこもりを止めて社会活動を始める場合があります。そのような子どもの多くは、良い子を演じて、無理をして社会活動を開始しています。未だ良い子を演じるエネルギーを持ち合わせているか、引きこもっている間に良い子を演じるだけのエネルギーを貯めた子どもです。無理をして社会活動をしていますから、時間とともにエネルギーをだんだん失って、最終的により辛い引きこもりに戻ってしまいます。引きこもりに戻ってしまう時間は持ち合わせているエネルギー量と、失っていくエネルギー量で異なります。時間とともに失うエネルギーがなければ、子どもはそのまま社会に出続けます。しかしそのような例は皆無のようです。

$4 具体的な引きこもりの子どもへの対応法

1)自分の家の中の物(家具などや親兄弟)に反応して、主として自分の部屋の中で生活をしている子どものひきこもりがあります。この引きこもりは、親が子どもの心に沿わない対応をするために、親が子どもを辛くする物を与えているために、親を拒否して自分の部屋に引きこもっています。親がいないときには部屋から出て、家の中で生活をします。親が子どもを辛くする物の多くは、登校刺激や働け、生活を正せ、という親の希望です。これらの親の対応を止めて、子どもの素直な生き方を認めると、子どもは部屋から出てきて、家の中で生活が可能になります。

2−1)自分の家の外の物(近所や人)に反応して、主として家の中で生活をしている子どもとの引きこもりの内でも、全ての家の外の物や、全ての人に反応して外に出られない子どもには、子どもがそれらの物に登校刺激や働け、生活を正せという物を感じている場合です。親が子どもを、学校や労働、生活の決まりから開放してあげると子どもの心が元気になり、子どもの生活範囲が広がっていきます。

2−2)近所の物や、近所の人に反応して外に出られない。近所で無ければ、身内や近所の人など知り合いで無ければ外に出られる。夜中などでは近所の店に行かれるこどもには、登校刺激や労働刺激から子どもを守ることだけで、子どもの心は元気になっていき、見かけ上は引きこもっていても、必要を感じたら引きこもりを止められます。

2−3)見かけ上は引きこもっているけれど、自由に外に出られるし、人に会っても平気な子どもは、親が子どもを信じて待っているだけで、その子どもなりに社会へ出て行きます。子どもの中には学校に行き出す子どももいます。親は親なりの生活を続けておいて、子どもに関わる必要が無いです。子どもは引きこもることで何かをしようとする意欲を高めて、意欲が高まったら自分から(親が引き留めても)引きこもりを止めて、社会活動を開始します。私はニート、フリーターの人に、引きこもることを勧めています。

$5 大人年齢の子どもの引きこもりへの対応法

 20歳から30歳代の引きこもりの大人でも、引きこもりの子どもへの対応が当てはまります。その人を辛くする物の内、登校刺激は無くなりますが、労働刺激が強くなっています。また、自己否定という、自分の中で作る辛さが大きな意味を持ってきます。親は引きこもりの人に自己肯定感をもてるような対応をする必要があります。ありのままのその人を認めようとする必要があります。

 今までの私の臨床経験ですが、子どもの心が辛くなる大本は義務教育年齢では学校です。大人になりますと自己否定です。高校生年齢ぐらいですと、両方の要素があります。現実にはいろいろと子どもにとって辛いことが起こりますが、それらはこれらの基本的な辛さから派生して生じており、その派生した辛さが大本の辛さを強くするという悪循環を起こしています。この事実に同意して下さる人は今のところ殆どいません。しかし派生した辛さを解決しても、その人の心は元気にならないし、派生した辛さを解決しなくても、大本の辛さを解決するだけで、派生した辛さも解決できるという事実を、私は積み重ねています。

 40歳代の人になると、心の辛さが無くなっても、自分から動き出そうとする能力が少なくなっているなあと感じる人が増えてきます。50歳代になると、心が楽になってもその時のその人の状態から、新たな別の生き方を模索しようとしなくなているなあと感じる人が多いです。言葉では動き出すようなことを言っても、行動を伴わない場合もあります。
その代わり、心が元気になった40歳代、50歳代の人には説得が効果的になります。説得に納得できたら、その人が意識的にその人の生き方を変えることが可能になりますし、生き方を変えようとする人が出てきます。過去に学んだことを参考にして動き出す場合があります。30歳代の人ですと、自発的な心の動きから社会的な活動を始めたのか、理性から社会的な活動を始めたのか、区別がつきません。

少子化と体罰 2013.1.15

 日本は少子化の傾向にあります。労働力減少の現実の中で、引きこもり、ニート、フリーターと、労働力の減少を来たし、労働力を求めて企業が海外へ進出、労働力の輸入の現実があります。少子化はやむを得ないにしても、子ども達がなぜ大人になって社会に適応できないのか、今までは原因を子どもやその親に求めてきました。より優秀な人材を作るために、親や学校を含めた社会は子ども達を叱咤激励して育ててきました。その結果ノーベル賞を受賞する人材も出てきていますが、一方で社会に順応できない人、心の病で苦しむ人の増加を生じています。

 これだけ発展した社会を作り、優秀な人材を作り出した今の社会のあり方や教育は間違いではないと思います。けれどこれだけ多くの社会に適応できない子ども達を育ててしまったのは、今の子育てのあり方に隠れた問題点もあると言う意味だと思います。その問題点を今回の桜宮高校の生徒の自殺が指摘していると思います。

 現在の結果(学業、芸術、スポーツで優秀な成果を出す)を優先する教育のあり方は、優秀な成績をもたらす子どもを作ります。そのために叱咤激励、体罰を加えてでも、目の前の成果を求めてきています。成果を出した子どもやその教育者にはスポットが当たり、褒め称えられますが、その陰に多くの成果を出せなかった子ども達がいます。

 日本が発展途上の時代には、成果を出せなかった子ども達にも逃げ場があり、その子どもなりの成長が可能でした。現在の日本では、子ども達に逃げ場がないのが現実です。逃げ場がなくて自殺する子ども、心の病で苦しむ子ども、かろうじて逃げられた引きこもり、ニート、フリーターの子どもが増えてしまっています。 

 今回、桜宮高校の生徒の自殺が提起した問題とは、決して体罰をなくすることではありません。もちろんなくする努力は必要ですが、一番の問題点は学校の管理者が、指導者が、成果ばかりを求めて、子ども達を道具化している事実でしょう。それを支えている教育学者などの、集団としての子どもの心の理解やマスコミなどの社会風潮です。成績を伸ばそうとする子ども達のあり方には当てはまりますが、辛くなって対応を拒否している子ども達には当てはまりません。その当てはまらない対応を子ども達に更に押しつけたとき、子ども達は拒否反応を起こして、成長を止めて、社会へ不適応を起こしたり自殺するようになります。

母性と知性 2013.1.22

 人間の場合、母性の存在が認識されないことが多いです。しかし動物の子育てや進化を考えてみると、母性の存在とその役割の大きさが良く変わります。人間以外の動物では「母性とは、母親の無条件で子どもを産み守って育てる能力」と定義できます。人間でもそれと同じにに考えれば良いのかもしれません。人間の子育てを観察していますと、一見母性のようでも、親の希望、要求と考えられる母親の子育てが目につきます。また、父親に母親の母性のような物があるのかどうか、分かりません。哺乳類の中でも父親が子育てに関与している種があることも事実です。

 子どもの心が元気なら、母親の希望や要求を子どもは受け入れて、子どもは挑戦を重ねて、どんどん伸びていってくれます。子どもが元気なら必ずしも母性は必要ないようです。子どもに母親に代わる信頼できる人がいるなら、子どもは問題なく育っていきます。

 心が辛い子どもが、子どもでは解決できない問題に直面したとき、心も体も安心できる場所、「安全な場所」が子どもに必要です。それは多くの場合母親の側です。子どもは本能から母親の側で辛い心を癒やそうとしますし、母親も子どもの辛い心に共感できて無条件で子どもを守ろうとします。母親以外の大人では、その人の知識や理性から子どもを理解して対応をします。人によっては、その人の知識や理性から子どもを守る対応を行える場合もあります。それでも母親のように無条件で子どもの辛い心に共感して、子どもを守る対応にならない場合が多いようです。一見子どもの辛い心を癒やしたように見えても、子どもの方で良い子を演じてしまっている場合があります。

 母性が働いている母親は子どもの内的な要求からの成長を認めて育て続けます。母親が母性を発揮し続けるのは、現在の複雑な社会では難しいです。どうしても知識から、早く、確実に社会生活ができるようになる子どもを、母親は求めてしまいます。それは仕方がないことですが、子どもの心が辛くて、耐えられる限界に来てしまい、母親の希望や期待に応えられないとき、母親が自分の希望や理性を捨てて、子どもの内的な要求を優先して、子どもの心を全てに優先して、子どもの心を元気にする必要があります。

 母性は本能ですから、大脳辺縁系視床下部に有ります。知識や理性は大脳新皮質にあります。脳の構造から言って知識や理性は母性を調節できますが、母性は知識や理性を調節できません。つまり知識や理性がしきりに働いている脳では母性は発揮できません。母性が発揮するには、知識や理性が働かない状態で、感覚に素直に母性が働く状態でなければなりません。心が辛い子どもを守るために、母親は持っている知識や理性を捨てて、感覚を研ぎ澄まして、子どもの姿に素直に反応する必要があります。

卒業を前に(ある母親からのメール) 2013.2.3

 母親が肝を据えて息子に、学校に行かなくて良いことを事あるごとに何回も告げました。初めのうちはそれでも学校に行きたい、勉強をしたいと言ってましたが、今は全く言わなくなりました。昼夜逆転ですが、イライラすることもなく毎日ゲーム漬けです。母親との日常会話もできるようになりました。

 夜暗くなってから犬の散歩にも行ってくれるようになりましたし、自転車で図書館に本を借りに行くようにもなりました。本当に自分の好きな事をして過ごしているいるようです。母親も息子を家において、しばしば仲間とお茶をしに出かけていました。

 友達の誰かから電話があったようでした。今日、息子は中学校に行ってきました。帰ってきても特別に変わった様子がなかったです。でも明日からまた学校に行かないと言っています。担任の先生は、高校に願書だけでも出したらどうですか?とのアドバイスの電話がありましたが、お断りしました。

 卒業アルバムについても聞かれたのですが、息子に相談をしないで断りました。アルバム用の写真撮影も断りました。卒業式は以前から息子が行かないと言っていましたから、欠席にして貰いました。卒業証書は卒業式の後、母親が受け取りに行くことになりました。

 担任はクラス全体で卒業をしたいと主張し続けました。息子をクラスの一員として、みんなに忘れないで貰うために、何かをしたいと提案をしてきましたが、それも断りました。担任は卒業まで学校に来ないのは仕方がないとしても、卒業後の進路が決まっていないことを繰り返し言ってきて、母親の不安をあおり立てました。しかし母親は、はっきりと今は進学しない成長の仕方を選択することを担任に告げました。

 今の息子には、今までのことが嘘のような平穏な日々が続いています。常識的な人からみたら、我が儘放題な生活でとても許せないと思います。母親からみたら、息子が死んでしまうかもしれないぐらいの地獄の生活が終わっただけでも、ありがたい日々です。母親は息子に感謝しています。そして不登校問題で、今まで息子が貯めてきたエネルギーを全て消耗させてしまったことを、母親は詫びています。これから息子が息子なりに元気になって、社会へ出て行ってくれることを、期待しないで待っているつもりです。

ある母親からの手紙です。 2013.2.11

 夫の仕事でフランスに住みだして6年になります。小学5年生の娘が学校に行かなくなりました。学校から病院やカウンセリングを勧められましたが、娘がそれを激しく嫌がりました。周囲の反対を押し切って、娘を家庭において、ゲームや漫画など好きなようにさせておきました。

 夏休みが明けてまもなくすると、突然自分から学校に行く支度を始めて学校に行き出しました。学校での勉強の遅れも感じさせないで、宿題も自分からして、生き生きとしています。毎日がとても楽しそうです。私の心配なんだったのという感じです。

 なぜ娘が学校に行かなくなったのか、私に分からなかったのですが、娘が苦しんでいることは分かりましたので、直感から娘を学校に行かせるべきではないと感じました。しかし学校や相談機関では学校に行かそうとしない私を責められました。私は同すべきなのか、いろいろな本を日本から取り寄せて読みました。その中に「子ども論」があり、読んで「これだ」とはっきり思いました。

 娘が辛くて朝起きてこないとき、
「えりはお母さんにとって一番大切な宝物よ。辛いのがよく分かるから、学校に行かないで、家で好きなことをしていて欲しい」
と繰り返し言いました。事あるごとに娘を抱きしめました。ただそれだけを私が繰り返して1年がたちました。

 娘の表情が明るくなりました。ゲームばかりをしていた娘が、突然散らかし放題の自分の部屋を掃除し始めました。やがて家の中まで掃除を始め、お料理の手伝いまで始めました。私と娘はケラケラと笑いながらいろいろな話をして、家事をしていました。

 私がびっくりするようなことまで、何でも話してくれるようになりました。学校でのいじめで辛かったことなどを、共感の言葉だけで私は聞き続けました。決して解決しようとする話をしませんでした。そのうちに娘は突然学校に行きだしたのです。

ほめる、しかる 2013.3.1

ほめる

 何かの理由で子どもがある行動をした(例えば勉強)とき、親からほめられると子どもは嬉しくなります。その時子どもはわずかに喜びの条件反射を学習します。つまりある行動をする(例えば勉強)ことに喜びを感じられるようになりますら、その行動をしたくなります。そこでその行動をすると、親からまたほめられます。子どもは嬉しくなり、喜びの条件反射が強化されていきます。

 このようにして喜びの条件反射が強化されていきますと、最終的にその行動をして親からほめられなくても、その行動自体に感じられる喜びだけで、その行動を繰り返すようになります。その行動(例えば勉強)が習慣化されていきます。親にとってとても嬉しいしつけになります。但し、心が辛い子どもについて、親がほめることが習慣化よりも先に心を元気にするように働くので、その分について習慣化が遅くなります。

 子どもがしたことを親以外の大人がほめたとき、子どもに同じことが生じますが、ほめてもその場限りで、親のように繰り返しほめられません。また、親と同じようにほめたとしても、子どもは親ほど喜びを感じませんから、その分について習慣化が遅くなります。親がほめると効率的なのです。

 子どもが欲しがっている物を与えることでほめることを表現したことになります。ほめるという意味では効果的ですが、その場限りで繰り返し物を与えることができません。習慣化という意味では効果的ではありません。また、子どもが欲しがる物を与え続けることでほめることを表現すると、物を貰うことに子どもは習慣化を生じて、物を貰うことに依存を生じてしまい、物を与えられなくなったときに、子どもは強い葛藤を生じてしまいます。しつけの意味がなくなってしまいます。

しかる

 大人が許せない行動(例えばうっかり物を壊した)を子どもがしたとき、大人からしかられると子どもは辛くなります。しかれた時、子どもは良い子を演じて、大人の要求を受け入れたように振る舞います。その時、子どもは辛さを生じる条件反射を学習します。その大人に辛さを感じ、その大人を信頼しなくなります。しかられた状況と同じような状況下で辛さを感じるようになります。他の辛さにも敏感になります。

 子どもがした大人が嫌がる行動をしかるのは、子どもに二度と大人が嫌がる行動をさせないようにするのに効果的です。しかることで子どもは辛くなり、辛さを生じる条件反射を学習してしまいますから、以後同様な危険な行動を回避しようとします。ただ、子どもは同時に辛さについて敏感になっていますから、可能な限り早く子どもの心を楽しくして、子どもが感じている辛さを打ち消してあげる必要があります。

 心が元気な子どもでは、叱られることの辛さを他の楽しさで帳消しにできます。辛さを生じる条件反射を簡単に消失せます。あたかも大人にしかられたことがなかったかのようにして成長が可能ですし、それ以後の大人が許せない子どもの行動を阻止できます。ところが心が辛い子どもでは、他の楽しさで帳消しにできません。ますます心が辛い子どもになってしまいます。しかられた状況と同じような状況下で子どもは理由もなく辛くなります。しかった人にも辛さを感じるようになっています。他の辛さにも敏感になっています。

 心が辛い子どもは、大人や子ども自身も気付いていないことで辛くなり、辛さを表現する症状を出し、回避行動を取ります。回避行動の多くは大人には許せない問題行動ですから、親や大人は子どもの問題行動を正そうとしてしかります。しかられると子どもはますます辛くなりますから、その場では良い子を演じるか、良い子を演じられない子どもは荒れるなどの問題行動をします。それと同時に子どもは辛さを生じる条件刺激を、しかった親や大人、その時の状況などに学習し、また辛さを生じる刺激により敏感になっていますから、ますます心が辛い子どもになってしまいます。

 心が辛い子どもは少しでも辛いことがあると強く反応して、強い回避行動を取るようになります。その回避行動が問題行動になる場合が多いので、子どもは大人からしかられます。子どもはますます辛くなり、ますます回避行動を強く出すようになります。その回避行動は良い子を演じる場合と、その場で暴れるなどの問題行動をするようになる場合、心の病の症状を出す場合があります。

 子どもが良い子を演じたとき、親や大人は子どもが親の要求を受け入れたと理解します。けれど子どもは親や大人がいなくなったとき、自分の辛さを解消するために、より酷い問題行動をしてしまいます。他の子どもをいじめたり、窃盗行為や暴走行為、性や薬物などの不良行為、新聞沙汰になるような犯罪行為をしてしまう場合もあります。子どもによっては心の病の症状を出す場合もあります。

 子どもをしかると直ぐに表面化しない、辛さを生じる条件反射を学習するという問題点があります。子どもをしかっても辛さを生じる条件反射を学習しないようにするには、しかったことによる子どもの辛さを埋め合わせる喜びを子どもに与えると解決します。子どもをしかった後直ぐに、子どもが欲しがる物を与えるとか、母親の共感の言葉とスキンシップです。これで子どもをした問題行動とを阻止できるし、辛さを生じる条件反射を学習することはありません。

かえって焦って 2013.3.9

 ある三十代の青年との会話です。
「過去や将来のことは気にしないようにしても、どうしても気になって不安になってしまいます。その不安から、何をやっても本当に楽しいとはなかなか思えず、暗い気持ちのままでいます。」
と相談を受けました。

 青年が理由もなく辛い状態にいます。辛いから体が動かなくて、何もできないでいます。体は動かなくても思いは動きますから、将来のこと、過去のことを思って、現在の自分と比較してしまいます。それ以外のことに思うようにしようとしても、それ以外に思い浮かぶことがないし、何もしていないと自然と過去や未来のことが浮かんできて、それと同時に体中が辛くなります。
「このままではいけない。どうにかしなくてはいけない。どうしてよいかわからないから、アドバイスがほしい。」
と考え、辛さの悪循環に入ります。

 常識から言うなら、この青年の問題点を指摘して、好ましいと考えられる対応法をアドバイスすべきでしょうが、アドバイス通りに全くできないからかえって焦って自己否定を起こしてしまいます。より辛くなってしまいます。辛さの悪循環になるから、過去や未来のことを考えるなと言って無理なのです。何もできないなら、何もしなくて良いとアドバイスをしても、不安だけがどんどん押し寄せてきて、耐えきれなくなっています。

「それならゲームや漫画など、今できることだけをして、過ごしておいて欲しい。」
とアドバイスをするしかありません。すると青年は
「できることが何もない。何かできることを見つけなければならないのに、何も見つからないから、かえって焦ってしまう。かえって辛くなってしまう。」
といいました。

 その答えとして
「できることが無ければボーとして寝ているのも仕方が無いです。体が赴くままに動いて欲しい。あなたとしては許せないでしょうが、今のあなたで良いです。何もできなくて辛いあなた、こんな自分でだめだと思っているあなた、部屋に閉じこもってごろごろしているあなた。そのあなたで良いです。それが今のあなたにできることでしょうから。」

引きこもりの解決法 2013.4.2

 中学校で不登校になり、引きこもっていた男の子の母親からのメールです。

 中学を卒業して二年を経過した息子は、ゲームばかりに没頭して、家の中だけの生活を続けていました。最近の息子は、しばしば「高等学校に行かなくてはならない」と言いました。母親は「学校に行かないで、家で息子さんなりに楽しく過ごすように」と言い続けていました。その息子が「今年はどうしても普通高校を受験をする」と言って、全日制の高等学校を受験しました。

 入学試験の第一日目、母親が試験場に自動車で送っていくと、途中から表情が硬くなり、到着してもなかなか車から降りませんでした。試験が始まる時間が近づくと、息子は意を決したかのように自動車から降りて一人で試験場に向かいました。

 試験から帰ってきた息子は「自分から二学年下の子どもと一緒にいるのは嫌だし、学校も思っていたのと違う」と言って、翌日から試験を受けませんでした。それ以外に私立の高校も申し込んでありましたが、それも入試を受けませんでした。その後すっきりとした顔をしていました。勉強の話は息子から全くありませんでした。

 先日Jリークの観戦に一人で出掛けていきました。その日までは、外出するときにはとても緊張をして、なかなか出かけられなかったし、出かけてもすぐに帰ってきましたが、今回はいつの間にか出かけて楽しんで帰ってきたようです。私はサッカーをよく知らないのですが、帰ってきてから試合の話を私にとくとくと聞かせ続けました。私もいつものように聞くだけ聞くようにしていました。

 それ以後、今までは夜中起きていて、昼間寝ていた息子が、夫が出社した後起きてきて、朝食を食べて、ほぼ毎日のようにどこかに出かけています。何かを始めたようですが、私はそれを知りません。聞き出そうともしていません。とても表情がよくなり、活動的になってきていますから、それでよいと考えています。

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