フリースペース「したいなぁ〜松戸」&松戸−登校拒否を考える会「ひまわり会」
ホーム代表者と顧問医師のコラム

親のせい 2012.1.15

 母親が言った何気ない言葉で、子どもが荒れてしまいました。子どもは「全て親のせいだ」と言いました。それを聞いて母親は腹を立てましたが、自分を押さえて「辛いね。ごめんね。お母さんが悪かった。」と謝りました。

 もしこのとき母親が怒ったら、母と子どもの間の信頼関係を壊してしまいます。子どもはひどく荒れまくったでしょう。子どもは死ぬほど辛かったのです。辛さは潜在意識から生じますから、子どもには辛くなる理由が分かりません。そこで辛さの原因を親の責任にして少しでも楽になろうとしているのです。母親が「そうだね。ごめんね。」と言ってくれると、子どもの心がとても楽になり、子どもは母親を信頼して元気になっていきます。

 「子どもから学ぶ」と言う言葉があります。子どもと大人の常識から見るのではなくて、子どもの一挙一動を子どもの心に沿って理解しようとするものです。子どもの行動を拒否したり、怒ったりしたら、「子どもから学ぶ」ことになりません。子どものあらゆる行動をそれで良いと受け入れたなら、子どもは親を責めることが無くなります。親を信頼してその子どもなりに社会と関わろうとします。

 母親の対応が子どもの心に沿うとは、その対応で子どもが落ち着くようになることです。多くの子どもは母親の前で良い子を演じることがないからです。子どもが辛くて、その責任を「親のせい」と言っている間は、子どもが親を信頼していないという意味にもなります。

あ、そうだ! 2012.1.21

 娘が不登校引きこもりになって五年がたちました。最近母親が常識を捨てて、娘の非常識な要求を叶えるようにしだして、娘と母親との関係がどんどん変わってきました。娘と母親との会話が増えてきました。

 ある日、母親が相談しているカウンセラーを娘が訪ねて行き、カウンセラーと話をしました。その会話の中でカウンセラーから
「今のまま不登校、引きこもりをしていて良い。何もしなくて家の中でごろごろしていて良い。何かしたくなったら、何か楽しいことがあったら、親が反対してもそれをしなさい」
と言われました。

 その後で娘は私に
「私には何もしたいものがないし、何も楽しいものもない。」
とがっかりした様子で言っていました。私はその話を相づちだけ打って聞き流しました。その娘が突然
「あ、そうだ。料理をしてみたい。今日はチョコレートケーキを作りたい。」
と言いだして、すぐにレシピーの本取り出して作り始めました。私としては台所を占有されて迷惑なのですが、娘が何か言い出すまでぼけーっと見ていました。
「母さん、チョコレートとバターがないから買ってきて。」
と娘が言ったので、私はすぐに買いに出かけました。

 このことを契機に、娘は私からだんだん離れていきました。それまでは私が側にいないととても不安がったのですが、昼間一人で出かけていきます。夜は私と同じ部屋で寝ていたのに、今は自分の部屋で寝ています。今の私は何か寂しさも感じてしまいます。娘の不登校がなければ、きっと過干渉の母親、管理だけの母親を続けていたと思います。娘を苦しませ続けていたと思います。

つまらなそうにしている子ども 2012.2.13

 ある不登校の子どもを持つ母親から
「子どもがつまらなさそうに朝から晩までテレビやゲームを惰性でこなしている。そんなにつまらないならテレビやゲームをしなければ良い。もっと健康な遊びをして欲しい、元気に遊んで欲しい」
と言っていました。

 これは不登校の子どもの心を知らない人の発想です。その子どもはテレビやゲームがとても楽しいです。しかしテレビを見ても、ゲームをしても楽しくしていると表現できないのです。それはその子どもの心が登校刺激を受けて、学校を意識していると死ぬほど辛いからです。その辛さをテレビやゲームで埋め合わせて差し引きゼロにしようとしています。差し引きゼロにしようとしても、十分にゼロにならないとき、まだ少し辛さが残っているとき、子どもはごろごろとしていて、活力がありません。

 子どもには大人と同じ考える心と、大人では考える心で調節されている情動の心とがあります。子どもでは考える心から言葉を発しますが、大人と違って子どもの行動は子どもの本心である情動からなされます。情動の心には何かを得ようとする楽しさの機能と、何かから逃げようとする辛さの機能とがあります。そして楽しさの機能と辛さの機能はお互いに打ち消して、残った方の機能から行動をすることになります。

 不登校の子どもでは学校を意識すると辛くなります。テレビやゲームをするとその辛さを打ち消すことができますから、どうにか自分を維持できます。不登校の子どもを元気にするには学校を意識しなくて良いようにしてあげることで可能です。子どもは学校という辛さがなくなって、テレビやゲームで楽しさが残って、子どもの情動は何かを求める楽しさになります。子どもは元気に活動をし始めます。大人はそのままテレビ漬け、ゲーム漬けになって何もしなくなると考えますが、そうではありません。元気になった子どもはテレビやゲームを必ず卒業して、その子どもなりの建設的な活動を始めます。

精神科早期介入政策について 2012.2.19

 子どもの心の問題に精神科が早期に介入することへの問題点を指摘したいと思います。子どもは大人と違って成長します。成長には身体的な成長と、心の成長があります。心の成長について現在の精神科医療の問題点です。

 子どもの心に大人が持っている心の概念が当てはまるかどうかの問題点を指摘しておきます。大人の心は精神身体二元論で説明されています。それは大人の心について今のところ説明可能なのです。ところが子どもの心は精神身体二元論では説明がつかないところが多いです。精神身体一元論だと説明つく場合が多いです。

 特に心の問題を抱えている子どもの心は精神身体一元論の方が説明がつきます。その意味で精神身体二元論に基づく精神医学が子どもの心を扱おうとすると、間違えてしまう場合が多いようです。現実に精神科医療を受けていた子どもについて、その薬を止めて、子どもへの対応を変えることで、子どもの精神症状が解決しています。

 子どもの心は脳の成長とともに成長をしていきます。精神科医療でも心の成長を考えています。精神科医療で用いる薬は脳に作用してその効果を発揮しています。しかし脳の成長を配慮した薬は今のところありません。脳の成長には解剖学的な脳の成長と脳が持つ情報つまり心という意味での成長があります。そのどちらも今の精神科領域の薬は配慮していません。

 現在の薬は大人の心についての効果ばかりが強調されて、子どもの心についての副作用は全く分かっていません。特に長期に使われた場合には、子どもの心の成長に悪影響を与える可能性が考えられます。子どもの人権に関わる問題を生じてしまう可能性を排除してから、薬を使う必要があります。

自己主張 2012.3.3

 ある母親とのカウンセリングの際に、母親が
「子どもが幼いときから自己主張が強かった。だから他の子どもと学校生活がうまくいかなくて不登校になった」
と言いました。

 常識的には自己主張が強いと、他の人の主張を受け入れられなくて孤立したり、他の人から攻撃を受けやすいと考えます。事実そのような子どもをしばしば見かけます。けれど自己主張が強くて他の人の主張が受け入れられなくても、上手に他の人と自分との距離をとって、自己主張を続けて実現していく子どももいます。この子ども達の違いは、辛くて自分を守ろうとしているのか、心が生き生きしているかの違いです。

 心が辛くて自分を守る必要から自己主張をしている子どもは、自己主張ばかりをしていますから目立ちます。それ故に自己主張が強いと他の子どもと学校生活がうまくいかないと言われるようになっています。心が生き生きしていて自己主張が強い子どもは、上手に他の子どもとの距離をとるために、単に良い子としか大人は理解しないようです。

 不登校になった自己主張の強い子どもは、親に向かっても自己主張を続けます。学校に行きたくないという自己主張が認められないと、壁やドア、窓ガラスを壊したり、親兄弟に向かって暴力をふるう傾向があります。不登校の子どもが物を壊したり、暴力をふるう場合には、学校に行けないのに行くようにと周囲から責められていると理解できます。

 不登校が認められた自己主張の強い子どもは、自分の成長の仕方、生き方にも自己主張をします。それは自分の心の奥底から沸いてくる自己主張ですから、それが認められると自己主張を実現して、その子どもなりの生き方を積極的にしていきます。親の生き方を参考にして、苦難をその子どもなりに乗り切り、社会へ出て行こうとします。

「思春期精神病理の疫学と精神疾患の早期介入方策に関する研究」の報告書について 2012.3.10

どの報告書も決めつけの物ばかりです。具体的なフィールドリサーチのデータはありませんから、どのような統計処理がなされて、書かれている結果が出てきたのか全く分かりません。報告書を信頼できない理由の一つです。これらの報告書からの印象を述べます。

子どもの精神病様症状体験から精神障害への移行した場合の経過、回復した場合への経過、の検討が全くなされていません。適切な対応と言う言葉で濁してあります。適切な対応が何か、適切でない対応が何か、を明確にしないと、早期介入をどのようにするのか分かりません。現実に医療現場では早期介入の具体的な方法がないと言うことになります。具体的な方法がないのに、早期介入を主張する報告書には矛盾があります。

早期介入の中には投薬の例もあるはずです。使われる殆ど全ての向精神薬は効果、安全性について、子どもへの投薬を保証していません。その安全性や効果が認められていない薬を現実に発達段階にある子どもに投与するのが医療として認められている社会制度に、医療に疑問を感じます。現在の保険制度は病名と薬の適応が一致していれば使用可能です。子どもにとって効果があるとは分からない薬、子どもにとって安全であることが分からない安全性を保証されていない薬を使っても、医療として公に許されている現実があります。

精神科医療では子どもの精神病様症状体験を精神障害の前駆症状と判断しています。これは心身二元論の大人の精神疾患を子どもにまで拡大した物です。これは精神科医の先入観と言って良いです。科学的な保証はどこにもありません。科学的に子どもの成長期の脳と大人の脳とその機能において大きく異なっています。脳を考えない心身二元論を子どもに当てはめては間違いになります。

心身一元論で言うなら、精神科医療で言う精神病様症状体験とは、嫌悪刺激から回避できないときに子どもが出す症状です。ですから、嫌悪刺激がなくなるとこの症状がなくなります。それは子どもを素直に観察していれば分かることです。しかし精神医療では先入観から、精神障害の前駆症状と規定して、子どもが出す生理的な反応症状であることを無視し続けてきています。

子どもが出す精神病様症状体験は、心身一元論から言うなら、回避できない嫌悪刺激に反応をして出している症状です。適切な対応とは回避できない嫌悪刺激から子どもを守ることです。嫌悪刺激から子どもが守られたなら、子どもは精神病様症状を出さなくなり、それ以後何もなかったかのように育ってくれます。

しかし現在の精神科医療は精神病様症状体験があると、精神障害の前駆症状、又は精神障害として、投薬を始めてしまいます。嫌悪刺激から子どもを守ることをしません。ですから、子どもは精神病様症状を出し続けます。薬でその症状が軽減する場合もありますが、それと一緒に薬の副作用で苦しむことになります。その結果子どもが嫌悪刺激に反応してこれらの症状を出していることが分からなくなります。全ての精神科医が先入観にとらわれて、見落としている事実です。

嫌悪刺激で精神病様症状を出し続ける子どもに適切な対応として言って、薬を投与し続けても精神病様症状を出し続けます。精神病様症状を出し続けると、心身一元論では精神病様症状を出し続ける神経回路が強化されて、嫌悪刺激にも過敏に反応して、程度の差はあっても絶えず精神病様症状を出し続けることになります。成人型の精神障害に移行していきます。

母と子のスキンシップ、男の子には言葉だけで良いのか? 2012.3.23

 子どもと母親との関係は、心が辛い子どもは何歳になっても幼稚園や小学校の子どものような感じ方をしています。男だから、女だからと言う性差はないと考えた方が良い結果を得られます。大人年齢の男性でも母親は抱きしめたり、手を握ってあげたり、背中をさすってあげる必要があります。

 常識に反しますが、常識的に考えれば気持ち悪いかもしれませんが、子どもが求めれば一緒に布団を並べて寝たり、一つの布団に一緒に寝ても良いです。一緒に入浴した例もあります。母親の方から先回りをして提案をしても良いです。ただし心が辛い子どもに限っての話です。スキンシップに必要な物は暖かくて、柔らかくて、動きのある肌です。

 大切なのは子どもがどのように感じているかです。それを母親ですら知ることができません。辛い状態の男の子でも、母親なら上記のようなスキンシップをして良いです。上記のスキンシップは母親しかできないスキンシップです。母親だからして良いスキンシップです。そして子どもにとって最高の癒やしです。

 子どもにとってこれ以上の癒やしはありません。心が元気な子どもは母親のスキンシップが必要ないので、子どもの方から拒否をします。心が辛い子どもでも、もし子どもの方で必要なければ、子どもの方で逃げていきますから、母親は子どもが母親から逃げていくまで、スキンシップを続けて下さい。

 子どもの辛い心に共感する言葉が大切です。しかし言葉だけでは不足です。母親でなくても、子どもの辛さが感じられたら、他人の大人でも共感の言葉に手を握ってあげる、背中をさすってあげるなどのスキンシップができるでしょう。しかし同じスキンシップでも、母親と他人とでは子どもが受ける癒やしは大きく違います。母親だけは共感の言葉と一緒に母親しかできないスキンシップを先回りをしてでも与えると、子どもの辛い心が楽になり、子どもが元気になってきます。

同じ迷惑行動でも 2012.4.4

 A君は不登校で家にいます。昼夜逆転していて、時々荒れて壁に穴を開けたり、ドアを蹴ったりします。

 B君は不登校ですが、今は幼いときから好きだったテニスを再開して、週二回テニス教室に行きます。生活は昼夜逆転していますが、テニス教室には朝自分で起きて出かけていきます。何かあると直ぐにイライラして大声を上げたり家具を蹴飛ばしたりしています。

 この二人の姿は同じように感じられますが、心の中は大きく異なります。A君は不登校で辛い心を、両親から癒やされないから、それどころか辛い対応を受けるから、その辛さの回避行動として、荒れたり、壁に穴を開けたり、ドアを蹴ったりします。

 それは見方を変えると、両親にA君の辛い心を癒やしてくれ、学校に行かないA君を、それで良いと認めてくれという意味になります。両親から”学校に行かなくて良い”という対応を求めていますし、両親はA君が学校に行かないで成長をする生き方を認めると同時に、先回りをしてでも、辛いA君の心を積極的に癒やす対応が必要です。

 B君は両親から”不登校をしていて良いと認められている”と判断をしています。学校や学校に関する物にして辛くならないから、自分の生き方を求めて家の外に出られるようになっています。学校に行かないことから生じる葛藤が無いので、好きなテニス教室に通うエネルギーがたまってきています。

 テニス教室を通して、B君なりの生き方を求めていますが、まだ得られていないので、イライラしやすく、大声を上げたり、家具を蹴飛ばしたりします。テニス教室でB君なりの物が見つからないなら、そのうちにテニス教室を止めて他のことを始めます。両親は何も言わないで、B君を信じて待っていれば良いです。

 親から”不登校をしていて良い”と認められていなくても、B君のように家の外に出て行く不登校の子どもがいます。そのような子どもは家の中にその子どもが安心して過ごせる居場所が無いか、家に引きこもっていたいのに家の外に親によって押し出されている子どもです。そのような不登校の子どもは家の外で問題行動をしてしまいます。親が困るようなことをしてしまいます。

兄弟仲の悪さの解消法 2012.4.11

 ある親から兄弟の仲が悪いので、その解消法を相談されました。兄は高校一年生でしたが今は退学して、これから通信高校に転入の予定です。弟は中学二年生です。学校で楽しかったことをしばしば母親に話しています。

 兄は不登校で学校に行けない状態です。それでも学校に行こうとしていますから、とても心が辛くなっています。兄は弟が登校刺激になっているので、弟を許せないのです。弟に辛いことをしてしまいます。兄に弟をいじめないように対応をすると、かえって兄は辛くなり、ますます弟をいじめてしまいます。兄弟仲の解消になりません。

 兄を通信高校に行かさないで、安心して不登校にさせたなら、兄の心はとても落ち着きます。それだけでも兄は弟をいじめなくなります。それに加えて、兄は兄なりの成長の仕方、生き方を認め、弟には弟なりの成長の仕方、生き方を認めるなら、兄は弟から登校刺激を受けなくなります。兄弟が仲良くなり、兄なりの、弟なりの、成長が可能になります。

 兄弟仲の悪さを親は解消しようとするのでは無くて、兄弟仲の悪さは兄に加わっている登校刺激の強さだと理解して、兄に登校刺激が加わらないような対応を親はする必要があります。兄に加わっている登校刺激をどの程度排除できているかの指標として、兄弟仲を見ていくと良いです。

もっと大切なこと 2012.4.12

 息子は休み休み高校に通学して、やっとの思いで卒業しました。その後直ぐに某大学に入学しましたが、まもなくめまいや腹痛を生じて、大学に行けなくなりました。母親が
「体が大事だから」
と言って大学を止めさせようとしましたが、息子は大学に固執していました。それでも秋になると留年か退学を決断しなくてはならなくなり、大学を中退することになりました。

 大学を中退した息子が
「このままじゃあいけないから、就職したい。働いて家を出たい。このままじゃあ自分がだめになってしまう。」
と言い出しました。母親は息子が就職できないだろうし、もし就職しても直ぐに働けなくなり、自分を責めてもっと辛い状態になると判断していましたから、
「仕事をしなくて良いのよ。今はあなたができることだけをしていて欲しいの。必要なお金は母さんが必要なだけ全て用意するから。」
と言いました。
「母さんはいつもお金は出すから仕事するなって言うけど、母さんは一生僕にお金を出し続ける気?それだけお金を持っているの?そんなに僕を甘やかしていいの?」
と言うので、母親は
「今のあなたは就職よりもっと大事な事をやってると、お母さんは思ってる。だから今はお金の心配をしなくて良いと思っている。今のあなたで良いと思っている。」
と言いました。すると息子は
「それじゃあ、今からお金がいるようになったら母さんから貰うからね。」
と笑顔で言って、どこかへ出かけました。

 それ以後就職すると言わなくなりました。表情や言葉遣いも明るくなり、昼間はどこかに出かけて何かをしているようですが、母親には分かりません。お金もお小遣い以外のお金を要求してきていません。

不登校の原因 2012.4.23

 学校に反応して辛さを生じる条件反射をトラウマと表現しておきます。トラウマにも直ぐに消えてしまう物から強く反応して死ぬほど辛くなる物まで、その反応の程度はいろいろです。トラウマが軽いとその辛さに耐えて、子どもは学校に行きます。

 トラウマが重くなるとその辛さに子どもは耐えられなくなって、子どもは学校に行けなくなります。それでも無理に学校に行かそうとすると、トラウマが反応して、子どもは暴れたり、病気の症状を出すようになります。

 直ぐに消えるトラウマは放って置けば良いです。また家庭で、特に母親に癒やされたなら、多くのトラウマは素早く消えてしまいます。母親と子どもとの生活が楽しいと、学校に反応するトラウマは素早く消えて、子どもは不登校になりにくいです。

 既にあるトラウマで辛い子どもに、トラウマが反応するような新たな辛い経験を子どもがすると、トラウマは以前よりもより強く反応してしまいます。消えにくになります。それ以後のトラウマの反応も強くなります。不登校になる子どもは学校で繰り返し辛い経験をしています。その辛さを家で十分に癒やされていないので、トラウマができて、その後トラウマが重症化していきます。

 トラウマを持つ子どもはそれ以上辛い経験をしないために、学校で良い子を演じています。その良い子を演じている姿から、教師は普通の子ども、多くはすばらしい子どもだと理解してしまいます。良い子を演じている子どもだと、教師は考えません。見かけと違って子どもの心が辛いことに気付きません。子どものためと考え、能力をより伸ばしてあげようとして、教師は子どもが辛くなることを子どもに求めてしまいます。

 がんばれがんばれと、子どもを励まし押し続けて、子どもの辛さに気付こうとしません。それは子どものトラウマを強めて、ますます子どもを学校に行きにくくさせてしまいます。子どもに辛さを生じる条件刺激の汎化を生じてしまいます。学校以外のことに反応して辛くなるトラウマを作ってしまいます。

 子どもが学校に反応して辛さを生じるトラウマを受ける(不登校になる)原因はいろいろです。いろいろなことが複雑に関係しています。子どもが言う原因や、教師が見つけた原因も不登校になる原因の一つに過ぎず、それを解決しても意味が無い(不登校問題が解決しない)場合が多いです。

 つまり不登校の子どもが学校に行けなくなったと考えられる個別の原因を解消しても、子どもの不登校問題は解決しないです。しかし不登校の子どもに必ず存在する事実は、学校に反応して辛くなるトラウマを子どもが持っている((登校拒否)という事実です。

父親に良い子を演じる 2012.5.5

 不登校で物を壊したり、父親に向かって暴力をふるったり、暴言を吐いたりする娘が「お父さんのこと、大好き」と母親に向かって言ったり、「お父さん、お仕事をしてくれてありがとう」と言ったりします。これは娘が父親のことを本心から好きなのか、それとも良い子を演じているのか、その区別をする方法を教えて欲しいという質問を受けました。

 物を壊したり、父親に暴力をふるったり、暴言を吐く子どもの心はとても辛い状態です。このように心が辛い子どもが父親に向かって暴力をふるったり、暴言を吐くのは、父親が子どもの心に沿わない対応をしてしまうからです。父親を拒否している姿です。決して父親を求めようとしません。

 父親が子どもに常識的な対応をしなければ父親を拒否しないのですが、父親が常識的な対応をするような人でないと、社会の中で働けないのです。お金を稼げないのです。社会で常識的な行動をして、家で子どもの心にそう、非常識な対応を求めることは無理なのです。これらの事実を元に、父親は心が辛い子どもの心に沿わない、常識的な対応をする物だと考えて大丈夫です。不登校などの心が辛い子どもは、基本的に父親を拒否していると考えて間違うことはないです。

 不登校などの心が辛い子どもが父親に思いやりのある言葉をかけたときでも、子どもの本心は父親を意識してとても辛い状態です。本来なら物を壊したり、父親に向かって暴力をふるったり、暴言を吐いたりしたいところが、周りの人が気づかない何かの理由から、言葉の上で父親を受け入れるような言葉を子どもは言っています。決して父親を求める姿ではありません。子どもが良い子を演じている姿だと判断できます。

子どもが母親を求めるとき 2012.5.14

 心が辛い子どもが母親を求めているときは、可能な限り母親は子どもの求めに応じて、子どもの側にいた方が良いです。子どもの求めに応じている内に、子どもが母親を求めなくなるので、その時になってから、母親は子どもから離れるほうがよいです。ただし、心が元気な子どもには、このような考え方は必要ないです。

 母親が子どもの側に絶対にいなければならないときとは、子どもが荒れて物を壊したり、暴力をふるっているときや、子どもが病的な症状を出しているときです。母親は子どもの側にいて、積極的に子どもの辛い心を癒やす必要があります。子どもが母親に向かって荒れているときこそ、母親は子どもの側にいて、子どもの辛い心を癒やす必要があります。子どもの辛い心を癒やすとは、子どもの辛さに共感をして、子どもとスキンシップをすることです。それ以外の対応は、ほぼ間違いなく良い結果をもたらしません。

 心が辛い子どもが荒れなくなったり、病的な症状もないときは、母親は子どもを信頼して待つ対応が良いです。心が辛いもどもは母親に信頼されていると、子どもの方で自分の問題を解決して、心が元気になっていきます。子どもを信頼しているという母親の思いは、言葉で表現するだけでなく、子どもを見ない、子どもに言わない、母親の笑顔で、子どもに伝わります。

 母親が子どもの側にいると、どうしても必要ない心配をしてしまいます。それは予期しない母親の行動や表情に表れますから、そのつもりがなくても子どもに伝わります。子どもは母親に信頼されていないと潜在意識で反応して、なかなか子どもの心が元気になれません。母親が子どもを信頼しているという思いを子どもに伝えるには、母親が子どもから離れて、母親にとって楽しいことをすべきです。そうすれば必然的に母親が子どもを見ない、子どもに言わない、母親の笑顔ができます。

 子どもが荒れなくなり、病的な症状も出さないのに、子どもが母親を求めるときは、母親を求めるときだけ、母親は子どもの側にいれば良いです。子どもは特に母親を必要としなくても母親を求める場合があります。それは子どもが母親をテストする場合です。どれだけ早く子どもの要求を叶えてくれる母親かを見て、母親がどれだけ子どもを信頼しているのかを判断しています。

 心が元気になってきた子どもが、また今まで母親にべったりだったという子どもの習慣から、ふとした瞬間にその習慣を思い出して、母親を求める場合もあります。そのような場合が考えられるときには、母親はいっぺんに子どもから離れないで、子どものの反応を見ながら、少しずつ子どもから離れている時間を増やしていくと良いです。しかしこの場合でも、子どもが母親を求めたとき、母親が直ぐに子どもの要求を叶えてくれたと子どもが判断するような時間内に子どもの側に戻れば、それでも大丈夫です。

障害と病気 2012.5.27

テレビ朝日は14日放送のクイズ番組「Qさま!!」中で、先天的な脳の機能障害と考えられる自閉症を病気として扱ったとして、同番組の公式ホームページにおわびと訂正を掲載した。
テレビ朝日広報部によると、14日の放送中に、「ここ10年で患者数が増えている病気を選びなさい」という問題を出題、自閉症を正答の一つとした。視聴者から放送中に指摘があったことから誤りが発覚した。

殆ど全ての医者は障害=病気と理解しています。そして一般の人も障害=病気と理解しています。私に言わせればテレビ朝日がよくぞ障害を病気として扱った間違いを認めてくれたと思います。いわゆる発達障害も精神疾患も、全て障害であり、病気ではないです。それは世界の医者が認めていることなのですが、現実の話となると病気として扱ってしまうし、病気としての治療が認められています。

子どもと精神科医療について 意見交換会 が平成24年6月3日(日)14:00から、東京シューレ葛飾中学校 で行われます。多くの方が参加されることを願っています。

子どもに話させる(母親は最高のカウンセラー) 2012.5.30

 不登校や引き籠もりの子どもは、母親が話を聞こうとしないと、何も話してくれません。話をしてくれない子どもが問題だと間違って考えてしまいます。母親が話を聞こうとする姿勢を子どもが感じると、子どもの辛い思いをどんどん話してくれます。母親が相槌と共感だけで話を聞き続けてくれたら、子どもが辛い思いを十分に話せたら、子どもは心が楽になり、子どもなりの何かをし出します。不登校や引き籠もりの問題を自分で解決しようとします。

 子どもが過去の自分が辛かったことを話す時、子どもは辛かった事件を再体験して辛くなりますから、基本的に子どもは自分のトラウマに触れることを話しません。子どもは母親に、自分の思いでトラウマに触れることのない部分を、次から次へと言葉にして話してくれます。母親は子どもの話を遮ることなく、相槌と共感の言葉だけで聞き続ける必要があります。

 大人が子どもに過去のことを聞き出そうとすると、子どものトラウマに触れてしまいます。子どものトラウマが反応して、子どもはとても辛い状態になります。子どもは荒れてしまい、それ以後大人に話そうとしなくなります(それでも子どもが話すときには、子ども通いを演じていると考えられます)。また、子どもの話に大人の理解を言うと、子どもは話すのを止めてしまいます。子どもは自分の思いを言いたいのであり、大人の意見を聞きたいのではないからです。

 子どもが話せば話すほど、子どもの心が楽になってきます。母親は相槌と共感の言葉だけで聞き続ければ良いです。決して聞き出そうとしてはいけないです。決して子どもの話を遮断してはいけないのです。子どもの話が明らかに間違っていても、そのまま聞き続ける必要があります。

 子どもの話を遮断することなく聞き続けることは、子どもへのカウンセリングそのものです。子どもへのカウンセリングは大人へのカウンセリングと異なります。子どもへのカウンセリングには、分析や答えが必要ないです。その意味で”母親は自分の子どもの最高のカウンセラー”になれます。

抗精神薬は本当に病気を治すのか? 2012.6.11

 薬の効果と副作用は、薬に添付される効能書に書かれています。その添付書には{効能・効果}の項目があり、そこには投与して良い疾患名が書かれています。投与して良い疾患名であり、”治癒を保証しているのではない”です。医者は患者についている診断名に基づいて、その診断名で許可されている薬を投与しています。薬を投与することで自覚的に、他覚的に症状が軽減するとか、臨床検査で検査データが良くなっていると病気が良くなってきている。病気が直ってはいないけれど、日常生活の中で問題ないようになっていると判断します。

 体の病気に投与される薬の多くは、薬を投与することで症状が軽減すると治癒の方向にあると考えられますし、現実に病気が治癒します。体を生理的な状態に保つことができます。薬自体が病気の原因を解決する場合もありますし、薬が症状を軽減して時間を稼ぐと、体の生命力が病気を治してしまうからです。

 向精神薬(精神科領域の薬)の内でも抗精神薬(統合失調症の治療薬)に限定しての議論です。しかし他の向精神薬にも基本的に当てはまります。統合失調症は脳の機能の病気です。薬を投与することで症状が軽減できる薬を抗精神薬と言います。抗精神薬で症状が軽減しても統合失調症が治りません。抗精神薬で症状が軽減した状態を維持したとしても、統合失調症が治りません。

 統合失調症と診断された症状が軽減すると、患者の周囲の人が助かります。しかし当人は病識がない場合が多いので、必要ないことまたは嫌なことをされると判断して、治療に抵抗をすることが多いです。患者自身から見たら、飲みたくない薬を飲まされるのですから、人権侵害になります。しかし法律的には周囲の人の便宜性が優先して、法律違反になりません。

 抗精神薬の効果は、薬を投与することでどれだけ統合失調症の症状が改善するかで判断されます。その判断も医者の主観でなされます。統合失調症の症状を測定する方法がないです。どうしても医者の主観は、薬が効果的であるような先入観を持って症状を判断してしまいます。例え二重盲検試験で抗精神薬が有効と判断されても、その症状の改善効果は限定できである可能性を十分に含んでいます。薬の効果が無い場合もあります。まして抗精神薬が統合失調症を治癒させるという保証になりません。それなのに医者は、抗精神薬で統合失調症が治せると患者に説明しています。

 抗精神薬の問題点で注目しなければならないことは、抗精神薬の症状軽減効果に比べて、副作用が出す症状が強いという事実です。効能書にはいろいろな副作用が書かれていますが、薬の効果と副作用との関係を比較した文献を見たことがありません。統合失調症に抗精神薬を投与する場合、統合失調症の症状が消失するほど投与したとき、副作用も強く出て(その副作用がまるで新たな精神疾患を生じさせたように思える場合もあります)きます。その副作用を消すために、新たな薬が投与されて、患者は多種多量の薬を飲まされてしまいます。

 周囲の人は統合失調症の人が出す症状への対応に苦しまなくてよくなりますが、統合失調症と診断されている当人は、薬の副作用で苦しむことになります。薬で人格が変わったようになる場合もあります。特に子どもの場合、人格形成に悪い効果が出ることが推測されます。医者は統合失調症の症状が消えさえすれば治療がうまくいっていると判断して、副作用の有無にはそれほど配慮しません。

 子どもは心の発達期にあります。脳の中で基本的な神経回路が確立していく時期にあります。子どもに抗精神薬を投与すると、その薬の持つ副作用から子どもを苦しめて子どもの性格を変化させてしまいます。子どもの大人になったときの人格に良い影響を与えないはずです。また、抗精神薬が脳の機能に直に、又は長期に与える副作用については全く分かっていません。

早期介入、支援の危険性について 2012.6.13

 多くの体の病気は早期診断早期治療が病気を早く治します。それは子どもの体の病気でも同じです。大人の体と子どもの体と殆ど同じで、大人の治療法が子どもの治療法と共通するからです。

 子どもの心の問題を扱っている私たちで、現実に気付くことです。不登校の子どもを無理矢理学校へ行かせる対応をすると、子どもは直ぐに暴れたり、病的な症状を出します。病的な症状は自律神経の症状から、精神症状まで多岐にわたります。この子どもに、学校へ行かせる対応を止めると、子どもはこれらの症状を出さなくなるか、出していても遙かに軽くなります。そこでまた学校へ行かす対応をとると、これらの病的な症状が直ぐに強くなります。学校へ行かす対応を止めると、子どもはまた病的な症状を出さなくなるか、出しても軽度です。このことは、不登校の子どもが出す病的な症状は病気から出しているのではなくて、学校に反応して出していると判断されます。

 この不登校の子どもが病的な症状、特に精神症状を出していている状態で医療にかかると、殆ど全ての医者は病気だと診断して、投薬による治療を開始します。この投薬による治療で子どもが出す症状が解決した例を私たちは見ていません。かえって悪化するか、副作用で苦しむ子どもをしばしば見かけます。その子どもに学校へ行かす対応を止めて、様子を見ていると、子どもは自分から薬を止めて(嫌がって飲まない子どもも多いです)病的な症状がなくなるか、軽くなっていきます。

 この事実から、不登校の子どもが出す病的は、子どもが心の病気でなくても出すことが分かります。不登校の子どもへの早期に医療にかけることの危険性を表しています。不登校の子どもの病的な症状は、子どもを学校へ行かそうとする対応を止めるのが一番良い方法だと判断されます。医療の早期介入は、不登校の子どもを病気でもないのに心の病気としてしまい、必要ない投薬を受けることが多くて、かえって子どもの問題を解決できなくなる可能性が高いことを指摘します。

 心に関しては大人の心と子どもの心と大きく違うことを殆ど全ての人は知りません。大人の心とは大脳新皮質、前頭前野の機能から成り立っています。しかし子どもの心は大脳新皮質、前頭前野の機能が不十分なために、大人の心で成り立つことが子どもの心で成りたたないことが多いです。子どもの心で成り立つことが大人の心で成り立たないことも多いです。つまり大人は子どもの心を知っているつもりでいるけれど、本当は全く知らないという意味です。

 大人の心の治療法や支援法は大人の心に対して行われたことから得られています。それをそのまま子どもの心に当てはめたら、子どもには間違った治療法や支援法になります。今の精神医療、心理学などは全て大人の心から得られた知見から成り立っています。その大人の精神医療や心理学を子どもの心に当てはめようとしています。当てはめられた子どもは、大人が正しい治療法だと思っても、間違った治療法になっていて、かえって子どもの心を苦しめ、症状を悪化させてしまいます。

 子どもでも、子どもの本心(それは決して子どもが発する言葉の内容ではないです)に沿った対応なら、早期介入、支援が好ましいです。しかし現在の早期介入、支援は大人の心に沿っていても、子どもの心に沿っていません。早期介入、支援を実行する前に、大人の心とは全く異なったとも言える子どもの心に沿った精神医学や心理学ができあがってからでないと好ましくないのです。それは今の精神医療や心理学とは大きく異なっていて、場合によっては全く逆になっている場合もありそうです。

心の健康とは何か? 2012.7.10

 心の健康とは何かを考える前に、心とは何かを考えておく必要があります。どの人も、心という言葉を知っていますし、人の行動を説明するときにとてもよく使われます。しかし心とは何で、人間のどこにあるのと言うと、正確に答えられる人は殆どいないと思います。最近では、心とは脳にあるという人もいますが、現実に脳の中に心は存在していません。脳の中には心という実体がないです。

 現在の心理学や精神医学では、心とは精神世界を指しています。人間(人間に限らず、他の動物や自然界の物)の外にある精神世界が人間の脳と関わって、その人の心として機能をするという考え方です。これを心身二元論と言います。現在の法律や教育はこの心身二元論に基づいて行われています。つまり精神世界とは言葉で作られる世界のことですから、言葉で表現する限り、どのようなことも可能になります。心を考える人が自由に心のあり方を決めることができます。

 心身二元論では、心を考える人がその人の思いで心を決められますから、心の健康も、その心を考える人が、心の健康とはこのようなことだと決めることで成立します。つまり心の健康を考える人が、その人に都合の良いことを心の健康とし、その人に都合の悪いことを心の不健康とします。その心の考え方に、多くの人が従っているだけです。

 心とは脳の機能だと考える考え方があります。それを心身一元論と言います。心身一元論では、人間の全ての反応は、行動は、脳の機能として説明できます。ですから心身二元論で心が健康だと考えられる反応や行動の仕方も、心が不健康だと考えられる反応の仕方や行動も、生理的に脳が反応をしただけであり、その反応結果が他の人にとって好ましいか好ましくないだけのことであり、脳の機能として、すなわち心として、不健康な状態ではないです。

僕の居場所は? 2012.7.12

 僕は学校でいじめられていた。先生に相談しても、僕が悪いからだと言って何もしてくれない。両親に相談しても、「いじめなんかに負けるな。がんばれ!」と言って、それ以上、話も聞いてくれなかった。学校に行くのが辛くて朝起きないでいると、親が来て布団から僕を引きずり出した。「なぜ、学校に行かないのだ!」と酷く怒鳴られた。学校に行かざるを得なかったのだ。

 学校では授業時間が一番楽だった。後ろからつつかれたり、消しゴムが飛んできたけれど、それ以上のことはなかった。休み時間になるといつもの連中が「遊ぼうぜ」と言ってやって来た。無理矢理に教室の後ろやトイレ、校舎の陰に連れて行かれて、殴られたり蹴られたりした。学校に支払うお金を巻き上げられたりもした。勝手な理由をつけられて、お金を持ってくるようにも言われた。

 教室を移動するときや、体育の時間、放課後は最高に辛かった。仲間は僕と遊んでいるようなふりをして、僕を殴ったり蹴ったりして、笑っていた。僕も笑ってされたままになっていた。されるのが嫌だと言ったら、その後どんなことをされるのか。それはとても想像すらできないことをされたからだ。

 両親は僕が学校に行っていると安心している。一度学校に行かないで、遠くの公園で過ごしたことがあった。学校から連絡があって、その後父親からこっぴどく叱られた。「学校に行かないなら、家から出て行け!」と言われた。だから無理でも、僕は学校に行き続けている。しかし限界が来た。もう、学校に行けない。学校に行かなければどこに行けばよい?僕の居場所はどこ?

 家を出て、学校と反対の方向に歩いていた。アパートがあった。通路の階段を上がって屋上に出た。すると僕の居場所が見えた。僕は柵を越えて、僕の居場所に、僕だけしか知らない居場所に向かって、必死で踏み出した。

大津虐め自殺について(1) 2012.7.13

 昨年、十二歳の男の子が虐めを受けたと記録を残して自殺をした。その自殺から半年以上たって、現在大きな社会問題になっています。男の子が虐めを受けていたと記録を残さなかったら、原因不明の自殺として葬られたはずです。学校も教育委員会も、何事もなかったかのように存在し続けたはずです。

 虐めによる自殺は理解しやすいです。しかし虐めは客観的な虐めの証拠を残さない場合が多いです。今回もアンケートという形での生徒の証言はあっても、客観的な証拠はなさそうです。それ故に学校も教育委員会も必死でその事実を隠して、何事もなかったかのように責任を回避したかたのでしょう。これだけマスコミが学校と教育委員会をたたくので、やむをず道義的な責任を認めようとはしているようです。

 大人の証言は証拠能力があります。けれど12歳の子どもの証言には証拠能力がありません。教師が虐めを証言しない限り、子ども達の証言に基づく客観的な証拠が見つからない限り、最終的に証言で終わってしまう可能性が高いです。父親が裁判に勝つ可能性はきわめて低いです。

 傷害や窃盗の形を取らない限り、虐めと遊びとの区別は不可能と言って良いです。後から振り返って、虐めと思ってみると虐めですし、虐めで無いと思ってみると単に子ども同士の遊びです。虐める子どもも虐めを意識していない場合が多いです。虐められている子どもで遊んでいると理解しています。

 虐められている子どもは、虐められているから辛いと発信しています。けれど親を含めて周囲の大人には、子ども同士の遊び、時には少し度が過ぎた遊びと理解されてしまいます。きっと父親も子どもが自殺をして、初めて子どもが虐めを受けていたことに気付いたのでしょう。

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