フリースペース「したいなぁ〜松戸」&松戸−登校拒否を考える会「ひまわり会」
ホーム代表者と顧問医師のコラム

子どもの心に寄り添って(27) 2011.5.18

 ある不登校の子どもの母親からメールを貰いました。
「近所に住む50歳の無職の男の人が自殺しました。この男の人は引きこもっていて、父親と二人暮らしでした。私の息子は中学二年生年齢で、中学一年生の三学期から不登校です。息子のことを考えると、私も不安になります。このまま学校にも行かず、仕事にも着けないで生きていくのでしょうか?私は息子より早く死にます。その後の息子はどうなるのでしょうか?」

 不登校の子ども、不登校から引きこもりになった子どもは、学校に行かなくてはならないという思と、学校や学校に関するものを見たり、意識すると突如として体の奥底から辛さが涌いてきて、現実に学校に行けないという事実の狭間で、葛藤状態になっています。不登校、引きこもりの子どもは学校を意識しただけで辛いところに、葛藤状態からの辛さが加わって、どうにもできないぐらいに辛くなっています。

 そのような辛い子どもに、学校に行くこと、勉強をすることを求めると、ますます子どもは辛くなります。辛さに耐えかねて荒れるようになります。精神病と診断されるような辛い症状を出すようになります。こんな自分では生きている意味がないと思うようになります。死にたいという子ども、何故自分を生んだという子ども、自殺をする子どもが出てきます。

 子どもの生き方には学校に行かないで成長するという生き方があります。子どもの心が元気になると、学校に行こうとする子どももいます。学校に行かなくても心が元気な大人となって社会へ出て行ってくれます。とても強い生き方をしてくれます。それに対して、子どもの心を元気にしないで子どもを学校に行かせようとすると、学校に行く子どもがいます。

 親はそれを喜びますが、その後時間を経て子どもは全く動けなくなります。辛さから荒れたり、病気の症状を出すようになります。それまで至らなくても、所謂ニート、フリーターと呼ばれる、今ひとつ心に元気がない大人になってしまいます。つまり不登校、引きこもりの解決が大変に難しくなります。

 不登校の子どもの心を元気にするには、一端学校を忘れて、その子どもなりに楽しく生活をする必要があります。どのようにしたら子どもが楽しくなるのか、それは子どもによって異なりますから、親は子どもが楽しみたいと希望をすることを全て認めていく必要があります。

 他人から見たら、一見わがまま放題のように見えますが、不登校、引きこもりで心が辛い子どもの心が元気になるにはどうしても必要なことです。再び元気に学校に行ってもらうのには、元気な大人になって社会へ出て行って貰うには、子どもが不登校、引きこもりをしているときに、安心して不登校、引きこもりをさせて、家の中で楽しく過ごさせて、子どもの心を元気にすることがどうしても必要なことです。

山口さんちの努君 2011.5.31

 現在20歳になる努君は、中学、高校時代不登校でした。努君は一昨年4月定時制高校に入学し、昨年11月の高認に合格しました。高認の勉強は、パソコンからダウンロードした過去問を、何回も何回も繰り返してやっていました。今年のセンター試験も全て自分で手続きをして、偵察のための試験と言って挑戦していましました。まだ勉強していないところが多くて難しかったと言っていましたが、それでも60%程できたそうです。おかげですっかり生き生きとした表情になり、将来の進路を楽しそうに話してくれました。。

 今度は大学を目指すようで、「浪人生になったのだから、予備校に行く学費を頼む」と親に応援を求めていました。親も大学を目指して元気に勉学に励む努君を見るのが嬉しいのか、直ぐに許可を与えていました。その後努君は予備校を自分で見つけて、定時制高校に直ぐに退学届けを出して、予備校で勉強を始めています。「知らない事を学ぶ事がこんなに楽しい事だったんだ」と言って、毎日いきいきとくらしております。数学がたまらなく面白く、微積分がおもしろくてうっとりすると言っています。

 努君が不登校になり、学校から、勉強から離れてゲームや漫画、テレビに没頭した6年間、努君はいろいろと苦しみ悩んだようですが、努君がたくましく成長するのにとても大切な時間だったようです。何かを掴んだ努君は全て自分で計画し、実行して、納得して成長をしてきています。

 約一年前に努君の祖父が交通事故で急死して、悲しみ途方にくれる祖母を抱きしめて「ばぁちゃん、僕がついているから、心配いらないよ。僕がしっかり働いて、おばあちゃんを守るからね。」と励ましていました。努君が不登校になった当初には、学校に行かない努君をあれほど責めてた祖父母でした。こんなに優しく祖母を慰める努君を見たことはありませんでした。

大丈夫 2011.6.7

 14歳の男の子です。学校に行かなくなってまもなく1年になります。昼過ぎに起きてきて、明け方までパソコンとゲームに耽っています。「最近、体調が悪くて疲れ気味になっている」と男の子が言いました。母親は「そうなの。でもそれぐらいなら大丈夫、大丈夫。ゆっくり休めば元気が出てくるよ。」と言いました。その時は何もなかったのですが、そのあとなんとなく男の子が変わってきて、母親が作っていた料理をひっくり返して、母親を足蹴りしました。

 多くの大人は、母親は落ち込んでいる男の子を元気づけているから、母親として間違っていないと考えるでしょう。辛そうにしている男の子が問題だ、母親に八つ当たりをしている男の子が問題だと考えると思います。それは心が元気な子どもに当てはまります。

 心が辛い状態の子どもでは、母親の言葉が辛くて苦しんでいる男の子の否定になっています。大丈夫でないから、母親に大丈夫でないと男の子が訴えています。母親は男の子に「大丈夫でない男の子の状態を、大丈夫だと思いなさい」と言ったことになります。言われた当初は男の子も知識で「そうかな」と母親の言葉を受け入れましたが、時間と共に男の子の本心が母親に対する拒否反応を起こしたのです。

 男の子の本心は、母親に共感して欲しかったのです。母親に「辛いね」とだけ、共感して欲しかったのです。男の子の状態を認めて欲しかったのです。男の子は辛いことの解決策を求めていたのではないです。母親に共感して貰って、抱きしめるなどのスキンシップをして欲しかったのです。

ネグレクト 2011.6.11

 私の近所で報道ではネグレクトで幼児が死亡しました。二才で五キロしかなかったそうです。多くの人の疑問は、母親が何故自分の子どもにそのようなことをするのか、周囲の人はどうして気づかなかったか、などだと思います。

 母親はその母親なりに一生懸命育てていたのです。その一生懸命が母親の自己中心的な物であって、子どもの心に沿っていなかったのです。きっと母親には何かとても辛いことがあったのでしょう。そのために母親には子育てに余裕が全く無くて、気にくわない子どもの何かを何が何でも矯正したかったのです。きっと母親は子どもに折檻をしたはずです。自分も子ども時代にされたことのある、子どもに食べ物を与えないという方法を思い出しておこない、子どもが母親の指示に従うことを要求したのです。

 子どもの反応の仕方として、親から叱られるなど辛くされると良い子を演じて親の指示に従います。決して心底自分が悪かったと反省して親の指示に従ったのではないです。叱るのを止めて貰うために、親の指示に従ったのです。しかし子どもが良い子を演じるのにも限界が来ます。限界が来たら良い子を演じなくなって、親が嫌がるような反応をし始めます。

 子どもの親が嫌がるような行動に親はますます子どもが親の指示に従うように強く叱るなどの子どもが辛くなるように関わります。親の指示に従ったら辛くするのを止めるから、親の指示に従いなさいと言う意味です。多くの大人が気付いていないことですが、それはますます親が嫌がるような反応を子どもにさせるようになります。この子どもの反応の仕方は子どものごく自然な反応の仕方なのです。

 二歳の子どもでは良い子を演じる能力はありません。子どもを叱っただけで子どもは親が嫌がるような行動を取るようになります。それは母親はますます子どもを折檻し、子どもにに食べ物を与えないという悪循環に入ったのです。やせ衰えてきた子どもを見て、多くの母親は自分のしたことの問題を感じ取れます。母性が働くからです。

 しかし母親の辛さが強すぎると母性が働かなくなります。思うように育たない子どもに怒りを感じて、ますます子どもを摂関をして食べ物を与えなくなり、子どもの死に至ったのです。何が母親をそれまで辛くしたのか、報道からそれは分かりません。

お姉ちゃんはずるい 2011.6.26

 小学5年生の姉が学校に行かなくなって半年がたちました。今は昼前に起きてきて一日中ゲームをしたり、テレビを見たり、漫画などの雑誌を読んでいます。小学2年生の妹は毎日元気に学校に通っています。その妹が最近姉を見て、「お姉ちゃんはずるい。好きなことばかりをしていて。」と言うようになりました。母親は姉の不登校をやっと認められるようになりましたが、妹を不登校にしたくなくて対応に悩んでいます。

 現在の子どもの成長の仕方には、学校を利用して成長する成長の仕方と、学校を利用しないで成長をする成長の仕方があります。学校を利用して成長をする成長の仕方は、今の日本では主流です。大多数の子どもが社会から守られて成長しています。学校を利用しないで成長する成長の仕方は、今の日本では認められていないと言って良いと思います。しかし間違いなく、かなりの数の子どもが学校を利用しないで成長をして大人になっています。学校を利用しないで成長をする成長の仕方は、今の日本では大変に困難を要する成長の仕方です。

 妹は学校に行っていますから、不登校ではありません。しかし心の中は不登校になっています。学校が辛くなっていて拒否をしていますが、まだ学校を拒否する度合いは弱いです。親から学校に行って欲しいという願いと自分も学校に行かなくてはならないという思いに押されて学校に行き続けています。学校では良い子を演じていますから、教師も親も妹が不登校だという事実に気づきません。しかし良い子を演じるのにも限界が近づいてきていますから、「お姉ちゃんはずるい」というサインを出しました。この妹の言葉を妹が怠けたがっていると理解したら、妹が学校を利用して成長をする成長の仕方を失います。

 不登校にもいろいろな程度があります。学校を拒否する程度が弱いと学校に行ってしまいます。学校を拒否する程度が強いと学校を意識しただけでも辛くなり暴れたり、病気の症状を出したりします。この妹のように学校を拒否する程度が弱い場合、一端学校を忘れてある期間を過ごすと、学校を拒否する程度がだんだん弱まっていきます。只単に学校を休んで家で楽しく過ごすことで又学校に行かれるようになります。

 多くの大人は子どもが学校を休みだしたら休み癖が着いて、それから以後学校に行かなくなるのではないかと心配します。子どもの立場から言うなら、学校を休んで家で楽しく過ごしていると、学校を意識しても辛くなくなります。学校が辛くなくなると、子どもは本能的に子どもの集団が好きですから、親が止めても学校に行くようになります。これは大人にない子ども特有の本能ですから大人にはなかなか理解できないようです。

 家の中が楽しいと、楽しくない学校に行かなくなるのではないかと心配する大人がいます。子どもの立場から言うなら、楽しさに慣れがあります。大人から見て楽しそうでも、子どもの方ではだんだん退屈になって、次の楽しさを求めるようになります。子ども同士で遊ぶ楽しさを求めて、少しぐらい辛い学校に行ってしまいますし、学校を休みだす前のような問題を生じません。

 学校を休んでいても、子どもに学校を思い出させたらそれだけで子どもは辛くなり、家の中で楽しく過ごしている意味が薄まります。家の中の楽しさに慣れが無くなります。家の中の楽しさを求め続けて、子どもは学校で子ども同士で遊ぶ楽しさを求めようとしません。いつまでたっても学校に行こうとしなくなります。多くの大人が一番嫌う子どもの不登校が長引きます。学校を利用して子どもが成長する成長の仕方が難しくなります。そうすると多くの親はますます子どもを学校に行かせようと焦ってしまいますから、その子どもはますます学校を拒否して、親をも拒否して、引き籠もったり、家の中で荒れたり、病気の症状を出して、心が元気な大人に成れなくなります。学校を利用しないで成長する成長の仕方ができなくなります。

信頼しているから 2011.7.19

 昨年夏から五月雨登校をしている高校二年生の男の子です。母親はいろいろな相談機関と相談して、男の子が学校に行くようにあらゆる手を尽くしていましたが、男の子がますます酷く暴れ出し、手をつけようが無くなったので、私と相談するようになりました。母親は男の子を学校に行かそうとする対応を止めました。その後男の子は暴れるのを止めて落ち着いてきました。一週間に2日ぐらい遅れて学校に行っていました。

 男の子が昼前に起きてきて
「俺、これから学校に行くから。飯!」
と言うので、母親が
「学校に行かないで、家でゲームをして、ゆっくり楽しくすごしていれば?」
と言ったら、男の子はどーんとテーブルを拳で叩いて、
「俺は学校に行きたいんだ!それを言われると頭にくる!俺が一生懸命勉強をしようと努力しているのに、それを言われると勉強をする気が消えてしまう!いつになったら分かるのか?おまえが悪い!」
と怒鳴りました。
「ごめんね、あなたのことをよく理解できなくて。でもね、それ程苦しんでまで学校に行かなくて良いと思っている。家で楽しく過ごしてというのは母さんの考えだから、自分が学校に行きたいなら行けばいいんだよ。学校に行くかどうかは自分で考えて、自分で決めたらいいんだよ。」
と母親が言いました。男の子は
「今までずっと俺にあーしろこーしろと言ってきたのに、今更何だ!今度は逆な事を言い出して!」
と言われてしまいました。母親は
「今は、信頼してるから。今まではあんたのことを母さんが信頼していなくて、ごめんね。本当の申し訳なく思っている」
と言いました。男の子は声をますます荒げて
「じゃ〜俺がなにしようと文句言うなよ!これから家に火をつけるけれどいいな?」
と言いました。私の背筋に寒い物が走りましたが、私は気持ちを取り直して、
「ああ、いいよ。母さんはあんたを信頼しているから、あんたが一番良いようにしなさい。責任は母さんがとるから。」と男子にいいました。男の子は母親をにらみつけていましたが、その内にぷいと自分の部屋に行って布団を被って寝てしまいました。

 それ以後男の子は学校に行かなくなり、高校を退学しました。男の子はますますゲーム漬け、昼夜逆転は続いていましたが、母親にとても優しくなりました。
時々一人で買い物に出かけたりするようになりました。

転校したい 2011.8.12

 子どもが「転校したい」という場合、それは今の学校が辛くて今の学校に行けないと言っているのと同じです。学校に行かなくてはならないと子どもは知識として知っています。しかし理由は分からないけれど学校が辛くて学校に行けないのに、学校に行かなくてはならないという思いから、辛さを押しこられて学校に行っていると訴えているのと同じです。

 子どもの言葉通りに転校させてあげたらどうなるかを考えてみます。一般論として、学校のあり方は日本中どこでもそれ程大きく違っていません。学校を替えても何か理由が分からないけれど学校が辛くて、子どもが学校に行けないことには変わりがないです。それどころか転校した先の学校は、子どもにとって経験した事がない場所です。転校先の学校が新奇刺激となり、子どもにはより辛い場所になります。それを契機に全く学校に行けなくなる場合が多いです。

 ただし転校した先の学校が子どもの辛さ以上の喜びを与える場所であったなら、子どもは転校先の学校に行くようになります。しかし日本の中で学校はどこでも同じように運営されています。子どもが転校先の学校の中に学校で感じる辛さ以上のものを見つけられないです。子どもが転校先の学校に通うようになったら、それは良い子を演じて無理をして学校に通っていると考えた方が間違いが少ないです。

 子どもが「転校したい」と言ったとき、親は転校を考えないで子どもが納得するまで安心して学校を休ませてあげると良いです。教師もきっと「それでは休みなさい」というかもしれませんが、教師が休んで良いと言っている期間は1週間ぐらいです。一ヶ月も休むと教師は子どもを学校に来させるように対応を変えます。それでは学校を休んだ意味がないです。親は子どもに安心して何年も不登校をさせるつもりでいて欲しいです。安心して不登校を続けられたら、子どもは自分から学校に登校するようになる場合もあります。

高校一年生 2011.9.3

 高校一年生男子。中学二年生よりいじめを受けたりして、学校を休みがちだった。そのころから親は学校やいろいろな相談機関と相談して、男子の問題点を解決して学校に行かそうとした。親が男子に学校に行かせる対応をすると、男子は暴れてガラスなどの物を壊した。それでも中学卒業の際、親の薦めで私立高校を受験して合格した。

 高校生になったら学校に行けるかと親は期待していたけれど、男子は入学式に参加したけれど、それ以後は朝になっても起きてこないで、学校に全く行かなくなった。学校に行かそうとして親が男子を起こすと、男子は親に暴力をふるった。「学校に行きたい。どうにかして学校に行かせてくれ!」と泣き叫んだ。

 親は学校に行けない男子がかわいそうだと思って、いろいろな相談機関と相談して、夏休みまで学校を休ませることにした。しかし男子の荒れる様子に変りがなかった。親は男子が病気ではないかと考えて、男子を病院に連れて行こうとしたが、男子は病院にも行こうとしなかった。親が病院でもらってきた薬を初めの内は飲んだが、すぐに効かないと言って飲もうとしなくなった。親は男子の荒れの対応に手をこまねいていた。

 困った親が今までとは違った相談機関に相談すると、男子の心は既に学校に行けない状態だから、学校を退学させるようにと指導を受けた。親はとても受け入れられなかったけれど、男子が荒れ続けて困り果てていたので、思い切って男子に学校を辞めるように言った。すると男子は「学校に行きたいのに、行かなくてよいというなんて、親の言うことではない」と言って今まで以上に荒れた。それを相談機関に伝えると、それは親をテストしているのだから、荒れるのに負けないで学校を辞めるように言い続けるべきだと説明を受けた。親はとうてい受け入れられなかった。

 夏休みに入っても男子の荒れは収まるどころかますます酷くなった。親は休学か退学かを決めなければならなかった。親はせっかく高校に入ったのだからと、休学を希望したけれど、夏休みに入っても荒れている男子の姿から、休学では解決しないと認めざるを得なかった。しかし今までの親の経験から、退学をさせると「学校に行きたい」と言って今まで以上に荒れるだろうと親は考えた。それでは親が困ると言って、親は男子に退学を勧めようとしなかった。

 あまりに酷い男子の荒れに、親は再度相談機関を訪れた。男子の荒れの原因は登校刺激だから、学校を忘れさせる必要があると説明を受けた。男子に断りを入れなくて退学をさせても大丈夫だからと言われて、親は退学の決心をした。高校から考え直すように勧められても、退学の手続きをとった。退学の手続きをしたことを男子に伝えると、男子は他人事のように話を聞いていた。それから男子は今までのことが嘘のように荒れなくなった。昼夜逆転、ゲーム漬けは続いているが、少しずつ親との会話もできるようになり、表情も明るくなった。今まで弟をいじめていたけれど、今は二人で一緒にゲームをするようになった。

子どもの心に寄り添って(29) 2011.9.12

 子どもが学校で教師から叱られたり、いじめを受けたりして辛くなった場合です。子どもが自分の辛さを誰かに向かって(カウンセラー、教師、友達、親など)自分の意志から言葉で表現すると、子どもの心は表現する前より楽になります。しかし誰かから子どもの辛さを聞き出そうとされたときには、子どもはよい子を演じて、自分の辛さを素直に表現しません。辛さを言葉で表現しても楽になりません。

 自分の辛さを誰かに向かって言葉で表現するすると、自分を辛くした事件を再体験(あたかもその事件を今受けているように感じる)することになります。再体験の結果子どもは辛くなります。そのとき話をした相手が子どもを責めるようでしたら、子どもはもっと辛くなります。子どもは黙り込んでしまいます。多くの場合、誰かに向かって表現して楽になるより再体験で辛くなる方が強いので、子どもは自分の辛さを他の人に言わないし、その子どもに言わせない方がよいです。

 その誰かに向かって子どもの辛さを表現するとき、その誰かが母親の場合で、その母親が子どもの話を共感して聞いてくれるなら、子どもは母親に話すことで大きな喜びを感じます。再体験の辛さより、話す喜びが遙かに大きいので、子どもは楽になります。子どもが母親に辛さを話す意味があります。それでも母親が子どもから話を聞き出そうとするとその意味がなくなります。子どもはよい子を演じてしまいます。素直に自分の辛さを話せなくなります。

自分の中での戦い 2011.9.29

 息子は中学一年生の夏休みを終えてから、二年近く学校に行っていません。その間、息子にとっても、私にとっても、辛いことがたくさんありました。私も辛かったですが、やっとこの頃、「息子は私の子どもだから、私しか息子を信じて待てあげられる人はいない」と思えるようになりました。

 この一週間、息子は朝七時半頃に起きてきます。今日も朝七時半頃起きてきて、
「飯」
とだけ言いました。私が急いで朝食の用意をしました。むすこは朝食を食べ終わると、洗い物をしている私のそばにやって、
「俺、学校に行こうと思っている」
とぽつりと言いました。即座に私は
「そう、健司は学校に行かなくてはいけないと思っているのね。でも母さんは、健司は学校に行かなくて、家で健司らしく楽しく過ごしていて欲しいと思っているのよ。」
と言いました。すると息子は
「おまえは俺のことをいつまでたってもわかってくれない。俺は家にいるのが飽きた。家がつまらない。学校にいきたんだ!」
と怒鳴って、自分の部屋に行ってしまい、また布団に潜り込んで寝てしまったようです。

 私には息子が家にいるのを飽きてつまらないと感じているは判断していません。息子はまだ学校に行かなくてはならないと思っています。けれど学校に向かって体が動かないので苦しんでいます。息子の本心が学校を拒否していますが、息子はこの事実に気づいていません。

 息子は「学校に行かなくてはならない」という思いと、「現実に体が動かなくて学校に行けない。それをどうにかしなくてはならない」という思いを、息子の中で戦わせています。今は「学校に行かなくてはならない」という思いが勝っています。そのような息子に私は何もできないけれど、まだ息子が知らないでいる「学校に行かないで成長をする道」があることを、私は息子に示し続けています。

不登校と登校刺激 2011.10.12

 義務教育年齢の子ども、そして高校は現在義務教育のようにほぼ全員が行くようになっていますから、高校生以下の子どもの不登校について当てはまる事実です。

 子どもが不登校だという事実は、”子どもが学校に意識的に行こうとしても、体が拒否をして行けない状態”です。もちろん大人が子どもを学校に行くように押せば、子どもは学校に行く場合がありますが、それは子どもが学校を拒否する力以上に学校へ押す力が強かったという意味です。

 子どもが学校を拒否する(登校拒否)のは、「子どもの潜在意識で辛さを生じる条件刺激として学校を学習している」からです。小学生の低学年ぐらいですと、子どもが学校を拒否する場合、”辛さを生じる条件刺激は学校自体”です。学校に限定されています。しかし親や大人(主として教師)から学校へ押す力が強くて、心が不登校の子どもが学校に行き続けていると、”辛さを生じる条件刺激の汎化(辛さを生じる条件刺激が増える)を生じて”しまいます。”教師や友達、勉強、家の周囲の人に辛さを生じる条件刺激を学習”してしまいます。

 それは子どもの立場から言うなら、子どもの脳の立場から言うなら、子どもの性格(遺伝として受け継いだ反応の仕方と母親から受け入れた反応の仕方とその時までに繰り返して身につけた反応の仕方と条件反射として学習した反応の仕方)として学校や学校に関する物に拒否反応を生じるようになっているのです。お化けを怖がるのや、蛇を怖がるのと同じようになっているのです。

 子どもの立場から言うなら、無意識に、反射的に、学校について辛く感じるようになっています。学校に対して拒否するように反応するようになっているのですから、不登校の子どもにはどうにもならないのです。学校や学校に関する物で辛くなるように子どもはされたのであり、子どもには責任がないのです。大人では意識的にこのような潜在意識の反応を抑えることが可能ですが、子どもではそれが出来ません。大人から解決するようにと求められても出来ません。辛さを生じる条件刺激を受けると、どうしても辛くなってしまいます。辛くならないためには辛さを生じる条件刺激から逃げるしかないのです。学校や学校に関する物など、辛さを生じる条件刺激から逃げ出した子どもの姿が不登校なのです。

 つまり小学校の年長以上の子どもが不登校状態である限り、学校や学校に関する物を不登校の子どもに与えると、辛さを生じる条件反射を生じて、子どもはとても辛くなります。それでも学校に行かそうとしますと、荒れたり、病気の症状を出してしまいます。それが進行しますと身体に病的な変化を生じて命を維持することも出来なくなります。脳にも病的な変化を生じていわゆる精神病の状態になります。ですから「不登校の子どもに学校や学校に関する物を与えてはいけない」のです。

 多くの大人は、子どもが学校を拒否する姿にいろいろな理由をつけて理解しようとします。子どもがずるをして、怠けて、学校に行こうとしない。いじめる子どもがいるから、勉強が理解できないから、成績が悪いから、学校がおもしろくないから学校に行こうとしない。先生が叱るから学校に行きたくない等です。すでに不登校になった子どもはこれらの問題を解決しても学校に行けないか、学校に行ってもそのうちにまた学校に行けなくなります。そうすると大人は、学校には何も問題がないから、何か子どもに問題があるから、子どもが学校に行こうとしないのだと考えるようになります。子どもが辛さを生じる条件反射から学校に行けなくなったとは考えません。

 親や大人は不登校の子どもに、学校や学校に関する物、先生、勉強、友達、家の周囲の人(これらを登校刺激という)から、子どもを守ってあげる必要があります。先回りをしてでも守ってあげる必要があります。登校刺激から守ってあげていると、子どもが持つ成長の能力から、学校や学校に関する物に辛くなる反応が消失します。子どもが楽しく生活していると、心が元気になる速度が速まります。

 ”先回りをして守ってあげるのは、学校や学校に関する物、先生、勉強、友達、近所の人だけ”です。その他のこと、つまり辛さを生じる条件反射を生じさせない物は、決して先回りをして対応をしてはいけないのです。子どもの心を元気にするために、子どもの意志を大切にするという意味です。

 不登校の子どもが「学校に行きたい」と言うとき、それは子どもの意志ではないかという人が多いです。子どもは大人と違って、心には意識に上り言葉で表現できる顕在意識の心と、意識に上らなくて、言葉にならなくて、体に表現される潜在意識の心とがあります。「学校に行きたい」という子どもの言葉は顕在意識の心の言葉であり、修正可能なのです。不登校の子どもが学校に行かないというのは、潜在意識の心で反射的に学校を拒否しているからです。”潜在意識の心が子どもの本心”です。言葉には成らない子どもの意志に、子どもの本心に相当します。

 潜在意識の子どもの本心を修正することは大変に難しいです。特に潜在意識の子どもの心を理解していない限り無理だと言えるかもしれません。それに対して顕在意識の心は子どもが持っている知識と理解して間違いありません。学校の勉強と同じことですから、その内容を変えることはそれ程難しくありません。

不登校の原因ときっかけ 2011.10.24

 子どもが不登校になったとき、親や教師、その他の相談機関は、子どもが不登校になった直前の事件が原因であり、それを解決して子どもを学校に行かせようとします。例えば教室内でいじめを受けたのを機会に子どもが学校に行かなくなったとき、親や教師はいじめた子どもに「もういじめをしない」と約束させます。いじめられた子どもとと和解の場所を作って、それによりいじめが解決したとします。いじめられた子どもに学校に来るように関わります。そのようにしても、子どもは学校に来られないか、来てもやがてまた学校に行けなくなります。

 不登校についていろいろな説明がされていますが、脳神経生理的に考えると、不登校の子どもは「学校を辛さを生じる条件刺激として学習」した状態です。不登校の子どもは学校を見たり意識すると、辛さを生じる条件反射が働いて、体中に辛い反応を生じて、学校を拒否せざるを得なくなっています。潜在意識にある本心では学校に行きたくないのです。

 しかし子どもが学校を拒否しても、親や教師によって大きな力で学校に押されると、その押す力が学校を拒否する力より大きいと、子どもは学校を拒否していても学校に行ってしまいます。不登校になる子どもは、言葉では「学校に行きたい」と言い、学校に行くと元気に過ごしてきます。それは子どもが”よい子”を演じているだけであり、学校に押されて行っているだけであり、子どもに何かあると学校を拒否する力が強くなり、すぐに学校に行けなくなる状態なのです。上記のいじめの例では、たまたまいじめが不登校になるきっかけだっただけです。

 不登校の原因を見つけるのは大変に難しいです。子どもの姿に関係なく、知らないうちに子どもは学校が辛くなってきて、学校に行きづらくなっているからです。不登校のきっかけを不登校の原因と理解してしまう理由です。

 脳神経生理的には、不登校は「学校を辛さを生じる条件刺激として学習した」状態です。「学校を辛さを生じる条件刺激として学習」したとは、学校生活の中でその子どもにとって辛いことを繰り返し経験していたのです。辛い経験を繰り返す内に、「学校に辛さを生じる条件刺激の学習」が強化されてしまい、ついに辛さに耐えきれなくなったのです。

 何が辛かったのか、それは子ども次第です。不登校になった子どもでは、他の子どもでは何でもなかったこと、たいして辛いことでなかったこと、時には楽しかったことで、辛くなっていたのです。そのいくつもの辛かった経験が不登校の原因になっています。不登校の原因は一つでないです。特定が難しいです。

子どもの心に寄り添って(30) 2011.11.11

 ある母親からの相談の中で、「同級生や一学年下の子供達、学校を辞めてしまいアルバイトしている子供達、何も仕事をしていない子ども達と、毎夜元気で遊んでいます。子どもの将来はどうなるのでしょう。」と質問をしてきました。

 ここに述べられている子ども達にとって今の学校制度が合っていないから、今の学校が辛いから、学校から逃げ出している姿です。その姿は常識的な大人から見たら、怠けていて、遊びほけていてと、感じられます。子ども達の将来が心配だと考えます。しかし子ども達は子ども達なりに一生懸命生きて、成長をしようとしています。子ども達は自分たちの将来を自分たちで切り開こうとしています。その子どもの素直な姿を理解できないのは、大人が子どもの時持っていた子どもの心を失っているからです。

 同じ母親が「子どもはイライラしていて、言うことと行動がチグハグで、自分のことだけで精一杯で余裕がなく、何もかもやりっ放しで、以前の子どもと人格が全く変わってしまっています。」と続けました。

 子どもは一生懸命その子どもなりに生きて、成長しようとしています。それを理解してもらえないから、子どもは辛くていらいらしていますし、余裕が無くて、自分の事だけで精一杯です。目の前の事だけで精一杯です。先の事など考えられません。今を乗り切るので精一杯なのです。でも言葉では、以前に学んだ事を、母親のために言っていた事を思い出して言っているのです。その点では未だ十分に素直ではないですが、それ以外では子どもが自分を素直に出しています。良い子を演じるのを止めて、素直な自分を出し始めた子どもに母親が戸惑っています。

 昔の子どもは良い子を演じ続けて大人になれて社会生活ができるようになれました。しかし今の子どもは良い子を演じ続けて大人になれて社会生活ができるようになる人が少なくなってきました。それは社会がそれだけ厳しくなってきたからです。多くの子どもは辛くなって、いつか良い子を演じられなくなって、親が予想もしなかった生き方を始めます。その生き方から、その子どもなりの生き方を見つけて、大人になって社会に出て行きます。

 その子どもなりの生き方を見つけたら、子どもはとても強い生き方ができます。親が思いもしなかったすばらしい生き方をします。子どもがその子どもなりの素直な生き方を始めたなら、例えそれが親の思いと異なっていても、親はその子どもの生き方を否定しないで、子どもがどのように生きようとするのかを待ってあげて下さい。子どもの希望や要求を支え続けて下さい。

 子どもは親から多くのものを受け継ぎ、それを利用して成長し、学習し続けてきた結果が今の子どもの姿です。子どもが良い子を演じ続けていた姿を親が子どもの本当の姿だと考えたら間違いになります。但しそれだけ良い子を演じられるだけ、子どもは頭の良い子だとも言えます。

 大切なのは今のその子どもなりの姿からどのような大人になっていくのかという姿です。それは子どもが自分から選択して求めていく物です。親や大人たちが教えたとしても、子どもたちはそのときだけよい子を演じて、親や大人たちがいないところでは教えられたことの逆をやってしまいます。

 子どもは親の姿を見ていて、それを参考にする事も事実です。ですから親が親自身に納得した生き方をしていればよいだけです。後は子どもに任せればよいです。

アンケートの中で 2011.11.25

 「小学校の教諭をしています。子どもの問題で学校に非協力な母親がいます。母親がもっと学校に協力的になって貰うにはどうしたらよいでしょうか?」という質問を受けました。

 母親の協力が得られないと教師が感じるときには、子どもの姿に問題があると教師が感じたとき、教師の努力ではどうにもならないので、母親に協力して貰おうとする場合です。教師としては家庭に問題があると考えられるから、母親に家庭での解決を求めている場合です。

 その原因として、1)母親が子どもの心に無頓着で、子どもが苦しんでいる場合。2)教師として一生懸命子どもを守ろうとしているのに、教師の対応が子どもを苦しめていて、母親が教師に期待しなくなり、教師を拒否している場合があります。

 1)の場合は教師が母親の代役をする必要があります。教師が母親を子どもの心を理解するように変えることは大変に難しいです。母親の代役ですから、男性教師には難しいので、養護教諭に頼むしかないでしょう。また、校長や教頭に理解できるかどうかも重要な点です。代役とは、共感の言葉とスキンシップです。子どもの要求を可能な限り認めて、決して子どもの問題点を責めないことです。それ以上の代役は無理でしょう。

 2)の場合はとても難しいです。今の学校のあり方と一人の子どもを守ろうとするあり方の板挟みになるからです。その一人の子どもだけについて、教師が今までの教育方針を変えて、教師が持つ常識を捨てて、その子どもに合わせる必要があります。特に教師の方にわかりにくい、「学校を辛さを生じる条件刺激として学習している子どもの存在」を教師は理解する必要があります。

 どちらにしても、子どもの立場で子どもを守ろうとすると、教師に途方もない負担がかかることになります。それは目の前の成果ばかりを求める今の教育のあり方に問題があるのですが、現場にいらっしゃる教師の方には大変に難しい問題なのです。

脳障害と発達障害 2011.12.16

 今日のNHKのニュースでダウン症で書家の金澤翔子さん(書かれた書がhttp://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=35683 で紹介されています)の活動が報道されました。金澤翔子さんはダウン症に併発する脳障害から知的な障害を生じて、母親との生活をよぎなくされているようですが、書道に関する天才と言われている能力から日本中を飛び回って書道の活動をしています。

 サバンと表現される人たちがいます。脳障害により日常生活に障害を持っていますから発達障害の病名を持っているけれど、ある特殊な分野で天才的な能力を発揮するようになっている人たちです。この人たちは発達障害の病名を持っていても、精神科領域での発達障害ではありません。精神科領域の発達障害とは、脳障害がないという前提条件があります。

 脳障害がない人が出す発達障害の症状と、脳障害がある人が出す発達障害の症状と、区別は大変に難しいです。その理由として精神科医は、脳障害がない人が出す発達障害の症状も、今の科学で知ることができない脳障害から生じていると考えています。それ故に多くの人が、発達障害の子どもに関係している人ですら、これらの区別をしていません。脳障害がある発達障害と言われた人への対応を脳障害がない発達障害と言われた人へ行っている場合が多いです。

 脳障害のある人への対応は、残っている能力を伸ばす対応です。脳障害がある人自身も自分の能力が伸びて周囲の人が喜ぶから、その能力を伸ばそうとする場合が多いようです。脳障害がなくて発達障害の症状を出している人に、脳障害がある人の対応を行ったなら、脳障害がなくて発達障害の症状を出している人はますます辛くなってしまいます。発達障害の症状を強めて言ってしまいます。

 脳障害がなくて発達障害の症状を出している人たちは、人によって異なりますが、人間関係に苦しんで発達障害の症状を出しています。というより子どもの時に誰にでもある幼児性から心が発達させられないでいる状態です。幼児性から心が発達させられないで、年齢が進んでも幼児性を表現している姿です。なぜ幼児性から心が発達させられなかったかという問題です。

 親や大人に子どもを苦しめたという記憶がなくても、親や大人がごく当たり前として行ってきた対応で、その子どもなりに身につけている感受性から子どもが苦しんで、子どもが自分の幼児性から心を発達させられなかったのです。このように親や大人の対応で苦しんで発達障害の症状を出している子どもには、親や大人の常識的な対応は今まで自分を辛くしてきた対応の延長線上にありますから、ますます苦しくなって発達障害の症状を強めていきます。年齢が進むに従って固定化していくことになります。

辛さと楽しさ 2011.12.25

 動物と共通の人間の脳についてです。人間の生命を維持する脳には、本能であり、潜在意識の働きとして接近系と回避系があります。接近系とは私たちの言葉で楽しさ、喜びであり、回避系とは私たちの言葉で辛さ、怖さです。

 辛さとは危険から命を守る脳の反応です。脳が辛さを表現するときにはその辛さから逃げようとします。逃げられないときには外に向かって荒れたり、内に向かって病気の症状を出します。

 繰り返す辛さには相乗作用があります。初めは些細な辛さでも、繰り返す内にとても大きな辛さになります。他の人から見て何でもないようなことに強く反応してしまい、とても信じられない行動をしたり、心の病的な症状を出してしまいます。

 楽しさとは能力を高めようとする脳の反応です。成長をしようとする脳の反応です。ですから子どもの本来の姿は楽しさです。子どもはその楽しさからその子どもなりに成長をして行ってくれます。

 楽しさには慣れがあります。慣れがありますから繰り返す楽しさは楽しさでなくなり、当たり前になってしまいます。楽しさに慣れを生じると脳は新たに楽しいものを求めようとします。ですから楽しさには発展性があります。

 辛さと楽しさにはお互いに打ち消す作用があります。辛さは楽しさを軽減しますし、楽しさは辛さを解消してくれます。同一のことでいつまでも楽しさを感じたいなら、楽しさの後に適度な辛さが必要です。その辛さで楽しさが薄められたら、同一のことでまた楽しさを感じられるようになります。

 苦しんでいる子どもにその子どもなりの楽しさを与えてあげると、子どもは苦しまなくなります。ただし大人が子どもに与える楽しさは、その子どもが楽しいだろうと大人が判断しただけであり、子どもが言葉で「楽しい」と言っても、本当に楽しいのかどうかは別です。子どもが楽しいからと自分から求めるもので、子どもは辛さを薄めて心を元気にして行きます。

 子どもが出す心の病的な症状は子どもがとても辛いという意味です。いわゆる子どもの心の病の症状は薬で一時的に楽になっても、薬では治りません。子どもの心の病の特効薬は子どもが感じる喜びです。それも大人が与えた喜びでは効果がないと考えて下さい。大人の考える子どもの喜びは、子どもの喜びでないからです。子ども自身が求める喜びはとても効果的です。

 しかし子どもの心が辛い状態ですと、子どもの方から喜びを求められない場合が多いです。けれど母親だけは特別です。母親自体が子どもの本能からの大きな喜びですから、母親の共感とスキンシップが子どもの辛さを解消できます。いわゆる子どもの心の病は母親から受ける喜びだけが特効薬だという意味になります。

 子どもでは母親からの共感の言葉や母親との触れ合い(スキンシップ)で、本能的にとても大きな喜びを得られます。子どもは辛くなると母親の側で、母親に触れながら過ごそうとしますし、母親も母性が働いているときにはそのような子どもを許そうとします。それだけで子どもは楽しくなれますし、心が元気になることができます。子どもが暴れるなどの問題行動をしたり心の病的な症状を出しているとき、母親の共感と触れ合いから受ける子どもの喜びを使うことで解決を可能にします。

 経験からの子どもと母親の関係です。子どもが荒れたり心の病的な症状を出している原因は母親でないのですが、母親の対応が悪く(母親が知識から子どもを理解しようとして、子どもの本心に沿った対応をしていない)て子どもがそのような反応を出し続けています。その母親が対応を変えて、子どもの本心に喜びを与えようとしても、子どもはすぐに受け入れないことが多いです。

 子どもの本心に喜びを与える対応で子どもの心は楽になるのですが、初めのうちは母親の対応を拒否する行動をとることが多いです。それは子どもが母親の本心を確かめる(テスト、お試し)行動です。それで母親がひるまないで、子どもの心に喜びを与え続けたなら、子どもは無条件で母親を受け入れるようになります。心が楽しくなり、自分の問題を自分で解決できるようになれます。

 経験からの子どもと母親との関係です。子どもがいわゆる発達障害や心の病の症状を出しているとき、その原因は子どもによっていろいろでしょうが、子ども自身(生まれつき)や母親が原因ではありません。けれど子どもの心の状態を母親に理解ができなくて、その対応が子どもの本心に沿っていなくて辛いから、発達障害や心の病の症状を出しています。

 別の見方をすると母親の対応が子どもの本心に沿っていないから嫌だという子どもからのサインとも考えられます。傾向として子どもが幼ければ幼いほど発達障害だと思われてしまう症状を出し、子どもの年齢が進むと辛い心の症状を出すようになります。

 いわゆる発達障害でも心の病でも当てはまりますが、これらの症状を出し続けていると、これらの症状を出す原因に敏感に反応をするようになります。他の人では何でもない場所で、とても原因があるとは思えない場所で、子どもが症状を出してしまいます。その姿から大人も症状を出している当人も、発達障害だ、心の病だと確信してしまいます。また、これらの症状を出し続けていますと、脳内に変化を生じてしまいます。

 その脳内の変化からこれらの症状を出しやすくなってしまいます。症状の固定化を生じて、周囲の人は病気だと確信するようになります。それでもその脳内の変化は対応次第では回復可能なようです。ただし大変に難しくて時間がかかります。

 いわゆる発達障害や心の病で長年苦しんでいる子ども(年長の子ども)への対応を行っていて感じることがあります。子どもたちの症状は母親の対応が悪くて、子どもの辛さが改善しないという子どもの訴えなのですが、子どもは言葉でも行動でも母親を擁護しようとします。子ども自身の辛さの原因を診断されている発達障害や心の病に求めてしまいます。自分を苦しめている誰も気づいていない原因を解消しようとしなくなります。辛くなると医療にかかり、薬に解決を求めようとします。

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