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ホーム代表者と顧問医師のコラム

2009年度文部科学白書 2010.6.24

 2009年度版文部科学白書で、家庭の経済力の差が子どもの教育機会の格差拡大につながりつつある現状を挙げ、教育への公的投資の必要性を指摘した。その根拠として、09年度の全国学力テストの結果と大学進学率を用いている。

 学力テストは点数で能力を比較できるから、合理的な比較法に見えるけれど、小、中学校の学力テストの結果が、子ども達が大人になったときの能力を反映していない。不登校、引きこもりだった子どもが元気になって、大学生になって、大人になって、とてもすばらしい能力を発揮しているのを、私は多数経験している。

 大学進学率についても、無気力で遊ぶことしか考えない大学生が多い。多くの子どもは大学に行かない生き方が茨の道だから、楽な大学生になっている。また、大学を卒業して就職しても、会社をすぐに辞めてしまう若者が多い。

 昔の学校は子どもの学力を伸ばすことが、大人になったときのその人の能力を決めていたけれど、現在の子どもにはそれが当てはまらない。現在の子どもは学校に行かなくても社会人になったときに必要な学力を得られる。

 現在の子どもに必要なのは、意欲である。勉強をしてやろうという意欲、運動をしてやろうという意欲である。子ども達の意欲をのばすために、教育投資を増やすのなら子どもの成長に役立つけれど、現在のように学校や親が子どもの尻をたたいて、目の前のテストの点数を高めようとするような教育のあり方だと、子どもを無気力にするだけである。それが現在の教育の問題点である。

子どもの心に寄り添って(12) 2010.7.1

 中学生二年生になった自慢の娘が突然不登校になりました。娘はとても素直で、快活で、学校の成績も良く、クラブ活動のテニスを熱心に練習をしましたから、レギュラーにもなれそうでした。母親はなぜ娘が不登校になったのか、理解できませんでした。

 しかしある不登校の会に参加して、「娘は良い成績を取れば親に認められる、クラブ活動で活躍すれば親が喜ぶ」と思って、無理を重ねていたことに気づいたと、不登校の原因を母親が娘を理解していなかったことに求めました。親の会のアドバイスに従って、母親が変われば、娘も変わると信じました。

 それだけ娘が頑張って疲れたのだから、母親は娘が一休みをして良いと納得しました。学校に行けるようになるまで、家でゆっくりするようにと、娘にはっきりと言いました。しかし娘は母親に暴言を吐き、部屋に閉じ籠もって出てこようとはしませんでした。母親は、今の娘がそのようにしたい時期(反抗期とも考えたようです)だから、娘が落ち着くまで待とうとしていました。

 母親は下心無く、ありのままの娘を認めようとしています。不登校の会の人たちも、良い対応だと言いましたが、娘は母親に下心を感じています。

 その第一は、「母親が変われば、娘が変わる」という母親の思いです。娘のあるがままを認めようとしながら、一方では娘が変わって欲しいという母親の思いです。母親が無理をして変わろうとしている姿を、当然娘は感じ取ります。本当に母親が娘の不登校の原因なら、母親が不登校の原因を取り除いて変われば、娘も変わってきます。

 ところが娘の不登校の原因は母親にありません(「辛い子どもの心の本」の恐怖の学習を参照して下さい)。母親が娘のために、無理をして今までの対応とは違った対応をする度に、娘は母親からの変わって欲しいという思いを感じ取り、母親に怒りを感じてしまいます。母親は娘を理解したつもりでも、娘は母親が娘を理解していないと反応してしまいます。母親に暴言を吐き、母親を拒否して、自分の部屋に閉じこもりました。

 娘が一休みをして良いという母親の思いは、一休みの後に娘は学校に行かなくてはならないと娘は理解します。母親は娘が学校に行かなくても良いと言葉で表現しても、ある程度学校を休んだら、学校に行かなくてはならないという母親の下心を、娘は感じ取ります。娘は学校を忘れて家で自分を取り戻すことができません。母親は娘を理解しているつもりでも、娘は母親が娘を理解していないと反応してしまいます。母親に暴言を吐き、母親を拒否して、自分の部屋に閉じこもります。

 全ての不登校の子どもに、このような心の理解をする必要はありません。中学生ぐらいからの不登校の子どもには、これぐらい子どもの心に立ち入った理解が必要な場合があります。

子どもの心に寄り添って(13) 2010.7.9

 引きこもりを続けている25歳の娘と、母親との会話です。
娘 「腹が減った。夕飯作れ。」
母 「はい、わかりました。何がいいですか?」
娘 「自分で考えろ!バカ野郎!」
母 「それじゃあ、これから買い物に行ってきます。」
娘 「それじゃあ間に合わねえよ!ボケ!」
母 「ごめんなさい。今から作ります。レトルトでいいですか?」
娘 「当たり前じゃーねーか。くそ婆!」
母 「はい、わかりました」

 このような娘の暴言にふつうの親なら怒ってしまうでしょう。この母親は一生懸命耐えています。母親は娘のありのままを認め、要求を100%認め、支えようとしている母親です。しかし娘はその母親を信頼しようとしていません。

 このような暴言は、大人の立場からいうと娘の性格が悪いと考えますが、娘の立場から言うなら、母親の対応が悪いという意味です。母親の対応が悪いと娘が感じる原因は、丁寧すぎる言葉にあります。

 母親は娘の要求を間違いなく聞き取り、叶えようとして、少し間を開けて、丁寧に答えています。母親は意識的に、娘を独立した一人前の大人として尊重しようとしているので、他人行儀の丁寧な言葉を使っています。

 ところが娘は自分の要求に娘の心に沿ってすんなりと答えて欲しいのです。親子の関係を求めているのに、母親は一歩引いて、構えて対応をしていると、娘は感じています。

子どもには精神疾患がない 2010.7.14

 動物は辛いと、辛いところ方逃げようとします。辛さから逃げられないと、暴れます。暴れられないとすくみの状態になります。類人猿のすくみの状態は人の精神病にそっくりです。類人猿とほぼ同じ脳の構造を持っている人間でも、この事実は当てはまります。特に子どもではとてもよく当てはまります。

 いわゆる専門家達は認めようとしませんが、子どもが出す精神疾患の症状は、子どもの心が辛くて、その辛さから逃れられなくて出しています。子どもが辛くなっている原因を見つけて取り除くと、子どもが精神疾患の症状を出さなくなります。

 精神疾患がなぜ生じるのか、未だに分かっていません。精神疾患を診断する客観できな病因はありません。医者がその主観から精神疾患だと言ったとき、その患者は精神疾患となってしまいます。

 ですから医者が精神疾患だと言っても、その患者が精神疾患だという客観的な証拠がありません。精神疾患でない可能性があります。特に子どもでは、上記のように辛さから逃れられなくて、精神疾患の症状を出していますから、精神疾患ではありません。

 人が辛さから逃れられないと精神疾患の症状を出すようになります。それは脳内の精神症状を出す神経回路が機能しているからです。辛さが無くなるとこの神経回路は働かなくなり、精神症状が無くなります。ほとんど全ての子どもはこの段階です。心療内科はこの段階の人の対応や治療を行うところと思われます。

 ところが頻回に辛さを経験すると、精神症状を出す神経回路が強化されていき、ほんのわずかの辛さでも精神症状を出すようになります。そればかりでなくストレスホルモンが多く長く分泌されて、ホルモンの作用で脳自体が変化していきます。いわゆる精神疾患の状態になります。この状態になると回復が大変に難しいので、薬で症状を軽くしようとするようになります。精神科はこの段階の人の治療を行うところと思われます。

子どもの心に寄り添って(14) 2010.7.23

 ある不登校になった生徒の話です。

 休み時間に教室内で、数名の同級生が一人の同級生を殴っていました。まるでサンドバッグを殴るようでした。私はそれを見て、教室内にいるのが辛かったです。殴る同級生も辛そうにしながら殴っていたのが不思議でした。

 そのような教室内でしたが、何事もなかったように授業が始められ、同級生が他の同級生を殴ったことが、丸でなかったかのように時間が過ぎていきました。私たちは何もなかったかのように授業を受け、クラブ活動をして、家に帰りました。そのような日が繰り返されていました。
 教室内がぴりぴりしていました。互いに監視し合っているようでした。何か怖くて、何も言えない状態でした。アイドルの話などで、休み時間をやり過ごしていました。

 その光景が今でも思い出されます。教師達はこの教室内での出来事を全く気がつかないのでしょうか?同級生達もまるで他人事のように、見てみないふりです。誰も教師に伝えようとしませんでした。私もとても怖くて、とても教師に事実を伝えられなかったです。母親に話すと、そのようなことに関わると損をするから、関わらないようにと言われました。

 典型的ないじめの光景です。いじめの際に傍観者を問題だという大人がいますが、傍観者もいついじめに巻き込まれるのか不安で、教室内でのいじめに関われないし、いじめの事実を教師に伝えられないのです。

 教師も、授業をすることしか考慮していませんから、教室内で行われていることに注意を払おうとしません。もし教室内でいじめなどの問題行動があると分かったら、形だけの対応を行って、根本的な解決を図ろうとしません。教室内での生徒達の問題行動を隠そうとします。

 多くの人はいじめる人が悪いと言います。しかしこの文にあるいじめる子どもはいじめたくていじめているのではないです。いじめないと自分がいじめられるから、自分を守るために、必死でいじめをしています。いじめている子どもにいじめをさせている他の子どもがいるのです。

 この不登校の子どものように、感受性の高い子どもは、その子ども自身がいじめなどの辛い経験をしなくても、他の子どもがいじめられたり、教師にひどく叱られたりすると、まるで自分がいじめられたり、教師にひどく叱られたりしたかのように、とても辛くなり不登校になってしまう場合があります。

 人間に近いほ乳類にはミラーシステムという脳の機能があります。他の人のしたことや言ったことを、まるで自分がしたり言ったかのように、脳内で神経回路が働きます。それがあるから同じ状況になると真似ができます。真似をすることで能力を伸ばせます。それは感情(正確には情動)でも生じます。

 いじめられた子ども、教師に叱られた子どもの感情を同じように経験してしまいます。それを繰り返すと、学校を辛さを生じる条件反射の条件刺激として学習し、学校を見たり意識すると辛くなってしまいます。

子どもの心に寄り添って(15) 2010.8.5

 子どもの閉鎖病棟で、心に傷を抱えた子どもが、いろいろな精神症状を出しています。傷を癒したくて、辛さから逃げ出したくて、その子どもなりの方法を試みています。それは他の子どもから盗みをし、他の子どもと喧嘩し合い、閉鎖病棟から脱出しようとしました。閉鎖病棟が子どもの心の傷を癒せるところになっていないばかりでなく、痛みを繰り返させるところになっていました。いまでも何かにつけて思い出し、思い出すと辛くなり、一向に楽になりません。

 統合失調症として子どもだけの閉鎖病棟に収用された子どもの話です。この子どもは精神症状を出していて、医者より統合失調症と診断されたけれど、自分は統合失調症ではなくて、心の傷が疼いていたと気づいていました。同じ閉鎖病棟に入院させられている子ども達も統合失調症ではなくて、心の傷の疼きで苦しんでいる子ども達だと気づいていました。

 閉鎖病棟の中で子ども達は苦しみ、その苦しみから逃れるために、問題行動をしてしまい、その問題行動が他の子ども達を苦しめ、自分もまた余計に苦しむ場所になっていて、子ども達の辛さを癒す場所になっていませんでした。病院はその事実を押し隠して、子ども達のために変わろうとしていなかったのでしょう。

 本来なら子どもを守り救う病院が、かえって子どもの心の傷を広げ深めていました。この子どもはそのときの辛さが何かにつけて思い出し、今もこの子どもを苦しめ続けている事実を訴えています。

子どもの心に寄り添って(16) 2010.8.16

 僕は中学三年生でした。校則が厳しく、成績がよい生徒がひいきをされて、授業に不満をい感じていました。それでも休み時間や放課後、友達と遊ぶのが楽しかったので、学校にきちんと行っていました。だから質問をされれば、学校は楽しいと言っていました。

 夏休みが近づくと、だんだん友達と遊ぶのがつまらなくなりました。友達が内申点を気にしだして、塾などに忙しくなったからです。なぜか分からないのですが、僕は学校で息苦しくなって、それから気持ちが悪くなって、吐き気がして、最終的に頭痛になります。これは本当なのですが誰一人として信じてくれません。担任は頭痛ぐらいで学校を休むのは甘えだと言いました。気の持ちようだから、気合いを入れろと言いました。

 僕は学校へ行こうとすると、辛さがどんどん強くなって、耐えられなくなって、学校に行けなくなりました。でも担任や親は、昼間寝て、夜起きて、テレビや漫画やビデオばかりを見ている僕に対して、「怠けているだけだ。今から甘えていると大人になって社会で働けない。」と考えているようです。

 この少年は既に中学で学校に行けない心の状態でした。学校を少年が辛くなる条件刺激として学習してしまっていました。しかし学校での辛さを打ち消す楽しさが学校に存在している間は、学校に行きました。この状態を先生や親たちは、少年が元気で学校に通っていると理解していたのです。

 学校での楽しさが無くなり、この少年が学校に行けなくなったときに、先生や親たちは、少年が学校に行けなくなった原因を探し求めました。けれど原因が見つからないのです。原因が見つからなければ、学校に行かない少年に原因を求めて、少年が学校に行かないのは、怠けていると判断してしまっています。

 この少年もなぜ自分が学校で辛くなったのか理解できませんでした。この少年にはっきりと理解できることは、少年が学校に行ってみると体に辛さを生じて、耐えられなくなるという事実でした。親や先生はこの事実を信じようとしなかったのです。親や先生は、学校が子どもを苦しくするはずがない。だから学校で子どもが苦しくなるはずがないと信じているのです。

 不登校とは子どもは理由がなく学校に行こうとしないのではなくて、行こうとしても辛くなって行けないから、学校に行こうとしないという事実を、多くの人に知ってもらいたいと願っています。

子どもの心に寄り添って(17) 2010.8.23

ある中学三年生からの相談です。

 「親は、せめて高校を出ないと就職できないから生きていけないと言います。僕も高校ぐらい卒業しておかないと、誰も雇ってくれないだろうと思います。しかし高校進学のことを考えただけで、頭が痛くなり、気持ちが悪くなります。

 僕はいつもびくびくしていて、人の目が怖くなってしまって、怒られたり否定されることが怖いです。自分の意見を担任や親に言えません。それでも、高校が気になります。将来が気になります。気にするとますます気分が落ち込みます。どうしてだが分からないのですが、かえって体調不良があると心が安らぎます。

 僕が体調が悪いと訴えても誰も信じてくれないので、黙って耐え続けて学校に行き続けました。けれどゴールデンウィークを契機に、学校に行こうとしても、学校に向かって体が全く動かなくなりました。学校などどうでも良い、高校などどうでも良い、このまま死んでしまいたくなりました。」

 私が子どもの頃、中学卒で就職する子どもは金の卵だと言われました。現在でも中学卒業で就職ができないわけでもないです。現実に多くの企業が海外に出て行ってしまい、中卒の子どもが就職できるような企業は限られていることも事実です。多くの企業ではより能力の高い人をという意味で、高校卒業の資格を要求するようです。このような事実を子どもはよく知っています。子どもの方でも高校に行かなくてはという思いがとても強いです。これは子どもが持っている知識です。言葉にできます。

 子どもの潜在意識にある情動は学校を拒否しています。学校で辛い経験を何度かした結果、学校を拒否する反応を起こすようになっています。この学校を拒否する反応は潜在意識ですから、子どもは言葉で表すことができないし、なぜ学校を拒否するのか子どもも分かりません。学校を考えただけで、進学を考えただけで、理由もなく頭が痛くなり、気持ちが悪くなり、学校に向かえなくなります。

 知識では学校に行かなければならない、しかし情動が反応して、辛い症状が出て、体が学校に動かない。その状態を葛藤といいます。葛藤状態は情動に辛さの反応を表現しますから、子どもはよりいっそう辛さを表現するようになります。自分を取り巻くもの、自分を否定するものに、ますます過敏に過剰に反応してしまいます。辛さに耐えかねると死にたい想いになります。

 この悪循環が生じる辛さを解消するには、病気として理解するのが便利です。病気だといろいろな症状を出していても、病気が原因でいろいろな辛い症状を出していると、周囲の人に理解され、それ以上責められることが無くなります。実際に学校に行く必要もなくなります。その分、心が楽になり辛い症状が軽くなります。

 病気と理解したとき、重大な問題点があります。子どもの学校に行かなければならないという想いはつきまといますから、完全に辛い症状は取れません。病気として薬を飲まなくてはなりません。薬は症状を軽くしますが、学校に対して辛い反応する情動を解消しません。学校に反応しなくなりそうで、一向に辛さが解消しません。

 それだけでなく、学校に反応して辛くなっている事実を忘れて、薬を飲めば病気が治ると考えるようになってしまいます。それは学校に反応して辛くなっているという事実を忘れてしまい、一生病気として薬を飲み続けることになります。元気な大人として社会に出る機会を失ってしまいます。

子どもの心に寄り添って(18) 2010.9.7

登校刺激

 小学4年生の女の子が不登校になって2ヶ月がたちました。不登校になった当初は、お腹が痛いと言ったり、頭が痛いと言ったりして、朝起きてきませんでした。日中は元気にテレビを見たり漫画を読んだりして、元気そうでした。

 担任から電話がかかってきたり、母親が学校に行かそうとしたときには、とても不安状態になりました。母親が不登校の親の会に参加して、登校刺激は好ましくないことを知り、学校からの印刷物を止めてもらい、電話は母親の携帯にかけてもらうようにしました。

 女の子が落ち着いてくると、女の子は学校でいじめられていたことが学校に行けなくなった理由であることを教えてくれました。そこで母親は校長や担任と連絡を取って、いじめの事実を伝えました。いじめた子どもの親と子が家を訪ねてきて、いじめを謝罪してくれたので、いじめの問題は解決したと母親は思いました。

 母親はこれで子どもが学校に行けると思いましたが、子どもは一向に学校に行こうとしません。母親がその理由を尋ねると、「学校に行きたいけれど、どうしても行けない」と答えるだけです。母親は子どもを学校に連れて行こうとしましたが、不登校の親の会から、それは良くないと言われて、子どもを学校に連れて行くのを止めました。

 母親は子どもが学校に行きたい気持ちがあるから、朝時間になると子どもを起こして、将来のために学校に行くと良いことを話しました。しかし子どもはだんだん元気がなくなり、不登校の親の会と相談して、これらの登校刺激を全く止めました。現在は朝起きてくるのを自由にさせていますし、学校に関する話を全くしていません。

 クラスの友達が毎日、学校での出来事を書いた物や予定表を持ってきてくれます。励ましの言葉を書いた物を持ってきてくれたときもありました。友達が届けてくれたついでに、一緒に遊んでくれます。子どもはお便りと友達を待っているようです。休日には何人かの友達がやってきて、仲良くゲームをしたり、近くの公園で楽しそうに遊ぶことができました。その後学校に行く約束をしていたようです。

 母親は「登校刺激を止めたので、だいぶ元気になってきた。親切な友達のおかげで、子どもはますます学校に行きたいという気持ちを強めている。今に学校に行けるようになる」と感じていました。

 その後、子どもは一向に学校に行こうとしません。母親が何か言うと子どもは荒れて物を投げたり、壊したりします。部屋に籠もって、一日中ゲームをして過ごしています。母親は不登校の親の会の指導に従って、何も言わないで待っています。母親も辛さに耐えるので精一杯です。

 母親は不登校の親の会の指導に沿って対応をしていますが、子どもの心に沿った対応ができていません。子どもの心に沿った対応をしないと、子どもも辛いし、母親も辛くなります。子どもの不登校で辛い状態の解決が遅れてしまいます。

子どもの意外な”脳力” 2010.9.9

 日系サイエンス10月号「子どもの意外な”脳力”」に
「子どものように創造的に探求し柔軟に学ぶ能力は、大人のように計画的かつ効率的に行動する能力と引き替えに失われていく」
という記載がありました。これは長年私が子ども達を観察してきて、強く感じることです。

 「子どものように創造的に探求し柔軟に学ぶ能力」とは、まさに子どもの心を能力という言葉で表現したものです。「大人のように計画的かつ効率的に行動する能力」とはまさに大人の心を能力という言葉で表現したものです。「引き替えに失われていく」とは大人の心になると、子どもの心を失ってしまうという意味です。

 子どもは”子どもが持つ能力”から、その子どもなりに学習をして、自分の能力を納得して伸ばします。その子どもが伸ばしていく脳の力は、初めの内、親や大人が希望する能力とは異なる場合が多いです。それでもその能力をどんどん伸ばしていったとき、最終的に親の思いに沿ったものになります。

 大人は”大人が持つ能力”を理解できます。大人は”子どもが持つ能力”に気づきません。大人は自分が子どもの時”子どもが持つ能力”を持っていたのですが、大人になると忘れてしまっているからです。大人は子どもに”大人が持つ能力”がない事実を気づくと、子どもに”大人が持つ能力”を身につけるように要求をします。それを大人は子育てだと考えています。

 大人は自分の成長の過程で、ある時期に急激に”子どもが持つ能力”から、”大人が持つ能力”に、自然に変化したことに気づいていません。今の自分を未熟にしたものが自分の子ども時代だったと考えています。

 自分が子ども時代に子ども特有の”子どもが持つ能力”を持っていたことを忘れてしまっています。子どもの能力は、”大人が持つ能力”が未熟なだけだから、訓練をして”大人が持つ能力”に近づけられると考えています。

 「計画的かつ効率的に行動する能力」は、社会生活をするのにとても有効で、便利です。今の社会はこの”大人が持つ能力”を持った人が活躍しやすいし、大人社会も好ましい人だとして優遇しています。

 子どもの「創造的に探求し柔軟に学ぶ能力」について、この能力に気づいていない大人が多いだけでなく、”子どもが持つ能力”は大人にとって直ぐに役立たないばかりか、必ずしも大人の求める結果が出ない(例えば学校での成績)ので、”子どもが持つ能力”を無視する傾向にあります。

 今の学校教育を含めて教育界の流れは、言葉で「子どものように創造的に探求し柔軟に学ぶ能力」を伸ばすように言っていますが、現実の学校教育は「大人のように計画的かつ効率的に行動する能力」を求めています。年齢が進めば進むほど、この要求を子ども達に強く求めています。

 それは未だ大人の心を持っていない子供達に無理な要求です。とても無理な大人からの要求に、子ども達はとても辛さを感じています。その辛さを回避するために、子ども達は可能な限り良い子を演じてしまいます。良い子を演じている子どもの姿を見て、大人は自分の要求が、教育が、子ども達のためになっている、子ども達に良いことをしていると判断をしています。

 多くの子ども達は大人からの要求で良い子を演じています。良い子を演じられない子どもは、親や大人から見て問題行動をします。病気の症状を出してしまいます。親や大人は子どもに無理なことを要求しているのに、親や大人は子どもに問題があると考えて、大人が考えついた問題点を正そうとします。

 子どもには問題点がないのに、問題点があると考えて子どもに関わる親や大人に、子どもは新たな辛さを感じるようになります。子どもはますます問題行動を生じたり、病気の症状を出すようになります。それでも親や大人は子どものために良いことをしていると判断をしています。

 子どもが良い子を演じ続けられて、そのまま大人の心になれたなら、良い子を演じていたことが習慣化してしまい、大人の心から辛さを伴わないで、無意識にでできるようになります(この事実があるので、大人は子どもにとって辛いことを要求し続けます)。

 子どもが良い子を演じられなくなると、子どもは親や大人から見て問題行動を起こしたり、病気の症状を出すようになります。今までとても良い子でどんどん能力を伸ばしていた子どもが突然問題行動を起こしたのですから、親や大人達は子どもに何か原因があると、原因探しをします。大人なりの原因を見つけます。

 親や大人達が子どもの問題行動の原因として見つけた物の多くは、子どもが良い子を演じていた結果生じた事柄です。その原因と考えたことをきっかけとして、子どもが良い子を演じられなくなった場合が多いです。大本の原因とは子どもが良い子を演じなくてはならなくなった原因まで遡る必要があります。

 その大元の原因で子どもがよい子を演じている経過の中で、子どもは他のいろいろな辛い経験をして、辛さに過敏になり(辛さには相乗効果があります)、辛さに耐えきれなくなって、よい子を演じられなくなったのです。

自殺や鬱病に起因する経済的損失 2010.9.17

 この度、政府は自殺総合対策会議を開き、2009年の1年間の自殺やうつ病に起因する経済的損失がおよそ2兆7,000億円にのぼると発表しました。政府が自殺と鬱病をまとめて発表したのには、自殺の原因としてその大元に鬱病があると考えているのだと思います。

 その鬱病に関して、ほとんど全ての人が知らなくて、そして知らなくてはならない事実があります。それは鬱病という病態はありますが、未だに鬱病の原因が見つかっていないという事実です。世界中の医者は鬱病が存在すると信じています。今に研究が進むと必ず鬱病の原因が見つかると信じています。

 不登校、引きこもり、ニート、フリーターの子どもの問題に対応をしている医者として、私は鬱病の存在に疑問を感じざるを得ないのです。鬱病と診断されて投薬治療を受けていた子どもがいます。その子どもが苦しんでいる原因を見つけて、その原因から守ってあげると、子どもは鬱病の症状を出さなくなり、元気な大人となって社会に出て行けるようになります。つまり子どもに鬱病に相当する病態(鬱状態)は存在するけれど、鬱病は存在しないことになります。

 鬱状態を鬱病として投薬治療をして、鬱の症状が固定してしまい、大人になっても投薬治療を受け続ける人がいます。症状が軽くて鬱状態に気づかないで大人になり、大人になって鬱状態が悪化して、回復が不可能になった人がいます。無い鬱病を鬱病と信じ込むことで、多くの医療費と経済的な損失を被っている姿の可能性が高いです。

09年度問題行動調査 2010.10.3

 文科省は09年度問題行動調査を発表しました。この調査の根底にある考え方は、「問題行動をする子どもが悪いから、問題行動をする子どもをどうにかしなければならない」というものです。

 動物実験をしてみると、類人猿を含めてどの動物でも、ストレス刺激を与えると、その動物はストレス刺激から逃げようとするし、ストレス刺激から逃げられないときには暴れたり、すくみの状態になってしまいます。心理学を研究している人なら、この事実をよく知っています。

 人間の大人は理性でストレス刺激への反応を調節する事ができますが、子どもはそれができません。動物と同じ反応をします。学校にストレス刺激が有れば学校から逃げ出そうとしますし、学校に行こうとしません(不登校)。学校にあるストレス刺激から逃げ出せないときには、子どもは暴力行為やいじめをします。

 この生物的な子どもの反応を理解すれば、子どもの問題行動は子どもをに問題行動をしないように教育するのではなくて、子どもを取り巻く環境を変えて、子どもにストレス刺激を与えないようにするしかないです。子どもに加わるストレス刺激をなくせないなら、子どもがそのストレス刺激から逃げる方法を考えてあげる必要があります。

 この事実をどうして大人は気づかないのか不思議でなりません。現在、この事実に気づかないで、子どもの問題行動をなくするという観点から、子どもを教育し直そうとなされています。それは子どもの問題行動が無くならないばかりか、増加し悪化する事が考えられます。

子どもの心に寄り添って(19) 2010.10.22

 ある母親からの質問です。
「不登校で引きこもり、辛い病気の症状を出していた子どもが元気になってきました。今は病気の症状が無くなり、毎日漫画の原稿を書いています。いつ頃学校に行かせるようにし向けたらよいでしょうか?」

 この子どもは心が落ち着いてきて、だんだん元気になってきています。心が元気になってきたから、不登校になる前のように漫画を書けるようになりました。漫画を書けるようになったという事実を別の見方をすると、その子どもはだんだん元気になってきて、やっと漫画を書ける程度の元気さになったのです。今のその子どもは漫画を書くので精一杯という意味になります。

 この子どものように心が辛い子どもでは、それ以上のことはできないし、それ以上の事を期待してはいけないという意味になります。この子どもにそれ以上のことを期待したり求めたりすると、漫画すら書けなくなります。漫画を書けるようになったから、不登校になる前の子どもと同じになったと考えたら、大間違いになります。

 この事実を親はしっかりと理解して下さい。もちろん心がもっともっと元気になれば話は違ってきますが、現実に心はそう簡単に元気になれません。後何年かかかる場合が多いです。当然学校に行けませんし、行く事を期待してはいけません。また、子どもの心が元気になってきたら、子どもの方で漫画以外の方向へ動き出します。そして学校に向かって動くのは一番最後になります。

小学校6年の女子児童が自殺 2010.10.28

 群馬県桐生市の市立小学校6年の女子児童が自殺した問題を、ニュースから得られた情報から考えてみます。

 父親が「6年生になってから10回以上、いじめがなくなるよう担任に相談したが、具体的な対策は示されなかった」と学校の対応を批判しています。ニュースで見る限り、学校は場当たり的な対応しかしていませんでした。校長も「いじめ判断できず」と釈明しています。担任がいじめだとはっきり認識していたら、もっと違う対応をしていたと思います。親からいじめがあると指摘されても担任は問題となるほどのいじめを認識していなかったと考えられます。

 担任がいじめだとはっきり認識しなかった理由として
 1.担任がいじめを見つける能力がなかった
 2.担任が気づかないところでいじめが行われていた
 3.いじめが遊びの形で行われるので、担任はいじめだと気づきようがなかった
などが考えられます。校長は「事実確認を進めたい」と言っています。担任がいじめを見つける能力がなかった場合と、担任が気づかないところでいじめが行われていた場合には他の生徒達の話を聞く事で、いじめが有った事が分かります。いじめが遊びの形でなされていた場合には、当人以外にいじめを認識する事が大変に難しいです。

 児童は母親に「もう学校に行きたくない」と涙ながらに訴えたといいます。しかし親は児童の不登校を認めないで、親は学校にいじめが無くなる対応を頼んでいます。担任は児童が酷いいじめを受けている事実を認識していませんでしたから、目先の対応しかしなかったのです。その結果として一番辛いのはこの児童でした。不登校をさせてもらえないなら、転校を希望したのですが、卒業まで耐える事を親から求められたのです。学校を休んではいけないという親の常識が児童をいじめから守れないで、児童が自殺をしなくてはならないほど追いつめられてしまったのです。

 「担任が元の席で食べるよう指導しても、児童たちは言うことを聞かなかったようだ」と親が証言しています。それは担任に指導力がなかったからと常識的には考えられます。それだけでなく、多くのいじめでそうなのですが、担任の学級運営が子ども達を辛くして、子ども達がその辛さを解消するために、自殺した児童を遊び道具にしたのだと考えられます。ですからいじめに加わった同級生達はいじめたという思いはありません。学校生活を楽しんでいたのです。遊び道具にされた児童はそれをいじめとして反応して辛くなっていました。報道では給食で孤立していたという事例しか述べられていませんが、それでも孤立して苦しむ児童を見て、他の同級生達が楽しんでいた可能性があります。

大人が子どもの心を分析 2010.11.13

 子どもの行動を大人は自分の知識から分析して、理由をつけて解釈する傾向があります。心が元気な子どもについて、大人が自分の知識から分析し、解釈し、対応をすのは、それ程問題がありません。子どもの方で大人の対応に合わせてくれるからです(心が元気な子どものよい子を演じる)。

 けれど心が辛い子どもについて、大人が自分の知識から分析し、解釈したら、対応を間違えてしまう場合が多いです。心が辛い子どもは可能な限りよい子を演じてしまうか、自分を維持するので精一杯な子どもの場合、大人の要求に応えられないからです。心が辛い子どもについて、大人は子どもの問題行動が心の辛さを表現しているのだとだけ理解して、その辛さから子どもを守る対応を取る必要があります。

 子どもの行動を大人の知識で解釈しても、大人が解釈しているように、子どもが理解して行動をしていません。子どもは受けた刺激に無意識に反応しています。子どもの潜在意識からの反応をしています。この潜在意識から反応する仕方を、子どもの本心と表現します。けれど大人が子どもに説明を求めたら、子どもの知識から子どもはいろいろと理由を言うでしょうが、それは子どもの知識であり、子どもの本心ではないです。自分の体の反応を、その結果を、子どもが持つ知識から、大人に分かるように説明しているだけです。

 子どもは自分の潜在意識にある自分の本心を知る事はできません。子どもは自分の知識で潜在意識にある自分の本心を調節できません。大人も子どもの潜在意識にある子どもの本心を知る事はできません。そのできない大人が子どもの行動を大人の知識(多くは常識)から分析しても、子どもの本心に沿っていない場合が多いです。大人の知識から大人の行動を分析する場合、大人には当てはまる場合もありますで、大人の心の分析に用いられていますが、子どもの心の分析にはまず当てはまりません。

 知識の豊富な大人は、自分の知識からいろいろと分析をして、対応を考えています。それは子どもの心に多くの場合当てはまりません(所謂専門家という人の分析が心が辛い子どもに当てはまらない原因)。当てはまったと感じられたときには、子どもがよい子を演じて大人の要求に合わせた場合です。余裕がある子どもにはそれでも良いのですが、心が辛い子どもや心にはとても辛い事になります。

 心が辛い子どもについて、大人は子どもの状態を理由をつけて解釈するのを止めて、素直に子どもが辛いのか、楽しいのか、それだけを判断して下さい。それだけで対応をしてあげて下さい。常識に反しますが、大人は知識から考えて子どもへの対応をしないで欲しいです。

 特に母親は、自分の子ども達一人一人が喜ぶように、楽になるように、対応をする必要があります。子ども達から見たら母親だけは他の大人と違うのです。心が辛い子どもから見たら、母親は子どもの辛さを知って、それから守ってくれればよいです。そこには理屈は必要ないです。

 子どもの心が元気そうに見えても、子どもが辛さを回避するためによい子を演じている場合がありますから、大人の目が届かないところで子どもがどのように行動しているのかも注目する必要があります。特殊な場合(母親が子どもを暴力や過剰な要求をすることで苦しめている場合)を除いて、母親の前で子どもはよい子を演じない傾向にあります。母親は自分の目の前の子どもの姿から、子どもの心が辛い状態にあるのかないのかを判断する事ができます。

教育界の焦り 2010.12.2

 19日朝7時からのNHKのテレビニュースで世界の大学のランク付けが放送された。それによると外国の大学が上位を占めて、東大や京大がかなり下位ランク付けされていた。日本の多くの大学が新興国からの優秀な大学生を得て、教育している事実が報道されていた。日本の教育界が日本人の子ども達を教育しきれていない姿がかいま見られていた。

 最近ノーベル賞を受賞する人が日本からも排出している。小中学生の学力は世界でも屈指のレベルである。それなのに大学の教育水準を維持するために、大学が日本の学生に十分に期待してない理由を考えてみる必要がある。それは日本の学生が大学に入学するので精一杯で、大学でその学生なりの能力を伸ばそうとする意欲に欠けている事実は以前から指摘されてきていることで説明がつく。多くの大学生が、大学を単に就職のための足場に利用しているだけになっている。

 小中学校でゆとり教育から、詰め込み教育に変化しようとしている。それは目先の学力を上げるのに役立つかもしれない。極一部の子どもは選ばれた子どもとして能力を伸ばせられるかもしれないけれど、多くの子ども達は目先の学力を上げるので精一杯になり、大学に入学したらますます学習意欲をなくするであろう。多くの子ども達の心を荒廃させていくだろう。ではゆとり教育がよいかというと、ゆとり教育を行うためには、一人一人の子どもに対応できる教育の指導者が必要であるが、今はその準備ができていない。

 現在の物質的に豊かな日本に求められているのは、大学の世界ランクを上げる事ではない。小中学生の学力レベルが世界屈指である事でもない。学習をされられる子どもを作り出すのではなくて、自ら学習をしようとする子ども達、自ら社会活動をしようとする子ども達を生み出す事である。

 今までの集団の教育とは違って、今までの教育システムとは違って、子ども一人一人の将来を見据えた子育て、教育を応援する事にある。学力を上げる教育から、学習しようとする意欲を生み出す教育に変わる必要がある。そのためには今の何倍かのお金が必要になるであろう。教育界を再編成する必要があり、目先の結果が出ないであろう。それでも将来の日本を世界一流の国としてしょって立つ多くの人を生み出すのに必要である。

”自閉症診断”の危うさ 2010.12.8

 2011年1月号の日経サイエンスで、「自閉症”治療”の危うさ」が紹介されていた。それによると、アメリカでは自閉症の診断数が増えてきている。その自閉症と診断された子ども達の75%が代替医療を受けている。自閉症治療での安全性や有効性が全く確かめられていない薬が投与されている事実が報告されていた。

 この記事では、自閉症治療の危うさを強調していても、自閉症診断の危うさには全く触れていません。自閉症診断の危うさがあるから、自閉症治療の危うさが生じている事実に気づいていません。自閉症と診断されている子ども達は、自閉症という概念で表現できても、その内容は、子どもの心の中は、大きく異なっているという事実を意味していると考えられます。

 人の反応の仕方(性格)として外向的、内向的と、二つの方向に分けて考える考え方があります。その内向的の一番端に、所謂自閉的と表現される性格があります。現代の複雑な人間社会の中で、自閉的な性格が社会生活の障害になっている事実があるので、自閉症という概念ができあがりました。ですから、どこまでが内向的で、どこまでが自閉的で、どこから自閉症なのか、明確な境目が有りません。

 そこで考え出されたのが専門家です。専門家の精神科医が自閉症がと診断ときには、自閉症だと全ての人が認める事になる仕組みです。精神科医が自閉症と診断する根拠は、精神科医が経験から自閉症だと感じただけで、客観的な根拠はありません。何故子どもが自閉症の症状を出すようになるのか、現象面では少し分かってきていますが、その原因や脳内での仕組みは、科学的に全く分かっていないからです。

 自閉的な子どもでも、自閉症と診断された子どもでも、子どもの周囲と関わろうとする動きは必ずあります。その動きも病的と判断されても、その動きを妨げないで、その動きが発展していくのを待っていると、子どもは自閉的な傾向からだんだん外向的な動きが増えていき、最終的には普通と感じられるまでになっていきます。

 普通と感じられるまでになるには、何年もの根気がいる対応が続きますが、その何年もの間、親は「本当にこれでよいのか」という不安を抱え続けますが、最終的に親も納得がいく子どもになっています。それが本当の子育てだと私たちは気づいています。

心が辛い子どもと母親(または母親に相当する人)との信頼関係の強さ 2010.12.22

 トラウマ(辛さを生じる条件反射。その条件刺激を回避できない事が多い)から辛くなっている子どもと母親との信頼関係の強さです。子どもと母親との信頼関係はいつも一様ではないです。その時々で変化をしていきます。
 心が元気な子どもや、子どもが何かに挑戦する際の辛さを経験している場合には当てはまりません。

 経験的に、子どもが出す症状の程度はその重篤度から、
1)ODや自傷行為をする > 2)病気の症状を出す > 3)荒れて物を壊す、親に暴力をふるう > 4)万引きなどの社会に向かって問題行動をする > 5) 特に症状や問題行動はないがどことなく活力がない > 6)表情も良く、自発的で活動的(母親の前では特別の場合を除いて、子どもは良い子を演じない。特別の場合とは母親が子どもを虐待しているとき)
となります。

1)子どもが母親を信頼していないとき
子どもがODや自傷行為をするときや辛い病気の症状を出しているとき、子どもは母親を信頼できなくなっています。これらの子どもの行為や症状は、大人の常識的から子どもが心の病気だと考えてしまいます。母親との間の信頼関係は築けません。子どもとが本能から母親を信頼しようとしてもできないときです。

2)子どもが母親を信頼しようとしても十分に信頼できないとき
子どもが荒れて物を壊したり、親に暴力をふるったり、万引きなどの社会に向かって問題行動をするときには、子どもの性格に問題があると考えたら、子どもの母親への信頼感を失います。子どもが母親に自分を理解して、というメッセージを送っていると考えるべきです。または、母親がどれだけ自分を信頼してくれているかテストしていると考える事もできます。

3)子どもが母親を完全には信頼できていないとき
子どもが母親が信頼できてくると、子どもは荒れなくなりますが、意欲的な動きがあまり大きくありません。どことなく子どもに元気がない。家に引きこもってうずうずしている。未だ母親に子どもなりの辛さを言葉で訴えています。親は子どもを元気づけようとするのが常識ですが、それは子どもを辛くしてしまいます。親は子どもの訴えを聞き続けて、子どもの要求だけを叶えようとする必要があります。

4)子どもが母親を完全に信頼している状態
子どもはその子どもなりの動きをどんどん始めます。自分を否定する行動や言動が無くなります。母親の失敗を笑って許してくれます。常識的な対応が母親にも許されます。

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