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ホーム代表者と顧問医師のコラム

親の知的安心からの子育て 2006/12/22

 人間以外の動物の子育てを観察すると、子育てとは親がその責任に置いて子どもの要求する物を与えて、子どもを自立させる過程と判断されます。子どもが要求する物を、親がその本能から感じ取り、子どもが納得するまで与え続ける過程と表現できます。それは人間にも当てはまりますが、人間には親の知的な安心のための子育てをする要素があります。その知的な安心とは、人間の文化が親に要求しているものです。たとえば経済的に豊かになるとか、学歴とか、優れた運動能力を持つとか、芸術的に高い能力を持つなどです。

 大昔の人間も、その子育ては親の持つ本能からの子育てでした。ところが人間の文化が進歩すると、親はその文化が要求する物を子どもに要求するようになってきています。親がその文化の中で得た物からの子育て、親の知識からの子育てをするようになっています。その親の知的安心からの子どもへの要求は、決して悪いことではないですが、親の本能としての子育てがそれによって阻害されたときには、子どもは大変に苦しくなってしまいます。子どもは親の要求を叶えられないばかりか、子ども自身の生物としての成長も阻害されてしまう場合があります。もちろん、親の知的安心感からの子育てが子どもの要求と合致している場合には、子どもの成長によい効果を与えます。とても優れた子どもを育て上げることになります。

 どの親も一生懸命子育てをしています。親の持つ本能からの子育てと同時に、親の持つ知識から、子どもにとって一番良い子育てを、親にとって一番良い方法で子育てをしています。その親の子育てに子どもは答えて、子どもなりに成長していろいろな能力をつけ、心を発展させていきます。ただ、親の希望や要求が子どもを苦しめてしまい、子どもの成長を阻害するようでは、せっかく一生懸命にした子育てが報われません。大切なことは親の知的安心感からの子育てを子どもが受け入れてくれているのかどうかを感じ取る能力があるかどうか、親には問われることになります。

 たとえば、親は自分の子どもが親の思い通りに育って欲しい物です。親の思いを子どもに押しつけてそれからはずれた子どもを叱ることで親の思い通りに行動させようとします。それが子どもが幼いときから長年続くと、子どもが自分で判断できない子どもになり、判断を親へ依存するようになってしまいます。親としては親の希望する通りの子育てが出来たのですが、いわゆる親の子どもへの過干渉の結果、子どもは自主性のない、無気力な子どもになってしまいます。親も子どもが自主性がない、無気力だと言ってより一層子どもを親の思い通りに動かそうとします。いわゆる子離れをしない親、親離れが出来ない子どもの関係になります。

 このような関係は母親と男の子の関係によく見られています。子どもが社会人になったときには、与えられた仕事は上手にこなせても、発展的な仕事には適していません。親から見たらとても性格がよい子どものように見えますが、自分が親から受ける評価を大切にするために、視野や考え方が狭い大人になっています。どうしても他人から受け入れられることが出来ないために、結婚や社会生活に障害を生じ易くなります。

訴えが消される 2007.1.10

 私が壁に穴を開けたり、窓ガラスを破って荒れているとき、私は壁やふすまに、「おまえらを呪ってやる!」とサインペンで何回か書きました。その書いた私の字を、両親は洗剤や揮発油で、一生懸命、苦労をして消してしまいました。また、私が手首をカミソリで切って、その血で壁に書いた「おまえら、死ね!」という文字も、両親が消してしまいました。両親は壁の字を消すことだけに一生懸命でした。私が拳でカラスを破っても、両親はガラスや窓を直すことばかりを気にして、そのときできた私の傷には全く配慮をしてくれませんでした。

 苦しくて苦しくて、死を選択する直前の私の訴えを、両親は消し続けたのです。やっとの思いで訴え続けた私を無視して、何事もなかったかのように、毎日が過ぎていっていました。無視され続ける私。私は激しい怒りを感じるとともに、悔しさとむなしさを感じて、また暴れざるを得ませんでした。「わかってくれ〜」私は暴れるという、声なき声で叫び続けました。けれどその私の訴えは、押さえつけられ、無視され続けられて、誰にも届かなかったのです。

 「死にたい、死ぬまで暴れてやる!。死ぬまで血を流し続けてやる!。わかってもらえるまで血を流し続けて死んでもいい、もっと血を塗りたくってやる!」という、私自身も訳の分からない、体の奥から涌き上がる衝動に翻弄されて、私は毎日のようにリスカをし、その血で壁に字を書き続けました。その私が書いた字を、すぐ側から両親は消し続けました。私のことを全く理解しようとしない両親しか、私にはいなかったのです。

 母は「何で壁に字を書くの?何で手を切るの?何で?何で?」と、私に対する絶望と悲しみの涙を目にいっぱい溜めながら私を問いつめました。私も母に背を向け母に気づかれず泣いていたのです。バケツの水をばさっと床にまき散らすと、母は「やめてよ!床が腐る!」といって、まいた水を拭き取りました。そして同じように「何で床に水をまくの?何で私が嫌がることをするの?何で?何で?」と、私に対する絶望と悲しみの涙を目にいっぱい溜めながら私を問いつめました。

 私は母親に、「どうして私を作ったの?どうして私をこんなにしてしまったの?私をこんなにするのなら、最初から生まなければよいのに!どうして?どうして?」と怒鳴りつけました。激しい、両親への私の怒り、私が暴れて壁に穴を開け、ガラスを割ると、母は「家が壊れるからやめて」と、私を押さえつけて止めようとだけしました。私は「両親にとって、私の命より家のほうが大事なのか!」と憎みました。

子どもを不登校にして申し訳ない 2007.1.30

 不登校になった子どもの辛さが分かるようになった親の中には、「もっと早く、親が子どもの辛さに気づいていたら、子どもを不登校にさせないで済んだのに。子どもを不登校にして申し訳ない」と言う親がいます。子どもに優しい親は、子どもを苦しめたという意味で、子どもを不登校にしたことを後悔しています。確かに子どもは学校での辛さを親に訴えても、聞き入れてもらえなかったので、辛かったことは事実です。

 親として子どもの将来の幸福を考えて、子どもに関わっていくのは当たり前のことです。親だからできることです。子どもも親の要求を受け入れて、子どもなりに成長していきます。その子どもなりの性格を形成していきます。その際に、子どもが親の要求を受け入れられないと表現したとき、親は親の腕力で子どもに親の要求を受け入れさせるか、親の愛情を代償に、子どもに親の要求を受け入れさせます。場合によっては親の要求を受け入れない子どもを放棄したり、放任する場合もありますが、その場合は親が子どもに対する愛情を放棄してしまった場合です。

 子どもを一生懸命よい子に育てようとするのは、親として普通に行っていることです。多くの親が子どもに可能な限りの愛情を注いで、子どもを育てています。子どもも親の愛情を感じて、子どもにとってうれしいことも、辛いことも、その子どもなりに受け入れて成長しています。その子どもなりの性格を形成して社会に出て行きます。

 その子どもの属する社会の一つに学校があります。元来学校は子どもの要求に応えて、子どもの能力を伸ばすところでした。子どものための学校でした。ところが時代の経過とともに、学校は学校のための学校になり、子どもたちは学校を維持するための対象となってきています。それでもまだ、子どもたちが学校から離れたとき、その子どもなりに過ごせる場所と時間があったうちは、子どもたちはそこで子どもらしさを取り戻せて、親や学校に順応することができました。

 ところが現在は、子どもは四六時中管理されています。子どもが子どもらしく息を抜けるところがありません。子どもらしさを発揮できるところがありません。子どもらしさが発揮できる場所や時間を大人が作っても、やはり管理されているのには違いがありません。子どももよい子を演じて、子どもらしく振る舞いますが、心の中では辛さが続いています。その結果、子どもたちはとてもストレス刺激に弱い状態になっています。

 このような子どもたちでも、学校で子どもの心を傷つけるような事件がなかったなら、子どもたちは心に傷を帯びることもなく、元気に成長して大人になって、社会に出て行けます。親も先生も、自分たちのしてきたことが子どもたちにとって良いことをしてきたと判断するでしょう。けれど現実の学校は、学校のあり方からはずれている子どもを、力で無理矢理に学校のあり方に合わせようとします。それは知らず知らずのうちに、子どもの心に傷を作っていきます。また、学校のあり方からずれて、学校のあり方に無理矢理に合うように矯正された子どもたちの中には、他の子どもに辛いことをし始める子どもも出てきます。いじめです。いじめられた子どもは心に大きな傷を受けてしまいます。

 このように現在の学校では、子どもの心が傷つきやすい状況にあります。それは親の責任ではありません。現在の社会構造の問題点です。その社会構造の問題点から自分の子どもを守るのが親の役目です。子どもは辛くなると親に助けを求めます。その子どもの訴えを素直に聞かないで、社会常識にとらわれて、子どもに問題があると親が考えたときには、子どもは大変に辛くなります。学校で受けた心の傷を癒すことができません。子どもはだんだん心の傷を深めていって、子どもたちの中には学校での辛さに耐えかねて、不登校になっていく子どもが出てきます。

 親が子どもの訴えを素直に聞かないで、子どもを守らないから、子どもが不登校になっています。子どもの訴えを素直に聞かなかったから、子どもからの辛いから助けてというサインを見落としたから、確かに親は子どもにわびる必要があります。子どもにわびて、その子どもなりの成長を親が認められれば、子どもは親を責めません。子どもなりに学校に行かない成長の仕方を続けて、そのまま社会に元気で出て行くか、その子どもなりに必要を感じて再び学校を利用して大人になって社会に出て行きます。

 子どもが不登校になったことは仕方がないこと、子どもが不登校になったのなら、不登校になったなりの生き方を、子どもに認めていけばよいです。子どもには必ず将来があります。子どもはその子どもなりに、将来に向かって成長していきます。その将来のあり方を子どもに決めさせて、親は待っていればよいです。子どもの心が分からない親が子どもの将来を決めることができないからです。子どもが探し求めている将来を大切にすることを優先すれば、子どもが不登校になったことは問題ではなくなりますし、逆に不登校になったことを喜ぶことができるようになります。

母親の子どもへの信頼 2007.2.7

 多くの母親は、子どもに口うるさく言います。それは母親が子どもを母親の思うように動かしたいからです。しかし、子どもは親からの言葉だけでは行動できないことを知って欲しいです。子どもが親の言葉で行動するときには、親から脅しという恐怖を受けていて、その脅しという恐怖を回避するために、子どもは親の指示に従っています。つまり、子どもは絶えず親から信頼されていないと感じていきます。辛いことを平気でする人として、親を理解するようになっていきます。親と子どもとの信頼関係はどんどん壊れて、子どもは親にしゃべらなくなります。

 子どもが親の言葉で行動する場合、親からの愛情というご褒美が期待できるときにも、子どもは親の指示に従って行動しています。その場合には一言で子どもは親の指示に従います。親の言葉に喜んで従うと同時に、子どもが親を信頼していきます。

 思春期になると、男の子は親にしゃべらなくなります。それは男の子特有の心理だと考えている親が多いですが、本当は違います。親の勝手な理解で子どもを理解しようとするから、子どもの心と親の心がすれ違います。子どもが親に話さなくなるのは、子どもが親を信頼しなくなった姿です。ただし、年長の子どもで自分の世界をしっかりと持っている子供はまた親にしゃべらなくなりますが、一般に幼ければ幼いほど、子どもは母親にしゃべりたがります。

 子どもから話しかけてこない限り、親から積極的に話しかけたり、声をかけたりする対応は必要ないです。時には悪い場合もあります。親が子どもの心を理解できているなら、親から子どもに話しかけても全く問題がありません。親が子どもを理解しないで話しかけると、子どもは話しかけられたことを嫌がります。嫌がるぐらいなら、話しかけない方がよいです。そして多くの親は子どもの心を知りません。ですから、話しかけない方がよいです。

 だらだらとテレビを見ていたり、ゲームばかりに耽っている子どもの姿を見ることは、多くの親にとって辛いです。ついついがみがみ言ってしまいます。親が苦虫を噛んだような顔をして子どもを見ていると、子どもはテレビやゲームを楽しめません。親が側にいることがとても苦痛に感じられます。一方、親が子どもを信頼できるなら、子どもがテレビやゲームに耽っている姿を見ても、これは子どもに必要なことだからと感じられて、子どもの姿を見てもにこやかでいられます。親がにこにこして楽しそうなら、子どもは安心して自分の楽しみに耽ることができて、元気になっていきます。耽っている楽しみを卒業して、次の楽しみを見つけることが可能になります。

 多くの親は、子どもを一人家に置いて外出すること嫌がります。それは親の居ない間に子どもが何をするのか心配になるからです。または、子ども一人を家に置いて寂しい思いをさせるのはかわいそうと思う親心です。勿論子どもの年齢にもよりますが、子どもの心が自立していると、親から子どもが信頼されていると、子どもは意外と一人で家にいることにも耐えられます。親が居ない間に、一人で自分なりの楽しみに没頭して、その子どもなりの生き方を確立していきます。それは子どもの心の成長にとても大切なことです。

妹も一緒に不登校 2007.2.25

 小学5年生の姉が不登校になった後、半年ぐらいたって小学2年生の妹も学校に行きたくないと言い出しました。妹には友達も多く、とても楽しそうに学校に通っていたので、なぜ妹が学校に行きたくないと言い出したのか、両親には全く理解できませんでした。姉が妹にとても優しくて、一緒に遊んでくれますし、テレビやビデオ、ゲームも姉と一緒に楽しめるので、妹はずるして学校に行かないと言い出したのではないかと、両親は疑っていました。そこで妹を学校に行かせようとすると、姉の時と同じように、妹はお腹が痛くなったり、吐き気がしたりしたりする症状を出して、学校に行こうとしません。学校を休むと、姉と楽しく遊んで過ごしていました。

 妹が学校に行きたくないと言い出すまで、妹は一生懸命学校に行こうとし続けていました。妹としては学校に行きたかったのです。行きたい学校が辛かったけれど、友達と楽しそうにして遊ぶことでその辛さがどうにか解消できていました。また、学校で楽しく遊ぶことで、先生や両親から良い評価を得ることで、学校での辛さを妹なりに回避しようとしていたのでした。一生懸命耐えて妹が学校に行っていても、学校がますます辛くなり、妹の努力の限界を超えてしまいました。

 姉が不登校になり、家で姉なりに過ごせる姉の姿を妹は見ていました。姉への親の対応を見ていて、妹は必ずしも学校に行かなくても良いことに気づいてきていました。そして、学校がとても辛くなったとき、もうそれ以上我慢をしないで「学校に行きたくない」とはっきりと言えたのです。姉に許可された不登校を、妹も当然許可されると判断したのです。姉とは異なって、学校への妹の拒否反応が弱い時期に、妹は不登校を希望しました。妹がこのような不登校の仕方を選択したので、家で楽しく元気で妹が不登校ができるなら、そのうちにまた、友達がいる学校を利用して成長することを選択する可能性が高くなります。

 子どもは家庭が楽しいから不登校をするのではないです。家庭が楽しいから次の段階として、子どもの集団である学校に行けますし、自分から喜んで子どもの集団である学校に行きます。学校が少々辛くても、耐えて学校に行き続けられます。学校が耐えられないぐらいに辛いときには、子どもは楽しい家庭に逃げ戻ってきます。楽しい家庭で辛い心を癒せたなら、子どもは学校の問題をその子どもなりに解決して、学校に行こうとします。ですから、子どもが学校に行くためには、家庭は楽しくなくてはなりません。現在の子ども達にとって家庭は子どもの心を癒す場所、決して勉学の場ではないです。

 一方、家庭が楽しくなかった場合で学校がとても楽しいなら、子どもは喜んで学校に行き、家に帰ろうとはしなくなります。子どもの中には、学校の延長として町中に出て何か楽しいことを探したり、町中の子どもの集団に参加する子どもが出てきます。その町中で加わった子どもの集団がその子どもにとって良い集団だったら、子どもは学校やその町中の子どもの集団を利用して、元気に成長し大人となって、大人の社会に出て行くことができます。

 ところが現実には、町中の子どもの集団はいわゆる不良集団のことが多いです。現実に学校も子どもにとってはあまり楽しいところではないです。一度町中の不良集団に加わった子どもは、その不良集団に縛られて、その不良集団から逃げ出すことができなくなっています。子どもの集団として問題行動を起こすようになってしまいます。町中で子どもが問題行動をしないためにも、家庭が子どもにとって楽しいところでなくてはなりません。

子どもの人権 2007.3.27

 子供も人間であるから、人間としての権利があるはずです。その子供の人間としての生きる権利、子供の人権とは、大人の人権とは少し異なっていても良いはずです。勿論大人が要求する人権と同一でも良いけれど、子供の場合、必ずしも大人と同じ人権が必要ではないです。子供特有の人権を子供は必要としています。子供特有の人権とは、子どもが大人と違う心を持っているから、子どもに必要な子供の権利です。

 大人と違って、子供には大人のような自発的意識的な行動や反応は少なくて、事実上無視して良いぐらいです。子供が要求する物の多くは子どもが成長したいという欲求から生じているのであり、子どもの行動の多くは反応の心からの反応か、情動の心からの反応です。生物としての人間の心の機能から反応して行動しています。子どもが生きて、成長して、大人になって社会人になるためには、この子供の生物としての人間の心の機能から反応して行動することを認める必要があります。

 その子供特有の成長を求める特質とは前記の子供の本能である以下の8つの要素です。
成長する(母親に信頼されている必要 )
与えられた環境に順応しようとする
自然に湧き出すエネルギーが大きい
新しいもの(刺激)を求める
習慣化していない
優しい。特に、母親が喜ぶのが好き
刺激に素直に、精一杯、反応して行動する
知識からの行動が大変に難しい

 これらの8つの要素をまとめて
1)成長
・成長する(母親に信頼されている必要 )
・与えられた環境に順応しようとする
・自然に湧き出すエネルギーが大きい
・刺激に素直に、精一杯、反応して行動する
・新しいもの(刺激)を求める
2)依存
・優しい。特に、母親が喜ぶのが好き
3)許容
・習慣化していない
・知識からの行動が大変に難しい
と表現できると思います。つまり子供の人権とは、1)子供の心身が成長する、2)子供の大人への依存状態にある、3)子供の失敗が許容される、無条件でこれらの三つの権利が認められることだと思います。

 また、逆からの見方も可能になります。すなわち、子どもが親に信頼されていないなら、子どもが与えられた環境に順応しようとしないなら、子供のわき出すエネルギーを感じられないなら、子どもが新しい物を求めようとしないなら、子どもが優しくないなら、子供の失敗を責められているなら、子供に知識からの行動を求められているなら、その時には子供の人権が侵害されている可能性が高いという事実があります。

ある教育委員会通達について 2007.4.20

ある学校相談室に、その市の教育委員会から通達が出されました。その内容を書いてみます。

平成19年度 学校教育相談室の運営について
****教育委員会

1.運営方針
 ◯心の安定を図るため「心の居場所」となるよう運営する。
 ◯学校復帰への支援、社会的自立への支援を行う。

【具体的方策】
(1)指導員は児童生徒に受容的態度で接し、児童生徒との人間関係を構築する。
(2)遊び、作業、体験活動等を通じて児童生徒の対人関係の広がりをめざす。
(3)児童生徒のそれぞれの状況に応じて、学校と連絡をして学校復帰への手だてを考え、支援する。

2.活動の概要
(1)開室日
   ・月曜日〜金曜日(9:00〜16:30)
     通室時間は基本的には10:00〜14:30
   ・夏期・冬季休業については小中学校と同じ

(2)場所
   ****学校内 **校舎1階  TEL ******

(3)活動内容
  @面接相談
  ・保護者のみの面接相談・・・児童生徒の来所が困難な場合や必要に応じて行う。
  ・児童生徒の面説相談・・・随時、個別の相談を実施する。
              通所している子どもには、子どもの思いを受け止めなが
              ら振り返りの作業を促し、今後の目標等を一緒に考える
              中で自立できるよう適宜行う

  A家庭訪問
   自宅から出ることができない、引きこもりの児童生徒については、必要に
   応じて家庭訪問を行う。

  B適応指導
   様々な活動を通して、集団生活に適応できるように援助していく。
   ・フリータイム・・・絵画、読書、音楽、パソコン操作等
   ・グループ活動・・・ゲーム、スポーツ(プレイスペースで)
              調理実習(年間5回)等

  C学習指導(チャレンジタイム)
   学習に対する抵抗感や学力に対する不安を取り除き、学習への意欲の回復を図る。
   一人ひとりの震度を考慮し、個別に学習指導を行っていく。

  D学校(スクールカウンセラー等を含む)都の連携
   学校訪問を適宜行い、通室している児童生徒や長欠の児童生徒について連絡
   を取りあい、定期的にケース会議を持つ。
  ※学期ごとに通室児童生徒の担任との面談を実施する。

  E保護者の集い
   通室している児童生徒の保護者と家庭での様子や悩みを語り合い、前向きな
   方向性を少しずつ見いだしていく。講師を招き、日頃の悩みを話し合う。

  Fチャレンジ登校(学校復帰に向けて)の取り組み
   登校復帰を「自分の意志で、定期的に、継続的に学校へ行ける状態」と捉えて
   いる。そこで、成れるまでを湾サイクルとしたワンステップ・チャレンジ登校
   (階段を1段ずつ上がる)から取り組むことにする。

  【記名登校:記名だけして帰ってこよう】
   指導員と私服で→保護者と私服で→保護者と制服で→一人で記名してこよう
   ワンステップ(成れるまで)一ヶ月を目安として
   「次に何ができるか」本人と話し合って決める。
  【保健室・構内相談室登校】
   仲間と登校・仲間と自習→仲間と登校・一人で自習→一人で登校・一人で自習

 ※学校内でたくさんの受け皿を作ってもらう。
  (担任、養護教諭、スクールカウンセラーなど)


 実は、この相談室の職員(教師)から相談を受けた際にこの通達をもらいました。この相談室は以前からこの通達のような内容の対応を子ども達にしています。その中でこの職員だけが子ども達に登校刺激を避けて、相談室を子ども達の居場所にしようと努力していらっしゃいました。

 子ども達の多くはこの職員と関わり合いたがっていましたから、他の職員からねたまれていました。他の職員からは子ども達への人気取りであり、好ましくない職員だと言われていたのです。現実にこの職員の担当していた子ども達は、ほぼ毎日相談室に来ていたのに、他の職員が担当する子ども達は週に1回とかしか相談室に来なくて、それも来た日でも、すぐに帰ってしまうような状態でした。

 昨年、この職員の発案で、相談室から講演の依頼がありました。「私が講演するとこの職員は居られなくなるよ」と伝えたのですが、この職員の首をかけてでもこの相談室に風穴を開けたいと言うことで、私が子ども達の立場からの不登校を講演してきました。

 その結果、この相談室に参加している子ども達の半分近くの親が、私に相談に来るようになっています。病院にかかっていた子どもの何人かも私の病院に来るようになっています。そして年度末に近づいて、この通達が教育委員会からあり、この職員は相談室を辞めざるを得なくなりました。

 通達の内容はあきれてしまうほどの登校刺激と、学校復帰の対応です。これでは不登校の子ども達がますます苦しくなってしまいます。多くの方々は未だ信じていらっしゃらないと思いますが、登校拒否、不登校とは、子どもの見かけや理由はいろいろでも、子どもの潜在意識では、学校を見たり意識すると恐怖を生じる反応です。

 子どもは恐怖を自分で解決する方法を持っていません。恐怖状態に新たな恐怖刺激を与えると、ますます強い恐怖になってしまいます。その結果子どもはその恐怖を感じる所にますます行こうとしなくなります。その恐怖刺激に素直により強い恐怖を表現したり、いろいろな病気の症状で表現するようになります。子ども達はその辛さから動けなくなってしまいます。心の成長が止まってしまいます。

 つまり、子どもの心から見たら、この教育委員会の通達は子どもの心を虐待して良いという通達になるという意味です。

学校に行くから 2007.4.30

 長いこと不登校をしていた小学生の子どもが、学校や友達、親戚からいろいろな登校刺激を受けて、学校に行きだしました。そして一週間も通学するとまた頭痛や腹痛を訴えて、不登校になってしまいました。学校に行けなくなったとき、父親から「ゲームソフトを買ってあげるから、学校に行きなさい。」と言われたのですが、それでも子どもは学校には行かれませんでした。この子どもの反応から、母親は子どもの登校を諦めて、母親が不登校についての勉強をして、子どもがしたがるゲームを好きなだけさせたり、好きなだけテレビを見させたりして、徹底的に家の中で子どもに好きなことをさせて楽にさせて、育てていました。

 それから一年たちました。子どもはとても元気になり、家の外で友達とも遊んでいますが、学校には行こうとはしていません。そのような状態である日の朝母親に「僕が学校に行っても、あのゲームソフトを買ってくれないよね」と言ったのです。この子どもの言葉に、母親は返答を迷ったそうです。「ゲームソフトを買ったら、本当に学校に行くの?」とだけ母親はと答えました。すると子どもは「毎日学校に行くのは無理かも。」と答えたました。子どもはゲームが好きで、暇なときはゲームに没頭しています。ゲームにとても興味があります。父親の言葉を思い出して、そのゲームソフトを欲しいから、学校に無理をして行くことを代償にゲームを買って欲しいという意味か、それともただ単に学校に行くきっかけにしようとしているのか、子どもが学校に行く努力をするご褒美としてそのゲームソフトを欲しがっているのか、母親は判断ができませんでした。

 この子どもからの言葉の意味は、ゲームソフトと引き替えに学校に行くという意味であり、ゲームソフトの分だけしか学校に行かないという意味です。今回はだいぶ学校に興味を取り戻しているから、学校の事を自分から言い出しています。ただ学校に行くには学校に興味を十分に持っていないので、学校に行けない理由を「ゲームソフトを買ってもらっていないから学校に行かない」というようにその子どもなりに説明しています。この言葉に対して親がゲームソフトを買うというと、それは子どもに学校に行って欲しいというサインになります。その時の子どもなら、親がゲームソフトを買うと学校に行くでしょうが、将来また不登校になる可能性を秘めています。

 子どもはゲームソフトが欲しいです。しかしその希望は強くないです。もし本当にそのゲームソフトを買って欲しいなら、もっと強く買って欲しいと表現します。また、子どもが学校に行きたくなったら、子どもは学校に行くことに条件を付けません。親が何と言おうと学校に行ってしまいます。それほど元気になった子どもにとって学校は魅力のあるところなのです。そこで親が言葉にはしていませんが、子どもが学校に行って欲しいと思い続けていると、その思いが親の行動や言葉の端々に出てしまい、子どもがその親の思いを感じ取ってしまいます。例えば、この母親は子どもに「ゲームソフトを買ったら、本当に学校に行くの?」と答えています。母親には子どもが学校に行って欲しいと言ったつもりが無くても、この答えに対して子どもは「母親が自分に学校に行って欲しがっている」と感じ取るでしょう。そうすると子どもは親の思いに答えられない自分に葛藤状態になってしまいます。それだけで辛くなります。

 子どもの状況は
(1)ゲームソフトを欲しがっているが、どうしても欲しいと欲しがっているのではない。
(2)学校に興味を表現し始めている。学校を意識してもそれほど辛くなくなっている。
(3)学校に行けるほど元気を取り戻していない。
(4)母親は意識していないが、母親が子どもに学校に行って欲しいと内心願っている。

 これらの要素から、「母親が子どもに学校に行って欲しいと願っているかどうかをテストした」と判断されます。「母親が子どもをどれぐらい信頼しているのかテスト」をしています。そして母親の答えは子どものテストに合格していませんでした。合格したらもっと早く子どもは元気になり、場合によっては学校に行けるようになっていたかも知れません。合格していなくても、母親と子どもとの信頼関係の改善は確実に行われています。確実に行われていますから、子どもはここまで元気になれています。現在の母親の対応でも子どもは十分に元気になれて、将来元気な社会人となって社会に出て行けます。普通の大人として社会の中で生活が可能になります。

ぬいぐるみを動かしたのは誰? 2007.4.22

 マヨちゃんは不登校をしている中学二年生の女の子です。最近は大分元気が出てきて、家の中で漫画を読んだり、CDを聞いたり、歌を歌ったりして一日を過ごしていました。そのマヨちゃんには拘ってしまい、どうしても変化が許せない物がありました。それはマヨちゃんのお気に入りのシロクマのぬいぐるみが居間の棚の決まった位置に、決まった姿で置いてあることでした。マヨちゃん以外の家族は、その薄汚れたシロクマのぬいぐるみのことなどどうでも良かったのです。それどころか、居間の棚の上にあるそのシロクマのぬいぐるみがじゃまだったので、居間の棚の上に無かった方が良かったのです。けれどそのシロクマのぬいぐるみに触ると、マヨちゃんが酷く怒るので、誰も触らないでそのままにしてありました。

 ある朝、遅く起きてきたマヨちゃんが突然声を張り上げて怒り始めました。お母様が「どうしたの?何を怒っているの?」と聞くと、マヨちゃんは「誰か、シロクマのぬいぐるみを動かした。きっとお父さんがシロクマのぬいぐるみに触った。」と言うのです。お母様が見る限りシロクマのぬいぐるみの位置や様子が変わっていないので、家族の一員がそのぬいぐるみに触ったとは、お母様にはとても思えなかったのです。

 今までのお母様でしたら、「そんなはずはないよ。誰も触っていないよ。いつもの通りぬいぐるみはあるじゃあない。」と言うところですが、最近のお母様はマヨちゃんの心に沿えるようになっていました。また、お母様は昨夜お兄さんがそのシロクマのぬいぐるみのあたりで何か捜し物をしていたのを知っていましたから、お兄さんがぬいぐるみに触った可能性をすぐに気づいていました。けれどその可能性をマヨちゃんには伝えないで、お母様は「そうなの。それじゃあお父さんに電話をして、聞いてみるわね。」と言って、既に出勤しているお父様の職場に電話をして、お父様に、シロクマのぬいぐるみに触ったかどうかを尋ねました。お父様の返事は、「シロクマのぬいぐるみに触っていない。」という返事でした。お母様はその返事をマヨちゃんに伝えると、マヨちゃんは「ああ、そうなの。わかった。」と言って、落ち着きました。

 常識的には父親が娘のぬいぐるみに触ったかどうかで、父親の職場まで母親が電話をかけるものではないです。けれど現実にお母様はその非常識な対応をしました。それはお母様が常識がない大人だったからではなくて、お父様がシロクマのぬいぐるみに触ったかどうかすぐに知りたいというマヨちゃんの要求に、お母様が答えようとしたのです。常識に捕らわれないで、マヨちゃんの心を大切にしようとしたのです。落ち着いてきたといっても、シロクマのぬいぐるみが分からないぐらいに少しだけ動かされていても気づくぐらいに敏感なマヨちゃんの心です。お母様の対応の結果は、お父様に過剰に反応するマヨちゃんの心をとても落ち着かせました。マヨちゃんがお母様をますます信頼しようとするようになりました。

 その夜お兄さんが帰宅したとき、お母様はお兄さんにシロクマのぬいぐるみに触ったかどうかを尋ねました。お兄さんはシロクマのぬいぐるみを動かしたけれど、マヨちゃんが怒ることを知っていましたから、元の位置に戻しておいたと言って、マヨちゃんの所に謝りに行きました。お兄さんがマヨちゃんに謝ってみると、マヨちゃんは朝怒ったことをすっかり忘れていました。マヨちゃんにとってはシロクマのぬいぐるみがきちんと元の所にある限り、問題なかったのです。ただ、マヨちゃんはお父様が許せなかったから、お父様が触ったのだと、動かしたのだと、とても許せなかったのです。このマヨちゃんの、家族の誰も理解できないお父様を拒否する行動を、家族の全員が認めようとしていたのです。このような非常識だけれど、マヨちゃんの心に沿った対応をしようとする家族に守られて、マヨちゃんは段々元気になってきています。

修学旅行まで登校した不登校の子ども 2007.6.7

 肇君は中学二年生の一学期の途中から全く学校には行けなくなりました。昼夜逆転をしていて、起きているときはテレビを見たり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、音楽を聴いたりしていました。中学三年生になって、学校から修学旅行の準備の連絡が来たら、肇君は学校に行くようになりました。朝遅刻もしないで、夕方クラブ活動もして帰ってくるようになったのです。先生方はこれを機会に肇君は不登校が解決したと考えていました。

 二泊三日の修学旅行を、肇君はとても楽しんでいました。そして修学旅行が終わった翌日から、また肇君は全く学校には行こうとしなくなりました。両親や先生が肇君を学校に行かせようとする対応を取ると肇君は荒れてしまい、自分の部屋の中に引きこもってしまいました。それでも先生方は、肇君は修学旅行に行けたのだから、学校に来られないはずがないと、肇君に関わろうとしましたが、両親は肇君の様子をみて先生方の関わりを止めて貰うように学校と掛け合いました。その後、肇君は今まで通りに家の中で元気に過ごすようになりました。

 不登校とは、学校や学校に関する物で疼く心の傷を子どもが持っているという意味です。学校や学校に関する物を恐怖の条件刺激とする、恐怖の条件反射です。学校や先生、友達、勉強道具や勉強自体などで、理由もなく辛くなる状態です。これらの物で辛くなりますから、不登校の子どもはこれらの物を拒否して近づこうとはしません。長く学校の中で辛い経験をし続けると、その子どもは学校の建物や学校という概念に、教師、友達、勉強道具などの実体や概念に反応して恐怖を表現して辛くなります。これらの物を避けようとします。

 不登校の子どもの中には学校や先生に強く反応して辛くなるけれど、友達にはそれほど強い反応をしない子どもがいます。心の傷があまり広がっていない子どもです。恐怖の条件刺激が限局している子どもです。その様な子供では学校には行けないけれど、友達と遊ぶことはできます。友達と楽しく遊ぶ楽しさが、友達から受ける辛さよりも強い子どもは不登校でも友達と学校外で遊びたがりますし、遊ぶことができます。

 修学旅行は学校の外ですから、不登校の子どもは学校という概念に苦しめられることはありません。先生とも授業ほどには子ども達に接触しませんから、子ども同士で楽しめる子どもには、修学旅行先での先生からそれほど辛さを感じません。修学旅行は子ども同士だけで時間を過ごしますから、子ども同士で過ごす楽しみを知っている子どもには、辛さよりも楽しさが凌駕してしまいます。不登校の子どもでも修学旅行には参加することができることになります。それと同一の議論で、同じ不登校の子どもでも、友達で疼く心の傷を持っている子供では、子ども同士の集団で時間を過ごすことができません。友達で疼く心の傷を持っている子供は修学旅行には参加しようとしてもできないことになります。

 肇君の場合、修学旅行に行く楽しさを良く知っていた不登校の子どもだったはずです。修学旅行があると分かると、修学旅行に行けるという希望から、楽しさで学校の辛さを打ち消すことができましたから、修学旅行に行くまでは不登校を止めて学校に行けました。学校に行っても、修学旅行に行けるという希望から学校にいる辛さが打ち消されて、普通の子どもと全く同じ学校生活ができました。しかし修学旅行が終わって、肇君にとっての学校にいる楽しさが無くなると、学校で疼く心の傷の辛さからそれ以後又不登校になったのです。

同級生からの手紙 2007.6.25

 敏彦君は小学五年生の五月から不登校になりました。七月の初めの放課後に、同級生だけれどそれほど親しくない女の子が尋ねてきて、手紙を敏彦君に渡しました。お母様も敏彦君も大喜びでその女の子を歓迎して一緒にお菓子を食べたりして、女の子は帰りました。手紙の内容は「クラスのみんなが心配して待っているから、学校においで。無理してこなくて良いけれど、来られそうなときには学校に来て欲しい。みんなで遊ぼう。」と書いてありました。

 その夜、敏彦君はガラスを割ったり、壁に穴を開けたり、お母様を蹴飛ばしたりして暴れました。日中あれだけ楽しそうにしていたのに、なぜこのように敏彦君が荒れているのか、お母様には分かりませんでした。敏彦君は一晩中荒れて、明け方になって寝てしまいました。敏彦君が寝入った後、お母様は割れたガラスなどの後始末をしました。

 敏彦君は友達と遊ぶのが大好きです。そのためにその女の子が来てくれたことが嬉しかったと考える人が多いでしょう。その女の子が敏彦君ととても親しければ、その様に考えられますが、その女の子は敏彦君とはそれほど親しくなかったのです。その親しくない女の子を歓迎した理由は、敏彦君は無理をした可能性が高いです。所謂よい子を演じたのです。同級生の女の子が来たことで学校を意識した敏彦君は辛くなったのですが、女の子が来てくれたことを喜ぶ母親を見て、母親のために無理をして楽しそうにしていたのです。女の子が帰ってからは、女の子が来たことにより学校を意識し続けていたことや、手紙の内容から学校を意識し続けていたことにより、耐えきれないほど辛くなり敏彦君は暴れてしまいました。

 女の子が来たこと、手紙を渡したことは、両方とも敏彦君には登校刺激になっています。学校を意識させることになっています。不登校の子どもは学校を意識すると、学校を見ると、理由もなく体の奥底から辛いものがわき上がってきて、耐えきれない状態になっていきます。この女の子について素直に理解すると、この女の子は敏彦君を元気づけるために、敏彦君が学校に行きやすいために、良いことをしようと思って敏彦君の家に来たのでしょうが、その結果は敏彦君を苦しめ元気を奪ってしました。ますます学校に行きづらくしています。

 例えこの女の子が敏彦君と親しかったとしても、何日も不登校をしている敏彦君の家まで、自分からすすんで手紙を書いてその手紙を届けに来ることはないです。不登校の子どもが出るような学級では、子ども達は自分のことで精一杯で他の子どものために何かを進んでしようとする余裕がないからです。まして敏彦君とは親しくない友達ですから、この女の子は誰かに依頼されて手紙を書いて届けに来ています。この女の子の母親は自分の子どものことで精一杯でしょうから、母親が女の子に指示して手紙を書かせて敏彦君の家まで持って行けとは言わないでしょう。すると手紙を書いて敏彦君の家まで持っていくように指示したのは担任の教師と言うことになります。手紙の内容も女の子が考えて書いたのではないです。教師がこのような内容を書くように指示したものに基づいて女の子が書いたものでしょう。

 担任が女の子に直接指示をしたとしたら、先生の指示だからと言って女の子がその指示に従った可能性は低いです。多くの同級生は自分のことで精一杯ですから、同級生達は可能な限り負担になるようなことをしたがりません。それでも先生の指示で不登校の子どもに同級生が手紙を書いて持って行くとしたら、何か子どもへの評価をよくするというような、打算を感じていたはずです。その打算的な感じ方は同級生よりもその親が強く感じて、その子どもに指示しているはずです。つまり、見かけ上はこの女の子が敏彦君を思いやって、手紙を書いて敏彦君の家に持って行った形になっていますが、その裏側では、先生が敏彦君を学校に来させようとして、先生の指示に従ってくれる同級生のこの女の子に指示して、手紙を書かせて敏彦君の家まで持って行かせたのです。

怒りの人格 2007.7.14

 子ども(大人でも当てはまるかもしれませんが、私の専門外なので)がいわゆるキレた状態になったとき、そのキレたときの状態を覚えていない場合があります。そのキレた時の子どもの心の状態を説明します。キレたときの子どもは決してキレたときの行動を意識的にしたのではないです。キレたときの記憶が残っていないのも、自分を守るために嘘を言っているのではないです。

 その子どもは度重なる辛い経験から、子どもの心に大きな傷を受けています。心的外傷の状態です。その大きな心の傷を持っている状態で新たな酷く辛い経験をしたとき、激しく心の傷が疼いて、一時的な解離性同一障害を起こして問題行動を起こしていました。つまり問題行動を起こしたのはその子どもの通常の人格とは違う全く別の怒りの人格がその子どもを支配していて、その怒りの人格が問題行動を起こしています。子どもが通常の人格に戻ったとき、子どもの人格は怒りの人格とは直接関係しない別の人格なので、子どもはキレたときに起こした問題行動を基本的に思い出しません。

 子どもが普段の人格に戻ったとき、その子どもは自分が行った問題行動の結果を目で見て、周囲の人から説明されて知ります。そこで普段の人格の子どもは、自分がキレていたときにしたことを知ります。自分がしたことと納得します。子どもの普段の人格からみたら、記憶にないことを記憶していたと誤解することになります。

 しかし子どもによっては、普段の人格で記憶にないことに気づく子どももいます。そのような子どもはキレていたときに行った問題行動を自分はしていないと表現してしまいます。そしてその子どもの普段の人格から言うなら、自分はしていないと表現することが正しい表現なのです。自分がしたと表現する場合には、自分がしたと教え込まれた知識を言葉で表現しているのです。

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